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父と私③命日によせて 奇跡ってあるんだなと思った話

明日、1月30日は父の命日
ゆっくり父の死と向き合いたいので一日早いが追悼したい。
もう11年になるのに父がいないこの世の中は何かが足らない。

私はファザコンだったのかと言われるけど生きていたころは顔をあわせれば喧嘩していた。
それも物が飛ぶような、物が壊れるような喧嘩ばかり😅

ただ、働く大人として本当に尊敬してた。
就職してからも父のビジネスセンスがいかにすごいのか身に染みた。

父が余命宣告を受けたのは2008年の秋ごろだったと思う。
余命宣告なんかあてにならないなって思うのはここで父はここから

1年半も生きた

死に様は生き様だというけど父は最後まで生きることを諦めなかった。
時代の変異にもろともせず働く父は世界で一番かっこいいと思っていたけれど、それと同じくらい闘病中、生きることに拘った父はかっこよかった。
命を燃やすっていうのはああいうことを言うんだろうと思った。

2009年の6月に私は第二子を妊娠した。
予定日は2010年の2月14日

産休に入って間もなくの1月28日
珍しく長男が体調を崩して保育園をお休みし夕飯後にリビングで寝てしまった中「お父さんが危篤。覚悟して」と連絡をうける。

身重の子持ちはこういう時使えない。
寝てしまった息子を背負ったら階段を上っていたら踊場で破水💦
そこから45分で次男を2週間も早く出産
その間父が意識を取り戻した。
孫の出産を看護師捕まえて報告しまくってるよと連絡をうけた。
その時、母が、「退院したら、その子を連れてお父さんに会いにきてほしい」と

母は私以上に子供を大事にしていて冬場に帰ってこいなんて一度も言ったことがなかったのに。私はいずれにしても父がもう長くないのだと思った。

1月29日
父と母の結婚記念日は2月1日。看護師さんがとりはからってお互いに手紙を書こうということになったらしい。
母が父になんて手紙を書いたのか、父が母になんて手紙を遺したかは知らないのだけど父の手紙はもう、父に書く力がなくほとんどが看護師さんの代筆だったそう。でも最後に、それは直筆で

感謝

と書いてあったそうで…

そして1月30日の11時ころ、母から父が亡くなった連絡をうけました。

私は入院中で父の最期を看取ることも、葬儀に参列することもできなかった。
親戚はみんなそのことを知って

みはるちゃんには弱いとこみせたくなかったんだね

と。父は母には弱音吐いたり時には泣いたりもしていたらしいけど
私には一度も弱音を吐かなかった。
父とは喧嘩もしたけど、父は私にとってはいつも大きな存在。

私がスキー場で突っ込まれた時、突っ込んだ相手を殺すんじゃないかと思うほど怒鳴ってくれた。
強面で縦横大きい父が歩けば道が拓けて人にぶつからずに歩けた。
運転が上手で唯一となりで安心して眠れた。

この人がいたら自分は無敵だと思った。守られていた。大きな愛でいつも包んでくれた父。強くて大きくて温かかった。

体の弱い妹、年の離れた弟、認知症の祖母。母の愛情はそちらに向いていたけれど父は不器用なりに私を一番に考えてくれた。
そんな父の亡骸さえみれなかった私は3月に49日、小さくなった父の骨壺を抱えて泣きたかったけど泣けなかった。

そんな存在を失った悲しみも心の穴も私は未だ埋められずにいます。笑

その晩、私は夢を見た。
父が大好きな寅さんの恰好をしてバスに乗り込む夢。
お父さん、いかないでいかないでって私が叫んでいるのに父は笑って乗っていってしまう夢

2月1日が父の葬儀になった。
結婚式と葬儀、狙っても合わせられないよね。笑
結婚式も大雪、葬儀も大雪で霊柩車が家の前の坂を上がれなくてみんなで押してくださったそう。

たった二日だったけど同じ世に生があった。
父の命は次男へと受け継がれたと思って私は次男の名前に

の文字を加えた。仁はもちろん、仁義礼智の仁なのだけど「ふたつのものをひとつにする」という意味がある。

喪主は20歳の弟、彼の挨拶をあとで聞いて最後に父に聞きたい「お父さん、幸せだった?」とという一文があるのだけど私は父は絶対に幸せだったと確信してる。

母には思いを遺せて
私には次男の誕生を見届けてくれて
翌年亡くなる妹が三途の川をちゃんと渡れて
その年、成人式を迎えた弟を見届けた

でもって、結婚式に葬式かぶせられたなんてお父さん、最高だよ。
父のように華々しく散りたい。

死に様は生き様

どうせいつかは死ぬならば自分の人生を生きたい。
私の父はやっぱり世界で一番かっこいいお父さんです。

そんな父の会社を私が引き継いだ。

一式母から引き継いだ時にびっくりしたのは
父の資格や経歴を見ていたらFPに損保大に宅建に
証券外務員に確定拠出年金にと…私がやろうとしていたことそのものだった

父のようにはできないから私は私の良さを生かして私なりに頑張るね。
あと80年、たくさんの人を見送ったら私もそちらに行きます。

z一緒においしいお酒が飲めるように楽しむね。

おとうさん、ありがとう。

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この写真、一番父らしくて好き。

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