見出し画像

父親不在コンプレックスの克服は出来るのか。

10歳で最愛の父を突然亡くした私は、今でもきっと父親不在のコンプレックスを抱えている。

それは様々なシーンで訪れる。

父が居なくなったことはもうとっくに受け止めている。40年も前のことだから。

ただ、受け止めないといけない課題はその後だ。


自分が父親不在で育ったと言う事実が、後の人生に大きく影響して来る。

それはもう色々なシーンで。思いがけない時の感情で。


一抹の孤独を覚えるのは、必ずと言っていい程そんな時。

私には支柱が必要だと言った人が居た。その通りかもしれない。

私は突然、支柱を失った。そのあと、支柱のない状態で懸命に生きた。それしか方法がなかったからだ。だから今は力果てていると言っても過言ではない。


まだ独身で会社員をしていた時、帰りの電車の中で偶然会った部長が何気なく言った。「父親の居ない人は、結婚生活が難しいんだよね。」

その通りになった。

その時は聞き流していたけれど、今でもそのシーンを覚えているのだから、自分の中で消えない衝撃の記憶だったのかもしれない。


好きな人が息子の話をすると、寂しくなる。父親が息子に向ける愛情に飢えている。悲運なことに、私の息子たちもまた、若くして父親を亡くした。何の因果か運命か、息子たちを通して、私は再び父親不在のコンプレックスを抱くことになったのだ。

自分のことだけならもう40年も前に経験して、長い年月の中で受け止めてきたこと。それが再び、息子たちを通して、父親不在の寂しさを感じている。

息子たちは頑張っている。就職活動の時、お父さんに相談したかったと思う。自力で道を切りひらいて行くのは大変なのはよく知っている。私の弟もまたそうだった。そしてきっと今でも、1人で懸命に頑張っている。

父親が居ても居なくても、本人次第だよ、と思う人も居るかもしれない。でも居ない人にとっては、父親の面影、父親不在による心の中での父親像の大きさは、実在するものよりもより憧れとしてそこにあるのかもしれない。


読んで下さってありがとうございます! 励みになります。