マガジンのカバー画像

編集とライティングと、働くこと

99
未経験から編集者を目指していた2017年以前の私に向けて、編集者の仕事、参考になるnote、編集者となった自分はどんなことを考えて日々働いているかをまとめています。
運営しているクリエイター

#言葉

すべてに意味がないからこそ

読み終わって首をかしげた。 わからなくてもう1度読んだ。 これは名文なのだろうか。それにしては意味がわからない。 inquireで開催している読書会では、『高校生のための文章読本』を一編ずつ読んでいる。今週は筒井康隆さんの『バブリング創世紀』。だが、困ったことにさっぱり意味がわからなかった。 「ドンドンはドンドコの父なり」から始まり、ドンドン、シャバダバ、シュビドゥバーなど不思議な単語がテンポよく続く。そしてテンポよく続くまま、終わってしまうのだ。 * "「意味」

坂道をころがっていくようなことば

せっかく書くなら読んでほしい。 せっかく書くなら届けたい。 だから扱うことばを意識するし、"いい文章"を書くために脳みそを酷使している。もちろん、書くこと、特にnoteを書くことは、自分のための要素も多くあるけれど。せっかく書くなら、自分に近い人のところにも届けたいのだ。 以前のnoteで、文章のリズムについて書いた。 リズム感のよいフレーズを取り上げて、どうしていいなと思ったのか考えたものだ。結局うまい具合に言語化はできなかったけれど、今回もまた、リズム感が心地よい

絶え間ない無力を感じ続ける毎日note

振り返ることもなく時が過ぎてしまったけれど、今月の1日で毎日noteを始めて2年が経った。土日に書かなくなったとはいえ、まさかこんなに続くとは思ってもみなかったし、なんだか辞め時もなくなってしまった。 もともと私の性格がネガティブなことを分かったうえで聞いてほしいことだが、毎日書き続けている理由は、書くことが好きだからというわけではない。むしろ、書けば書くほどいつも課題が見つかって、うまく書けないと悩んで、本当に自分の欠点を探す天才だな、と思う。 最近もまた、解決方法を模

語りかける「画竜点睛」

はじめて原稿を納品する日、初めてWebメディアで記事を公開する日に、ドクドクと心臓が波打つような感覚になったのを思い出した。 変なところはないか、ケアレスミスは起きていないか、そして、本当にこれを完成形と見ていいのだろうか。何度も記事をチェックする。その儀式を終えたあとにようやく、「えい!」と半ば勢いでクリックをしていた。 「画竜点睛(がりょうてんせい)」 この言葉には、「物事の最重要部分」という意味のほかに、「何かを完成させるための最後の仕上げ」もある。それは、最後ま

タネも仕掛けもない直球note

どストレートな表現しかできない。 思ったことをそのまま、つらつらと書くとだんだん頭も整理されていくので、日々の思考を整えるためにnoteはすごく役立っている。ただ、そうやって書いている時が楽しい時もあれば、何を書いても自信をなくすだけになってしまう時もある。まさにそれが今だ。 先日、古賀さんのnoteを読んで、こんなひらめきをしたいなと思った。 "おもしろいことや突破口めいたものとはだいたい、余白から生まれるものだ。最近の居酒屋や小料理屋さんでポテトサラダが個性的な発展

上下ではなく、同じ方を向いて

編集を「教育」と言ったことばに、ずっとモヤっとがひっかかっていた。 確かに編集者の赤入れは学びになるし、それによって記事が何倍も素敵に変わるけれど、編集者側から「教育」と言うのは、なんだかちょっと違うような気がする。ちょっとしたモヤっとを自分の中に潜伏させ、時々生まれる違和感に気持ちの悪い思いをしていた。 それが顕在化され、そしてやさしく消化されていったのは、とある記事のフィードバック会だ。参加者の書いた原稿を読み、みんながコメントを入れていく。 ギモンが多めに出てくる

必要?不要?「~という」

文章の中で不要な言葉は極力省く。もたついた言い回しにならないよう、すっきり、簡潔に記事を作ることは、ライターが気を付けることの1つに入っているはずだ。 中でも不要だといわれることが多い言い回しのひとつに、「~という」がある。たとえば、「ありがとうという感謝を表す言葉がある」も、「感謝を表す言葉、ありがとうがある」などと言い換えて、余計な言葉を極力書かないようにする。 もちろん私も気を付けているし、ライターさんから上がってきた原稿で「~という」を消したりするけれど、一概にす

1秒でイメージさせるリード文。「目の前に、2本の水があるとしよう」

リード文の最初でどのくらい読者を引き付けるかが大事。 すごくわかる。その記事を読むかどうかは最初の数行で決まる。インタビュイーの印象的な言葉から、読者に投げかける疑問文から、色々やり方はあるけれど、最近読んだリード文ほど、頭の中に1秒で情景を思い浮かべたものはなかった。 ーー"目の前に、2本の水があるとしよう。”記事を見た瞬間、ペットボトルに入った水が2本、すぐに思い浮かんだ。それと同時に、「この記事、どんなことが書いてあるんだろう?」と興味まで出てくる。一瞬にして私の頭

ライターは「情報」を「言葉」に変える仕事

仕事で各都道府県の"ガイド記事"なるものを作っている。 いわゆるキュレーション記事。編集部内で記事の要素、構成を考え、ライターさんへ依頼。上がってきた原稿をチェックして公開している。複数のライターさんに類似した構成の記事を依頼して感じたのが、書いてもらった記事が「情報の羅列」なのか「紹介文」なのかで記事のクオリティが全然変わるということだ(改めて言うにはあまりにも当たり前のことかもしれないけれど)。 例えば由布院とは?の説明に「大分県由布市にある温泉」と書いたとき。「ふぅ