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私の小さな物語〜人生第3章の始まりの日(27年前のこの日のこと)

気付けば10月8日になっていた。

ここのところ鬱々とした気持ちに支配されて、日付を意識していなかった。

10月8日は、私とあの人との始まりの日。

1994年10月8日に私たちは、大阪の阿波座にある川口基督教会で結婚式を挙げた。

二人とも無宗教だったけれど、それでも月2回の日曜礼拝に1年間参加すればその教会で結婚式を挙げることが出来た。

1年後の結婚式の日取りを決めて予約し、日曜礼拝に通った。

個人的にはとても楽しいデートコースだった。

教会でウエディングドレスを着て、たくさんの人に来てもらいたい。

それが私の希望だった。

ステンドグラスのとても綺麗な煉瓦造りの大きな教会で式を挙げたあの日のことは、もう遠い昔の非現実の中にあるけれど、確かにあれがわたしとあの人の始まりの日で、記念すべき日だった。

それは私にとって人生の第3章の始まりの日。


写真をごそごそと取り出して眺めていたら、若い未来に希望を持った二人が居た。

まだ出会っていない二人の息子の親になることも想像せず・・・。

そして、その後の波乱も想像せず・・・。


🌹🌹🌹


27年経った今、わたしは一人。51歳になり、これからの一人暮らしの生活に一抹の不安を覚えながら、人生の第6章への心の準備をしている。

多分その日は、思っているよりもあっけなくやってくるのだろう。

そして、更年期障害に苛まれ、鬱々とした感情と共に生きている。

45歳を過ぎて取った保育士資格で就いた好きな保育士の仕事も休みがちになっている。

たった27年でこんなに老いてしまうなんて悲しいので、私はどうせ生きるならまだまだアンチエイジング頑張らないと!とこれを書いている今はそう思う。


🍀🍀🍀


あの人と私は、この特別な日から7年後に解散し、別々の道を生きることにした。私の新しい家族への期待が大き過ぎたのか?今となっては当時の行き詰まりを乗り越えられなかったことも悔やまれる。

それぞれ違う家庭を持った後、解散したことにお互い後悔しながら10年間を過ごした。お互い復縁したい気持ちを相手に告げながら、元の形に戻るタイミングは来なかった。

その後連絡を取り合う術もなく、その間私は、とてつもない苦しい環境で生き抜いたが、やがてその生活も7年で、こども達と一緒に終わらせた。

長男が「もう限界じゃないか?」と言った一言で、私は家を出る決断した。

その時私の身体は、あざだらけだった。


🍀🍀🍀


息子二人とわたしとの生活をする為、それ程広くないハイツを借りたけれど、そこは私たちにとってお城だった。誰に気兼ねすることもなく自由だ。その後、私はパート勤めから正社員に変わり、大きなマンションへ引っ越した。その生活が始まって間もない頃、あの人から突然メッセージが届いた。

「一度、息子達と会わせてもらえませんか?」

私とあの人が解散してちょうど10年後のことだった。

断る理由などあるものか。息子達にはいつか必ず父親に会って欲しいと思っていた。正社員の仕事を定時に終わらせてから、私は子ども達を連れて、大阪に出た。10年ぶりの再会。10年ぶりに4人でテーブルを囲んで食事をした。

色々な悔しさも憎しみも、その時にあの人が言ってくれた言葉、

「こんなに立派に育ててくれてありがとう。」で、消えてなくなっていった。


わたしは、あの人を憎んでいたけれど、やっぱり好きだった。

だからずっと苦しかった。けれど、好きなのにやっぱり憎い人。

その後もあの人がその数年後にこの世を去るまで色々とありました。



次へ続く・・・☕️







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