35歳、公務員を辞めて、自分の人生の舵を切ってみた①

以前こんな記事を書いた。

2023年11月6日に書かれた記事。
これを書いた一週間前、私は大きな決断をした。

震災のあった4月、私は公立保育園の保育士になった。
小学生の頃から夢見た保育士というお仕事。
さらに、親からずっと「1人で生きていく力をきちんと身につけなさい」と言われ続けた中で(お金についてシビアな家庭だったと思う)、
公務員という立ち位置を得られたことは、願ったりかなったりな就職であった。

3年目くらいの頃、思うような仕事が出来ず、やめたいと何度も思った。
しかしそのたび母に止められたし、実際私には、本当にやめる勇気はこれっぽっちもなかった。

2023年5月、5年間の産休・育休を経て、職場に復帰した。
「子どもとの時間は思う存分堪能した! 満足! よし働こーーー!」
と、気合十分な社会復帰だった。

気合は十分だが、お察しの通り、春の間は週に一度のお呼び出しで、
例外なく、保育園の洗礼を受けた(ちなみに、子どもだけでなく、保育園に務める私、そして同居家族の旦那も、洗礼を免れることは出来なかった……)。

家族に異変が訪れ始めたのは夏がすぎた頃。
何をしても怒らなかった旦那(実験実証済み)が頻繁にキレるようになり、
家は荒れ果て、猫の額ほどの小さな庭を雑草が所狭しと埋め尽くしていた。
そして私は、頭から仕事のことがずっと離れなくなり、
職場にどうしても行きたくなくなって出勤時間が日に日に遅くなり(それでも遅刻・欠勤をしなかったのは子どもの頃からの教育のおかげか…笑)、
職場に着くと自然と涙がポロポロとこぼれるようになった。
家ではたぶんほとんど無表情だったと思う。

”限界だな、辞めよ。”

この決断に、旦那も、近くに越してきた母も、反対はしなかった。

職場の名誉のために言うが、毎日時短はとらせてもらったし、残業もないし、子どもの保育園からの呼び出しがあれば、すぐに帰らせてもらうことが出来た。

それでも。
私のキャパシティを超えてしまったのだった。

週5日の正規職員での仕事。
毎日変わる出勤時間。
朝子どもとおはようが言えずに出勤する日。
帰宅して寝かせるまで2時間しかない日。
それでも容赦無くやってくる家事。
週6出勤する旦那。
一向に取れないひとりの時間……

働き方、変えよう。

自然に、そう思えた。

そうだ、今の働き方が全てじゃない。

『公務員なのにもったいない。』
『家のローンあるから辞められないね。』
『大変なのは今だけだよ。』

本当にそうだろうか?
周りの人たちから、さりげなく投げかけられた言葉で、がんじがらめになっているのではないか?


いろんな働き方があるはず。
我が家にあった、私の働き方を選ぼう。

そう決めてからの半年間、
私は保育士の仕事を思いっきり楽しむことが出来た。
子どもと会話し、遊び、遊んで、遊びまくった。
やっぱり保育士はいい仕事だなと心から思うことが出来た。


そして2024年4月。
13年勤めた公立保育園を、退職した。
小学生の頃から呪文のように私を支えてきた「保育士になる」という夢。
思えばそのおかげで、大学の進学先も、就職先も、すんなり決めることができた。
今まで支えてくれたことに感謝して。

ここから私は、何を大切にして、誰と、何をするのかな。
ゆっくりと、自分の人生の舵とりをしていこうと思う。


続く。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?