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感受性の強さによる生きづらさ〜母と娘

私は今、東京に居ます。
母の居る地元の大阪からいわば逃げて来ました。
今日、関西に戻りますが、何だか気持ちはどんよりです。

東京は、夢の中にいるような感じがします。横浜に住んでいた頃、いつも東京に向かっていました。刺激がたくさん、そして、ひとりひとりが独立していて、過度な人への干渉がない。
よく関西の人は、東京は冷たいと言うけれど、私はそれが心地良いです。

ひとり親の母は、末娘でお嬢さん育ちの天然さんですが、根底はとても共感性の強いところがあり、気持ちの切り替えが苦手です。ずっとひとりで暮らして来たので、後期高齢者となった今、少しでも楽しい時間を共有出来たらいいな、と息子達の子育てを終えたタイミングでわたしは関西に戻りました。

母を見ていると、まるで私は母に似たんだな、と思います。母は繊細さはあまり持ち合わせてないけど、共感性がとても強い。弟の家族のことで気持ちを沈めている母を見ていると、私は無力だなと思います。

わたしはわたし。母は母。
私もそのように切り離して捉えないと、私も母のもつどんよりに引きずられるので、今回は物理的距離を置きました。それでも帰るとなると、あぁ…また現実に戻るのか…と。

歳を重ねるにつれて、私もタフではなくなっています。その時その時の大きな幸せ、それが一瞬のものだとしても、大きな憂鬱の波に飲まれる前に対処していきたいです。

母と娘って、永遠の課題。
近付き過ぎると大火傷します。
やはり、物理的距離が近くなっても、心を少し離して暮らしたいと思います。
母はわたしのことが分かっていない。

私にとって理想の母親で居て欲しかったな、と思うのは、酷なことなのでしょうか。

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