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読書記録①『はーばーらいと』吉本ばなな著

今日は朝から雨。
家族を送り出して一通りの家事を終え、雨の音に囲まれて家に一人のこの状況はちょっと気分がいい。
朝食を済ませてコーヒーを飲んで、部屋の中をうろうろしながら声に出して昨日に引き続き村上春樹さんの本を読んだ。一章分読み終わったところで、観念して執筆をしようと今iPadと向き合っている。
書くことは好きだし、時間が経つのがあっという間に感じられるほど夢中にもなれる。でも書き始めるまでのこの心身の重たさはどうしたものか。
習慣化するにはきっと洗濯物を干すように、歯磨きをするように、生活の一部に馴染むまで繰り返すしかないのだろう。



本を一冊読み終わったので、まだ物語の余韻が残っているうちに読書記録を書いておこうと思った。読んだ本は吉本ばななさん著『はーばーらいと』。
ばななさんの本は十代の頃から読んでいる。確か高校の部活の副顧問の先生がこの作家さんの本面白いよ、と薦めてくれたのがきっかけだったと思う。
別に文学少女でもなかった私が、なぜ先生と本の話をするに至ったのか会話の前後が思い出せないけれど“ばなな”というペンネームのせいか、先生の口から出てきたその名前がいやに印象に残った。



私が過去に読んできた本の記憶は、朝、目覚めてほとんど雰囲気しか覚えていない夢みたいな感じだ。つまり話の内容をほとんど覚えていない。「今までで一番感銘を受けた本は?」「人生を変えた本は?」と聞かれても、パッと浮かんでこないし、熱く語れるものもない。それほどぼんやりした読み方しかしてこなかったのだと思う。単に「小説を読んでいる自分」に酔いたかった感もある。



でもなんだろう‥‥ばななさんの本は今思い出すと、暗がりで静かにロウソクの火が揺れる様子、綺麗な女の人がふーっと息を吹きかけるところ、幻想的な月の浮かぶ夜空、そんな場面をちょっと艶かしく私の中に残している。
“月の浮かぶ夜空”は『ムーンライトシャドウ』というタイトルから想起されたものかもしれないけど、それらのシーンは実際に小説の中にあったものなのか印象として後付けされたものなのかも判断がつかない。断片的に覚えているのは“にんぎょ”という名前の女の子が登場したこととか、不倫の話なんだけど愛人側の女性が自分をすり減らしている感じとか。本当に欠片ばかり。



それでもまともな読書もできない子供だった私の内側に、その世界観や物語の断片を残せることがすごいと思う。そしてすぐに忘れてしまったとはいえ、読んでいる時間、私は確かにそのドラマの中にすっぽり取り込まれていて気分が高揚していた。
その小さくでも薄くでも残った世界観の欠片はバカにならない。二十代、三十代でも書店や図書館でばななさんの本を目にしては、親しみを感じて手に取ってしまうほどの引力になったくらいだから。



で、いつも通り前置きが長くなってしまったところで今回の『はーばーらいと』だ。
(ここからネタバレを含みます↓↓)
つばさという若い男の子目線で書かれたこの話の中心は、幼馴染の女の子、ひばり。ひばりは中学の卒業と同時に、宗教団体にどっぷり浸かってしまった両親を説得して取り戻そうと故郷の湊町から姿を消す。それから数年経ち、ひばりとのことは過去の思い出になりつつあった19歳のある日、つばさはひばりから手紙を受け取る。それは宗教団体からひばり自身が抜け出したいという、助けを求める手紙だった。
それが冒頭部分で、物語はひばりとの再会から宗教団体を抜け出す手助けをしていくことで展開していく。つばさの家族の内情、ひばりとの関係性、そして彼らが行動する中で起こってしまった事件。要約するとこんな内容だった。


大河ドラマみたいな重みはないし、文章量もそれほど多くないからさらっと読める。でも登場人物たちから出る言葉の数々には重みを感じるし、能動的に現実と向き合って生きる人物たちの、芯の強さが垣間見える。
物書きとしてこういう域に達したかったら、文章がきれいだとか比喩表現が上手いとか描写力があるとか、そういうことも必要だけれどやっぱり書き手本人の生きる姿勢そのものが重要なのだと改めて感じた。上部だけのただかっこいい言葉を言わせました、な文章ではきっと見抜かれる。それはたとえ読み手側がちょっと鈍い人であったとしても、うっすら、なんとなく伝わるものだと思う。


このところ「物語の面白みってなんだろう」と考えていた。推理小説だったら事件が起こるに至った経緯、犯人の動機や人間関係、犯行に使われたトリック、それから偶然の出来事が重なって悲劇が起きたとか、犯人が意外な人物だったとか。そして読者自身が探偵になったかのように伏線を見つけて推理をしてみる楽しみだとか、そんなわかりやすさがあると思う。
ホラーは苦手なのであまり読んだり観たりはしないけど、静かな不気味さや仄暗さが続いて恐怖心が芽生えてきてある地点で後ろを振り返ったら‥‥みたいなゾッとする感じがたまらなく癖になるのかなぁと、これも想像しやすい。



でもさして大きな事件が起こるわけでもなく日常が淡々と描かれたような、あらすじだけ聞いたらぱっとしないようなそんな物語でも、惹かれるものは惹かれるし最後までぐいっと引っ張られてしまう。そこにある面白みってなんだろうと、ちょっと不思議だった。



思いつくのは、まず心地よさだ。著者の文章のリズム。文法の正しさとか登場人物の会話にリアリティーがないとか、そんなものを超えて読んでいて気持ちのいい表現や区切り方。音楽を聴いている時の心地よさみたいなものだと思う。
あとはどれだけその世界を感じられるか。風景が見えたり話している人の声が聞こえたり、生暖かい風、猫を撫でた手の感触、冷たいソフトクリームの味がまざまざと今体験していることのように感じられたり。本を読んでいる自分と乖離してどこまでその世界に入り込めるか。
ただ紙に活字が並んでいるだけの古典的な媒体で、自分じゃない誰かの体験ができる。派手なイベントが起こらなくても、きっとこれだけでも物語を味わう理由としては十分だ。



話を『はーばーらいと』に戻します。とにかく主要な登場人物たちがみんな大人で、彼らが話す言葉に耳をそばだてて聞かずにはいられないくらい魅力的なのです。
現実にこんなに人生悟っちゃってる19歳なんていないよ、と思いながらも彼らのあり方はこれが自然で。恋愛なんてごっこ遊びに思えるくらい超越してお互いを思いやっていて、正直で誠実。性に関わる話も出てくるけど、あけすけなのにどこか清潔だ。
じめっとしたところもからっとしたところも同じトーンで語られる感じ。好きだなぁと思う。ここが好きと一言では言えないけれど、好きなものってそういう細々したことの総括でできているものの方が強いと思う。



話があちこちと脱線しましたが、長くなってしまったので今回はこの辺で。
これからしばらくは週一くらいのペースで読書記録を続けられたらなぁと思います。小説を書くための勉強になりそうだし、本の内容も頭に残りそう。
でも根性なしなので、あまり自分に圧をかけずマイペースにいこうと思います(^^;

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