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ガンと言う病

この思いをあまり形に残さない方が良いのか、
私は数日考えた結果、これを記している。
きっかけは坂本龍一さんの訃報を知ったこと。

主語を誰にするのが適当かわからないが、
私は、息子達の父親(私の元夫)をガンで亡くしている。
7、8年前のこと。あの人のことを忘れる日はないけれど、
当時の詳細はなるべく忘れるようにしている。
けれどどうしてもこの桜の季節は、どうしようもない。
彼は、桜が咲くのを見たいと言いながら、それは果たせないまま
緩和病棟で3月29日に永眠した。
毎年桜の開花を見るたびに、あの年は咲くのが遅かったのに・・・と
今年の桜と当時を比べてしまう。

壮絶なガンとの闘いだった。
一緒には住んでいなかったけれど、側でずっと見ていた。
まだ自宅に住んでいられた頃、そして緩和病棟に入った頃。
横浜の自宅から入院先の東京都内のその病院まで私は、
息子達に隠れてお見舞いに行っていた。
その年は息子達の高校大学のダブル受験の年で、
いよいよ受験シーズンが始まった頃の入院だった。
まだ関西に住んでいた息子達にそれを伝えるべきか迷った。
けれど、動揺させたくなくて、受験が終わるまでは告げなかった。

10年ぶりに再会したお父さんの住んでいた東京の大学進学を希望したのは長男だった。それに伴って、次男も関東で高校受験をすることになった。
一家3人で、都心に出やすい横浜に移り住んだ。
二人の息子の受験と合格発表を見届けて、元夫は亡くなった。

二人の息子達にとって、とてつもなく悲しく残酷な出来事だったことだろう。私は10歳で父親を亡くしているので、息子達にも同じような目に遭うのを見るのは辛かった。

壮絶な闘病生活、ガン宣告は大腸ガンから始まり、その後も身体中のあちこちを蝕んでいった。
会う度に弱っていったあの人を今でも忘れはしない。
そして私もまた、大事な人を失った。

私は、息子達にまた同じ思いをさせることは絶対に避けないとと思った。
それから毎年ガン検診を続けて来た。
もし私が同じ病気で亡くなるとしたら、それはあまりにも息子達にとって残酷だろう。

そして、数年前に乳ガン検診で引っ掛かり、再検査したら問題なかったけれど、その後フォローアップで毎年の検診を欠かさなかった。
更年期に入り、酷い更年期障害に悩まされ、仕事も辞めざるを得ない状況に陥ることもあり、様々な治療法を試してみたもののこれと言った効果は見出せず、二人の息子達が社会人となって自立して行き、一人関西の地元に帰ってきた私は、保育士として正社員となるべく、最後の手段のホルモン療法を試みた。効果はてき面だった。よし、これで全力で保育士業に尽力できる。
そう思った矢先、念の為行った乳ガン検診で、また同じ箇所が再検査になったのだ。細胞をとって病理検査した結果、悪性の結果ではなかったが、良性と言うものでもない不確定なものだった。
経過観察と言う方法もあるけれど、その乳腺を取り除く手術も手段の一つだと医師から告げられた。
息子達は、手術を強く希望した。特に長男は、亡き父の死のトラウマがあるのだろうか、積極的にそれを勧めた。

胸にメスを入れるのは、とても怖いし出来れば経過観察にしたかったけれど、それで息子達が安心するなら、と正社員になる前の3月20日、急遽手術を受けることにした。
想像以上に恐怖だった。悪性か、良性か、という結果への恐怖ではない。
局所麻酔でメスを入れられることへの恐怖だ。
1時間40分の手術の間、私は怖さとそして当時の亡き夫の大変さ、苦しさを想像し、ずっと涙が溢れていた。

当時、私の気持ちは、元夫の命がどんどん減っていくことへの悲しみよりも二人の息子達の関西から関東へのダブル受験のことで頭がいっぱいだったと思う。引っ越しもしなければならない。

この季節になるとあの壮絶な日々を思い出さずにはいられないのだ。
そしてまた、今度の私の手術を経験したことにより、これが悪性だったら、いつか悪性になったら、私はどうするだろう?と言うこととも対峙することになった。何事も当事者にならないと分からないことがある。

この先私が末期患者になった時、私は延命治療はしなくて良い。
いい人生だったと、私はやり切ったのだといつでも思えるように生きて来たから。そんな風に思っていた頃、ふと安楽死の概念が舞い降りて来て、私は今、「安楽死を遂げるまで」(宮下洋一著者)を読んでいる。
安楽死が認められていない日本と、認められている欧米の数々の国。
中でもスイスは、外国人の安楽死も受け入れている。
色々な条件をクリアすれば、数十万円で安楽死を選択することが出来る。
それは周囲の家族にとってどれ程の痛みをもたらすものか考えると立ち止まりはするものの、個人の希望としては、死期は自分で決めたい。


長々と書いて来たけれど、ここ数日、私が手術を受けて2週間ほど。
亡き元夫の命日を経て、桜が満開のこの季節の最中に坂本龍一さんが末期ガンで亡くなられたことは、私にとても大きな衝撃だったことは、もう言うまでもないだろう。


人生は、思ったよりも短く、そして長いものだ。
10歳で突然この世を去った父親の命の儚さを目の当たりにしてから、私は人の命はいつあっけなくどうなるか分からないものだと感じて生きて来た。
だからこそ、一日一日を大切に生きて来て今がある。
割と私は、今の人生に満足していて、さぁ、これからまた新しい道を一から歩いていくのだな、と重い腰を上げて新学期を迎えている。


次に見える景色はどんなだろう。
言えることは、自分にしか見えない自分だけの人生だから、
自分のことを大切にしようと言うことだけ。
今となってはそれが、一番の息子達への安心に繋がるのだから。






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