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理想のクリエイター像を思い、自分の“楽”を画策する。

今日の午前中を費やしてほぼほぼ書き終えていた記事が、保存できていなかった。小説や読書記録ではなかったし、日々考えていたことをつらつらと書いたものだったけれどショック。たぶんWi-Fiを使用するのに、一時間ごとに接続しなければいけないカフェで書いていたことが原因だ。気づけなかった。はぁ。でもまぁ一つの教訓になった。気持ちを切り替えてまた書こう。


とはいえ、同じものは書ける気がしない。一番書きたかったことはなんだっけ。こうなりたいという理想のクリエイター像のことだったと思う。
最近、文章を書くにしても絵を描くにしても、やっぱり一番重たいというか進まずに煮詰まる部分が、アイデア出しの段階だとつくづく思う。書きたい、描きたい、という衝動はあるのになかなか出てこない。“降りてくる”という神々しい表現とは程遠いけれど、何かが流れている管のようなものがあったら、そこに邪魔なものがたくさん詰まっている感じがしてならない。ブレインストーミングをするよりも、さして意味のない言葉を羅列するよりも、その邪魔しているものを取り除いた方が早い気がしてしまう。


その余計なものは何だろう。上手く書きたい、描きたいという虚栄心? こんな表現をしたらドン引きじゃないだろうか、と人の目を気にすること? もっとまっすぐ素直にすとんと出したいのに。毎回自分がもどかしくてじれったい。ぐるぐる考えて、悩んで、のたうち回っている自分を、冷めた目で見下ろして「まーたやってるよ、この人」と呆れているもう一人の自分がいる。
素直さ、軽やかさ、子供が好きなことに向けるようなまっすぐな集中力がほしい。文章でも絵でも歌でもなんでも、そこには向き合う姿勢とか目に見えない感情が込められるものだと思う。だからなるべく煮詰まりたくない。煮詰まったら、創ること表現することから一旦離れるというクリエイターの方も少なくない。でもそれをしようとしても、私の頭の中は全然休まらない。その間に家事や雑務に逃げてしまって、気づいたらもう夜‥‥なんてこともザラだ。この落ち着きのなさ、どうにかならないものか。


で、理想のクリエイター像を考えていたんだった。
どこかで有名なイラストレーターさんやインフルエンサーの人が言っていたこと。細かいことは忘れたけど。例えばそこにみかんやペットボトルがあったら、今描いている絵に「描いちゃえ」というノリ。聞いている音楽の歌詞に出てきた風景描写を、「いいかも」とその場でイラストの背景に加えたり。そんな素敵な軽さ。
文章にしてもまるで親しい友達にLINEを送るように、出先でささっと書いたものをSNSに投稿したりメルマガまで作成してしまう身軽さ。
これも確か人気なイラストレーターさんがYouTubeで話していたことだけど「よし、描くぞ」って気合いを入れるような人より、歯磨きするように、コップでお茶を飲むように、ぬるっと描き始める人の方が長く描き続けられる、とのこと。
ああ、軽さが欲しい。たぶんそれは他のことにも言えると思う。ちょっとズレるかもしれないけど、毎日の生活の行動一つ一つ。料理をする前、掃除機をかける前、買物に出かける前。「面倒くさいな」「やりたくないな」なんて思いが重たくなる前に、スッと動いた方がいい。ごちゃごちゃ頭で考えない。だってどっちにしろやらなきゃいけないことで、さっさと済ませてしまいたいことなのだ。そういう意味では“やりたいこと”とも言える。それに、ぐだぐだしてる方がよっぽど消耗するし時間がもったいない。
疎かにしがちな一つ一つの動作、大袈裟にいうと生きる姿勢が、アウトプットするもの全てに反映されてしまう気もしてくる。
最高にいいものを追求しようとするんじゃなくて、身近にあるものを自分の中で最高に仕立てたい。適当に見えるようなさり気なさで。“軽さ”、大事だ。


アイデアというか、それ以前の一見ガラクタとしか思えないようなものは、もうひしめくようにすでに在ると思う。ひょいひょいと掴んでその有り合わせの材料で、素敵すぎる創作ができる人になりたい。そこに必要なのは、“選ぶ”、“捨てる”、“決める”といった、迷いのない態度。シンプルだけど難しい。訓練するしかないと思う。
ちょっと気になったこと。思い出したこと。外を散歩していて目にした気になる人や物や事象。シャボン玉のように次々と頭の中に浮かんでくるけど、それらは軟弱ですぐにパンと弾けてしまう。「もったいない!」とようやく気づいた近頃、やっとスマホのメモアプリを利用するようになった。まだ始めたばかりだし、今のところそこにメモしたことに出番はないけれど。少なくとも頭で「覚えておかなくちゃ」とか、「さっき思いついたこと、なんだっけ」と思い出すような無駄に頭を使うことがなくなったのは良かった。


スマホのメモに加えてもう一つ、少し前から取り入れていることがある。それは夜に次の日の夕食分のおかずを作ってしまうこと。これは全然創作に関係なさそうでいて、私には関係大アリだ。なぜなら料理は家事の中でも、私にとってはラスボス級に重たく厄介な存在だから。
献立決め、買い出し、調理、後片付け、食材やら調味料の在庫チェック‥‥エトセトラ。料理に付随するものを考えるだけでもぐったりだ。仕事もしていないのに、冷凍食品や化学調味料、時にお惣菜に頼る体たらく。買い出しだって大半は、車を運転できる家族が率先して行ってくれるというのに。
こればっかりは嬉々としてできることではない。料理好きの人がキラキラ眩しく見える。


そんな料理を、夕食も食べ終えた夜中にするようになったことで、ちょっと心に余裕ができた。今までは朝や昼にご飯を作る延長で夕飯のおかずを作っていたけれど、それだとなんだかもう午後は昼寝から目が覚めると西日が差していて、本を読むくらいしかエネルギーが残っていない感じがすることが多かった。
人間、夜に睡眠でHPが満タンに充電されたら、夕方にかけてエネルギーが減っていく一方だ。まだ日が明るい元気なうちに、一番力を入れて取り組みたいことをした方がいい。だから、前夜にすでにその日のラズボスを倒していることで、心置きなくやりたいことができる今のスタイルはとても気に入っている。作業量は変わっていないのに、こんなに気持ちが楽になるなら、もっと早くこうしていればよかったと思う。


思考停止で惰性で続けてしまっていることは、探せばもっと出てくるかもしれない。「こうなりたい」という意思も、ちゃんと明確に言語化して行動に落とせるよう、今より積極的に考えたい。
とりあえず今日からnoteの記事を書く時は、“マメに保存”という新たな習慣を加えようと思う。あの何時間もかけて書いたはずのものが、ごっそり消えていた虚しさ‥‥忘れまい。でも消えたおかげで、新しく書き直している今の文章の方が、もう少しスムーズで軽やかなものになった気がする。
転んでもタダでは起きない精神も身につけていこう。そんなふうに思うのでした(´∀`; )



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