インフラエンジニアの私がシリコンバレーでプリンシパルエンジニアになった話

Overview

2022年、プリンシパルエンジニアになるという仕事での大きな出来事があったので、総括的なポエムのようなものを書いてみました。具体的には、日本で働き始めてから、やってきたこと・できるようになってきたことの遍歴を振り返って書いてみました。
渡米に至るまでの話を書いた記事はこちら

私の場合、運とタイミングにかなり依存していて、再現性はあんまりない気がするので、どうやったらなれるのか?みたいな話はしません。海外で働くソフトウェアエンジニアの人の話は沢山あるけど、インフラとかネットワークエンジニアの話ってあんまりないので…こういう人間がいるんだな、と知っていただくだけでも、どこかの誰かにプラスとなる情報を与えられるかもしれないという気持ちで書いてます。
長いので、細かい所読みたくない人は最後の"これから"だけどうぞ

補足: 憧れのタイトル "プリンシパル"

おそらくこの記事読んでる方には必要ない説明かもしれませんが、マネージャーではないエンジニアは、(無印)エンジニア→シニアエンジニア→スタッフエンジニアとかテクニカルリード→プリンシパルエンジニア→さらにその上(フェローとか)のような階級があります。(会社によって階級の数や条件は異なります)
ざっくりした言い方をすると、プリンシパルはマネージャー職ではない、単体のエンジニアとしてのある種目標のようなポジションではないでしょうか。
私にとってもプリンシパルは憧れのタイトルで、日本でエンジニアをやっていた時に本社のプリンシパルエンジニアはRock Starみたいなもので、その人達の資料を読んで学び、その人達からの解答があると安心したりしていました。

プリンシパルまでの流れ

あくまで一例ですが、私が日本で働き始めてから、やってきたこと・できるようになってきたことの遍歴はこんな感じでした。

新卒1-2年目くらい

4年生大学を出てからネットワーク機器メーカーの日本支社のエンジニアとして就職しました。
1年目は新卒向け研修、CCNA, CCNPのトレーニングの後、セールスエンジニアとしてのOJT、テクニカルサポートエンジニアとしてのOJT、1.5ヶ月の海外研修をたっぷりしていただき会社には感謝しかありません。
2年目は半年ずつセールスエンジニアとテクニカルサポートエンジニアとして働き、その後にようやく本配属になりました。半年ずつやらせてもらってから選択できるのは非常にありがたかったです。何事もやってみないとわからないので。
私はセールスエンジニアを希望しました。テクニカルサポートは、以下の点で当時の自分には厳しいと感じたからです。

  • 一人のエンジニアで一つのケースをやる(もちろん先輩は助けてくれますけど)

  • 電話での説明(当時はWebExのようなものもなかったので何もなしでの電話は自分にはハードルが高かったです。お店への予約電話も嫌いなタイプだったので)

  • Closeしてないケースを持ってる週末の気分(つい考えてしまう)

それに対応するセールスエンジニアの特徴を上げるとすれば

  • 営業さんとチームで動く

  • 対面での対話とプレゼン

  • Closeしてないケース、という明確な数字はない

だったかと思います。もちろんそんな単純なものではないですが。あくまでこれは私の選択であって、テクニカルサポートの方が好きでそちらで活躍されている方もたくさんいらっしゃいます。あと今は働き方も当時とは違うでしょう。
英語は、英語で受験というものをしたことがなく、入社時にTOEICを怖くて受けたことがない、という青ざめるレベルでした。初めて英語で本社のエンジニアに質問のメールをした時は数時間かけて、英語ができる同期にレビューもしてもらったことを覚えています。テクニカルサポートでバグのレポートをあげたり、CCIEの勉強のためにキュメントを読んだりする中である程度英語へのアレルギーはなくなったかと思います。会社の補助+自腹でマンツーマン英会話にも週数回通ってました。
2年目の2月に、5回目の挑戦でCCIE Routing & Switchingに合格しました。当時は週末に会社で勉強したり頑張ってました。

2-3年目くらい

特定のお客さんや業種を担当するチームではなく、製品担当のチームに配属され、データセンター製品担当になりました。当時はデータセンター向けスイッチというカテゴリはなく、ロードバランサー、WAN最適化装置をやってました。自社の中ではニッチな製品群だったので、新人でも日本の社内でそこそこ詳しいというポジションになることができ、以下のことができるようになったと思います。

  • ドキュメントを読んで手を動かして理解を深める

  • トレーニング資料を作って提供する

  • 社内で相談を受ける立場になる

この時、ロードバランサーとセットでセキュリティ製品(Firewallとか)もデザインの中に登場したり、WAN最適化装置の検証の時にOutlookとかCIFSとか出てきたので少しWindows ServerとADの知識もつけられたのは良かったなぁと思います。
英語は、まぁなんとかドキュメント読んだりメールで質問はできるようになったので、少しやる気は停滞してました(喋るのはあまり機会がなかったので、喋れなくてもそこまで困る事がなかった)

4-6年目くらい

データセンター向けスイッチ、FCoE、サーバーが出てきたことにより、SANや仮想化を勉強する事ができました。自分はそこまでテクニカルにすごくはないけれど、新しいことを学んでみてトレーニング作ったり教えたりするのが向いているなぁと思い始めてきました。
この頃CCIE Data Centerができ、日本で一人目になりたくて自腹で海外試験会場に行って、なんとか5回目で受かりました(でも一人目にはなれなかった…)。受かる前になくなってしまったCCIE SANも含めると、北京、ドバイ、シドニー、RTP、ベルギーに行ったので、一人で海外旅行する自信がつきましたが、今思うと気が狂ってました。ちなみに、個人的にCCIE試験会場ベストランチは東京会場の萬作弁当です。

7-8年目くらい

ありがたい事に社外での知り合いも増え、自社製品の本、他社製品の本、翻訳監修の機会をいただけました。そのおかげで、VMwareさんのvExpertにもしていただきました。

今はネットの技術記事が主流になりつつありますが、自分の新人時代はこういった本にとてもお世話になっていたので、自分が情報提供側、しかも紙の!というのは達成感がありました。分かりやすく、正しい情報を書かねばと気をつけて書いたのを覚えています。VMware vSphere 運用・構築レシピの時に書いたMicrosoft NLBの説明なんかは今でも(忘れた時に)見返します。
英語は、出張でUSに行った際、対面でのミーティングで力不足を痛感し、英語をもう一度頑張ろうと思って英語勉強を再開しました。一部の人の間では有名なNCCさん。私には合ってました。もっと早くやってれば良かったと思う。

8-9年目くらい

日本の社内ではそこそこ相談される側となり、本も書いたし、次はどうしようかなぁと考え始めました。他社に転職することも頭をよぎりましたが、以下の点から実行には至りませんでした。

  • 製品やテクノロジーは変わっても、本社の資料を読んで検証して日本向けのトレーニングや資料を作るという仕事は変わらなさそう

  • ネットワークの会社にいるから、それ以外の事を知っている事がプラスになるけれど、そちらを主戦場にしたら自分の存在価値は疑問

  • キャッチアップが早い方でもないし、テクニカルにすごくとんがっているわけでもない(他のvExpertの方とか見てると勝てないなぁと思う)から、新しい職場で信頼勝ち取るのに時間がかかりそう

そんな中、運よく本社のデータセンタースイッチ製品担当のポジションで採用される事になったのでアメリカに行く事になりました。
英語で質問はできるようになったり、出張で日本に来る本社の人間と少し仲良くなったり、知ってるテクニカルな内容であれば英語で話されていることを日本語でなんとなく要約できたり、という英語力にはなりましたが、まだまだスムーズに喋れるレベルではなかったと思います。

10-11年目くらい(渡米1-2年)

この頃が一番大変でした。英語だけではなく、本社の製品担当という立場に求められる事、ミーティングや仕事の進め方などの違いでカルチャーショックの連続でした。

  • 当たり前だけど全部英語

  • 世界中から来る質問

  • 事前資料や画面シェアもなくガンガン進むミーティング

  • 急に呼ばれる(「来週 X(10時間くらい飛行機でかかる他の国)行ける?」)

  • お前はどうしたいのか?聞かれる(日本だと、製品の事について聞かれることはあっても、自分がどうしたいのかってあんまり聞かれない気がする)

  • 日本だったら直接話した事がないクラスの偉い人とのコミュニケーションが日常的にある(でも下々の者を覚えててくださっててすごい)

人を捕まえて直接話して解決、という事が日本より多くて、後にも残るしメールかチャットにしてくれ〜という感じで最初は苦労しました。コミュ障には辛い。
あまりにもジュニア感があったのか「いつまでいるの?」とインターン生と勘違いされたりもしましたが、周囲が本当に技術的にも人格的にも素晴らしい人たちばかりでなんとか生き延びる事ができました(自分の拙い聞き方でも意図を汲み取ってくれて回答してくれる、ヘルプしてくれる)
同僚達には本当に海のように空のように広い心で根気よく対応していただいたなと思います。少し何かをやっただけでも感謝を口にしてくれる、それを周囲に言ってくれるという文化にいい意味でのカルチャーショックを受けました。(日本だと、個人が名指しで褒められるというよりかは案件がうまく行った時にチーム全体にThank youメールがいくような事が多いかなと思います)テクニカル面以外にも、自分にとっての重要なExperienceがたくさんありました。ここだけでいくらでも語れるくらいですが以下略。

12-14年目くらい(渡米3-5年)

なんとか生き延びて、このトピックならこいつに聞けばいい、みたいな居場所ができてきて、仕事がより楽しくなってきました。ネットワーク製品の機能って、大体6ヶ月以上、プランも含めるともっと時間かかるので、この辺りから自分が関わった機能がリリースされたり、使われ始めたりして、それもモチベーションになりました。
この辺りから、自分がメインで white paper を書くようになってきました。その昔日本でバイブルのように参考にしていたデザインドキュメントみたいなものなので、自分がオフィシャルの一次ソースの情報を書いて皆さんに参照してもらって役立ててもらえる!というのは達成感がありました。例えばこれとか、絵も多いけどよく200ページ超書いたなと思います。本出せる。

ドキュメントの際に、Tech writer さんに見てもらえたので非常に勉強になりました。最初はもう真っ赤で返ってきてたのですが、少しずつ赤い部分が減ってきました。直してもらうの、重要。
英語を喋るのは、まだまだ苦手で、これは仕事してるだけでは改善しないなということで Accent Reductionのトレーニングを受けたりし始めましたが、自分のできなささに日々絶望してます

15年目以降(渡米6年-今)

同じくらいのキャリアを積んだ同僚がプリンシパルになっているのを見ながら、でも自分は喋るのも苦手だし、そんなたいそうな存在じゃないからなーと思っていたのですが、同僚や元同僚と話してる時に「プリンシパルになりたいって言ったほうがいいよ!」「You deserve (これ、英語話者よく言いますよね)」「今回ダメでも、何が足りなかったかわかるから言い出すべき」と言われ、まぁそうだなと思ってチャレンジしてみまして、運よくなれました。
なってみると、自分は毎日自分と向き合ってるからそんなに自分が変わったとも感じないので、思っていたRock starのようなプリンシパル像ではないのですが、名前に負けずに頑張っていきたいと思います。
英語は、まだまだです。きっとこれは終わらないですね。日本語でも、あーもっといい言い方あったなぁ、とか反省しますよね。それと同じで満足する日は来ないと思って生きてます

これから

思い返してみると、今までずっと、こういう人がいるんだなー、と思う存在が常にどこかにいました。海外経験のある日本人エンジニア、同じ分野をやってる先輩女性エンジニア、他の国から渡米して活躍するエンジニア。ふと、自分も息してそこに存在してるだけで、誰かに「この程度の人でも渡米してなんとかやってんだな」と知っていただくだけでも何かの変化を与えられるかもしれないという思いが出てきました。
ということで、これまで顔を出してこなかった所に顔を出してみたりしようと思ってます。

Janog51 Meeting に登壇します

1/25 17:00-18:00からFastlyの @taijijiji さんとお話しします。

タイトル: Your English Communication Could be Better! -Understand Common Pitfalls for Effective Communications in the Global Workplace-

渡米してから、色んなバックグラウンドを持つ人とお仕事させていただく中で、日本の人はテクニカルには全然負けてないのに、無意識に当たり前だと思っているコミュニケーションの癖・習慣みたいなもので損しているなと思う事が多々ありました。
個人の意見・見解にはなりますが、そんな事を私の経験を交えてお話しさせていただこうと思っています。根底には、もっとネットワークエンジニアというJobにおいても日本の存在感が上がって欲しい、という気持ちがあります。
現地に行く方、質問があれば気軽に声かけてください!3日間うろうろしてる予定です。

そのほか(どうでもいい話)

年収遍歴とか、英語勉強方法とかが有料記事になるのかもしれませんが、需要があるかわからんし、確定申告めんどくさくなりそうなので、私に何かPromotion お祝い等を贈りたいという奇特な方がいましたら以下をお読みください。そうじゃない方は読まなくていいです。
最近キングアーサーというミュージカルを見に行ったら、ランスロット役の太田基裕さんがとてもとても素晴らしかったので、太田さんがご出演されているミュージカルでも見に行ってお金を落としてください。テクニカルな話とか、キャリアとか、英語とかの話だけじゃなくて、たまにはミュージカルとか舞台見に行くのもいいものですよ。

おしまい

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