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どうしてもできなかったチャレンジ 背中を押してくれたのは

私は、元来とてもフットワークの軽いタイプです。何事も挑戦するなら早い方がいいと思ってて、何でも思ったらすぐに始められる。

そんな私ですが、「絶対に実行した方がいいよなあ」とわかっていながら決断まで年単位の時間のかかった事が、ひとつだけあります。


普段の私

座右の銘は「やらない後悔よりやった後悔」。思い立ったその瞬間には概要を調べ、行動に移す。それが私です。

このnoteアカウントを作ったのも、

  • 「書く仕事がしたい」という本を読んで

  • 「書く仕事かあ、向いてるかもなあ。やるならInstagramで発信してるメンタルヘルス系かなあ」と思って、Instagramのアカウント名「さくら」を元にしたペンネームを考え

  • ペンネームで名刺デザインを考え(ここまで本読み終わってから1時間)

  • noteアカウントはあるとそのままライティングのポートフォリオになると本に書いてあったので、ペンネームを使ってnoteアカウントを作成

  • 「はじめまして。」記事を執筆し、そのまま投稿(ここまで約3時間)

というハイスピード。

日取りとか、投稿時間とか、多少考えても良かったなって今は少し思ってます。笑

でも、1週間noteの記事を更新し続けて、
やっぱり始めて良かったなって思ったんですよね。

結構自分がプライベートでひた隠しにしている部分を文章にして、
それにいろんな人が「スキ」してくれた、って通知が来たとき、なんだか感慨深くて。

だからやっぱり、「始めるのは早い方がいい」「小さく始めて、合わないと思ったらとっととやめる。なんか違うと思ったらとっとと軌道修正する」が、自分には合ってると思います。

そんな私が、唯一できなかった「チャレンジ」

でもね、私にも「違っていたらどうしよう」「これは間違っていたら取り返しがつかない」と思って、ずっと自分だけで抱えてしまった事があって。

それが、一人暮らしです。

はじめましての記事を読んでくださった方はわかると思うんですが、
私は家族と折り合いがつかず、高校3年生の時にメンタルを壊しました。

で、高校3年生のとき「メンタルを壊した原因は家族だ」って、はっきりわからなかったんですよね。
「家族が嫌い」という言葉は口から出てきた。でも虐待されたわけではないし、 むしろ家族仲は(私が無理して合わせてたから)良好だ(のように見える)し、本当は私って家族が嫌いじゃないんじゃないの…?
受験とか、部活とか、他のいろんなところがストレスだったんじゃないの?いや、勉強は間違いなく好きだけれど…。
そんな風に感じていました。
何だったら今でも、「家族が嫌いか」と聞かれると、嫌いではないように思います。何なら「好き」もはっきり否定しづらい。

自分のストレスの原因がはっきりわからない。自分の感情を、自分でもわからないくらいにぴっちりと封じ込めてしまう。それが私のかかった病気の症状でした。

高校3年生の時に心を壊してから、「自分の心を守るために、家族から離れて暮らそう」と決断するまでに、5年かかりました。

どうして決断できたのか

単純に、症状が進みすぎたから。

当時の私の症状は、今思い返してもつらい。まともに社会生活を送ることすらままならず、大学も全然行けなくて、1週間のうち平均して5日はただベッドに横になっているだけ。
自分の意思に反して動いてしまう身体のあちこちにどう対処していいかわからず、
そのうち何かを感じることすら面倒になって、ただ息をしていただけでした。


家族がたぶん原因だろうなと思ったのも、
家族と顔を合わせると顔の痙攣がはじまり、夕食を一緒に食べることができなくなったから。
食べることが何よりも大好きだった私は、症状が始めて出た日の夜、悔しくてボロボロ泣きました。夕食が口の中には入っているのに、頬が痙攣するから、噛むことができないんです。アルバイトも辞めて、軽音サークルは行けなさすぎて幽霊部員と化して、大学の講義にすら通えないのに、その上食べることすら奪われるのか、と。


転機になったのは、声優・松来未祐さんの訃報に接した時でした。


私は彼女の特別大ファンだったわけではないけれど、
たまたま好きな声優さんのラジオの前番組が彼女のラジオで、何回か聴いていました。
ラジオとアニメは、布団で寝ていることしかできなかった私の、ほぼ唯一の趣味でした。

毎回ラジオを聴いていたわけじゃない。
だけど彼女がどれだけ同業者から、そして世界中のファンから愛される存在かくらいは、わかっていました。

彼女が生きるのを最後まで諦めなかったことも、わかっていました。


彼女の訃報に触れた時、
まだ生きている私が、ただ息をするだけの人生を受け入れていることを、途端に恥ずかしく思いました。
たまらなく、恥ずかしく思いました。

とにかくこの状況を打破するために、自分にできることを精一杯やらないと、彼女に申し訳が立たないと思いました。


その日、ベッドで息をするだけの人生を辞めて、
ギターを抱えて、漫画喫茶に行きました。

「次の精神科の診察まで、家に帰らない。診察に来てほしい、話したいことがある」とだけ、家族にLINEを入れて。


事の顛末

父親からの返事は、
「せっかく家を離れるなら、どこか旅行にでも行ったらどうか。金なら出す」とのことだったので、ひとりで草津に行きました。(この返答ができる親なので、私との相性は悪かったものの、単体でそこまで悪ではないことはわかっていただけるのではないかと思います)

草津で、ギター抱えて、ラジオを聴きました。

有限会社チェリーベルの、最終回を。


結局、診察に同伴してもらうという私の作戦は大成功だったようで、
主治医のお墨付きをもらって、私は一人暮らしを開始しました。

家族は家族で、ほとんど寝たきりの私が一人暮らしをすることは不安に思っていたものの
「痙攣症状が本人曰く、家族と顔を合わせると始まること」「その症状が泣くほどつらいものであること」の2点で、離れるのも致し方ないとは思っていたそう。


今も私は独立して生活しています。
家族はたぶん、まだ「本当はそんなに嫌われていない」「あれはちょっとひどい反抗期だった」くらいに思ってはいるとは思うけれど、ここ1年くらいは大きなトラブルは起きていないです。

最後に

なんか今日の記事は、とっても長くなっちゃった。
でも今まで人にあまり話してこなかった部分を文章にできて、少しスッキリしました。

共感してくれるひとがいたら嬉しいです。

長文だったにもかかわらず、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。


『書く習慣』内で紹介されている、1ヶ月書くチャレンジに挑戦しています。
今日はDay21 ♯これまでで1番のチャレンジ について書きました。

https://amzn.asia/d/cvvJUWi

Day16まではInstagramのハイライトから見れるので、お時間あるときに読んでもらえると、とても嬉しいです。


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