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哲学の面白さを教えてくれた本『「死」とは何か(完全翻訳版)』

 2020年の3月に『「死」とは何か』を入手してから、読み終えるまで約3年かかった。辞書みたいに分厚いので気軽に持ち運んで読書ができなくて3年もかかってしまったが、私の哲学に対する印象を変えてくれた素敵な本だった。


完全翻訳版と縮約版の違い

実は『「死」とは何か』は縮約版と完全翻訳版の2種類がある。縮約版で欠落している第2講~第7講のパートが、この本が哲学の講義であり、哲学の面白さを表現する重要なポイントだと私は感じた。哲学的に死と向き合いたい人は是非完全翻訳版を手に取ってほしい。

哲学に対するこれまでの印象

高校時代には日本史が好きという理由で文系に進み、大学の専攻もその流れで文学部を専攻したが、全く哲学に興味はなかった。哲学も歴史も暗記科目としての性質は同じであるが、歴史はストーリー性があるのに対して、哲学関連の問題はストーリー性を見いだせない完全暗記問題のため苦手に感じていた。

入手したきっかけ

『「死」とは何か』を購入した2020年3月ごろは、横浜港のプリンセスダイヤモンドが話題のころで、日本で新型コロナの流行が本格的に始まろうとしていたときだった。

いつか自分も死ぬというのは、生きるものの運命として理解しているけれど、無自覚に暮らしていた。それが、世界的なウィルスの流行で人類が淘汰されているような気がするとか、そんなことを考えていたような気がしなくもない(笑)。そんな時期だったからか、私はこの本を購入した。

講義形式で進んで行く

表紙にも記載がある通り、この本はイェール大学での講義を書籍化したものである。そのため、実際に大学で死について先生の講義を受けるように、読み進められるようになっている。講義タイトルは以下の通り。

・第1講 「死」について考える
・第2講 二元論と物理主義
・第3講 「魂」は存在するか?
・第4講 デカルトの主張
・第5講 「魂の不滅性」についてのプラトンの見解
・第6講 「人格の同一性」について
・第7講 魂説、身体説、人格説 -どの説を選ぶか?-
・第8講 死の本質
・第9講 当事者意識と孤独感 -死を巡る2つの主張-
・第10講 死はなぜ悪いのか?
・第11講 不死 -可能だとしたら、あなたは「不死」を手に入れたいか?
・第12講 死が教える「人生の価値」の測り方
・第13講 私たちが死ぬまでに考えておくべき、「死」にまつわる6つの問題
・第14講 死に直面しながら生きる
・第15講 自殺

「死」について多角的に観察していく

目次だけでお腹いっぱいになりそうなぐらい、死について多角的に観察していく。死というのは確かに深いテーマなので、多くの視点で語れそうだなというのは凡人でもなんとなく予想はできる。しかし、実際こんな多数の観点かつ、それぞれがかなり深く掘り下げられているというのがすごい。特に私が面白いと思ったのは、魂の存在、人格の同一性、自殺についての講義だった。

魂の存在

作者のシェリー先生は「魂は存在しない派」だった。悪魔の証明とも言われる、存在しないことの証明を、魂が存在するなら、どこに存在するのか?脳にあるのか?分割できるのか?とか、これまで私が想像もしたことが無かった観点から検討を重ねていくのだ。哲学は屁理屈をこねくりまわしているだけだと思っていたけれど、理論的な思考実験なのだというのを理解し始めて面白くなってきた。

人格の同一性

身体の細胞が日々入れ替わっていても、昨日の自分と今日の自分を同じだと認識できることについて心理学か何かで聞いたことはあった。ここでも、魂が登場する。それとは別に人格、身体というものが登場し、それらが存在していることが、人格の同一性を示すのかを検証していく。さらに最終的には明日も生きている、今日の自分と同一であるとするために本当に重要なことは何なのかについて突き詰めていく。

自殺

現代社会の死亡原因のトップにも入ってくる問題として、ニュースでもよく取り上げられる。基本的には「間違ったもの」としてとりあげられることが多いが、正しい自殺の可能性についての考察があった。本当にその時点以降で、苦しみしか存在しないのであれば、それは正しい死かもしれないという一定の可能性を示唆していた。安楽死についての特集を見たことがあり、人として生きることには、自由意志で死ぬことも含まれるのかもしれないと考えたこともあったので興味深い話だった。

哲学 好きかもしれない

哲学の面白さは、実際にはありえないような状態も含めて、すべての可能性について観察していく、そういうことかもしれない。この本から、私はそう感じた。そして、それ超面白いじゃんと思った。誰かが想像したことはいつか現実になるというけれど、それはつまり、ある種の哲学的思考で現実という枷をはずして想像を膨らませることが、新しいゴールを作り出す原動力になっているということなのかもと思った。

有名な哲学の名言「我思う ゆえに 我あり」とか、「人間は考える葦である」とか、そういうことか!!とひらめいたような気がした。人間というのは、考えて、仮説をたてて、それを証明して、考えての繰り返しでここまできたんだな。すべての学問は最終的には哲学になっていくのかなというのを感じた。

まとめ

自己啓発の本を読んでいると、たまに自分が死ぬ場面を想像して、その時にどんな人たちに囲まれていたいか?と問うものがある。そのように死と向き合うのも良いものだけれども、人間に必ず訪れる最期のイベントとしての「死」について純粋に向き合ってみるのも面白い。ふらっと書店に立ち寄り目にとまった本が、自分の興味・関心を変えてしまうから、やっぱり本屋をぶらぶらするのは面白い。

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