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足並み(短編小説)

 夏の終わりの、犬も食わないっていう話
 寝る前の3分をちょっと無駄にしてもよかったらぜひ読んでってください
(文字数・2162字)


 街角を探せば大体見つけられるような、フランチャイズのコーヒーショップ。
 2人で来るのは初めてのこの店舗を選んだことも、君の配慮なのだろう。
 こんなコーヒーショップでも、君は僕がおごることをやんわり断った。
 カップを持って、僕の前の席に座る君。
「ホットコーヒー?」
「うん」
 中身を当てにいった僕に、何の違和感もないようにうなずく君。
 別れる少し前から、ブラックコーヒーを飲むようになったんだ。

 一口飲んでおいたカップの飲み口に、口紅が浅く残っている。
 そんなことにでさえ、ぐっときてしまう僕なのに、君はもう会わないようにしようと言う。
 恋は2人在らないと絶対に始まらないのに、終わる時にはどうして、1人いれば簡単に終わってしまうんだろう?

「別れてから初めて会ったね。なんで会ってくれたの?」
「これが最後だと思ったから。あと、」
 彼女は本を取り出した。
 大学一年の冬、彼女に借した小説だった。
 ジョージ・エリオットの『サイラス・マーナー』。
 当時、女性が小説を書いても馬鹿にされるだけだと思ったエリオットが、あえてジョージと男性名を使ったこと、知ったかぶりのように彼女に話したことがあるのを覚えている。
「多分、当時の時代背景とかが濃く描かれているんだよね。教会の話とか。私には難しかったけど。でも、全部失ったサイラスに大事な宝物ができて、家族の愛情が伝わってきて、お話としてはすごくあたたかくって好きだった。当たり前のように私の本棚にあったけど、借りたこと忘れたことはなかったよ。むしろ、これいつ渡したらコウがびっくりするかなって、持ってた」
「あげたつもりだったんだよ」
「そうなの?」
「うん」

 あげたつもりで、あの時渡した。
 大学に入ってすぐに君に一目惚れした。大学の終わりの4年目にようやく君と付き合えて、5年付き合って、別れて1週間後の、今日。
 約10年前に、君にあげたつもりだった本が、自分の手元に返ってきた。
 約10年前、君に片思いをしていた気持ちが、今また自分一人の胸に戻ってきたようだ。
 君の中で、僕が、また「なんでもない」僕になってしまったのだと思ったら涙が出てきそうで、急いでカフェラテを飲む。
「そのまま持っていてもいいけど・・・」
「ううん、あると思い出しちゃうでしょ」
 思い出してくれて、いいのだけどとは、言わない。言えない。
「それじゃあ・・・。ありがとう。なんであのときこの本渡したか、知ってる?」
「ん?」
「ミオが気になってたから。何かきっかけが欲しかったんだ」
「・・・そっか」とだけ言って、柔らかく笑った。気づいてたのかな。今となってはもう、関係ないことなのかな。
「これで会うのは最後ね」
 強く念を押すように君が言う。
「うん・・・」
「最後に、何かある?言っておきたいこと、みたいな」
「・・・夜ごはんも一緒に食べない?」





 夜ごはんを一緒に食べないかと誘ってきたのはあなたなのに、行き先は「君の食べたいもの」と言って私にお店を決めさせるところがあなたらしい。
 付き合った時から最後まで、いつもあなたは私を優先してくれた。
 はじめは、場所を考えるのが面倒なだけかと思っていたんだけど、本当に、あなたは、私が行きたいところに行くと嬉しそうにしてくれる。

 だけど、私を幸せにする自信はないと言う。
 2人の将来を考えることに、いつまでも不安なあなた。
 作家になる夢半ばのあなたに、私はきっと求めすぎてはいけなんだ。
 だけど、ずっと一緒にいたい、その先に結婚も夢見る私は、求めすぎなのかな?
 別れようと言った時、私は将来を一緒に考えられる人がいいんだと言った時、「そうか・・・」と言ったあなた。離れたくない、とは決して言わなかったあなた。
 いろいろあなたを取り巻く状況が、あなたに別れたくないとは言わせなかったのかな。
 でも、今のこの状況だけで、終わらせられてしまうの。
 恋は2人の気持ちが重なって始まるのに、それをずっと重ね合わせたまま進み続けるのって、どうしてこんなにも難しいんだろう?

 今でも好き。
 だけど、今のままでいたい彼と、先に進みたい私。二人の好きは今少しずつ重ならなくなっている。
 夜ごはんを食べながら、二人が出会う前の昔話をした。5年付き合っていても、知らないことはまだ多い。
 小学生の彼が、くるくる回る勉強椅子が欲しいとねだると、彼のお母さんが木材から椅子を作ってしまった話。回転椅子にしてくれたけど、彼は他の子のように、赤色のクッションがついているようなものが欲しかったということ。
 大学生のころ、彼はこんなにおしゃべりじゃなくて、いつも優しく人の話を聞く方だった。
 本が好きだと話すと、次の日貸してくれた『サイラス・マーナー』。

 ちょっと小難しくて読みづらいけど、あたたかいその物語自体が彼そのものみたいに思えて。そしたらすぐに返すのがもったいなくて、ずっと返していなかった。
 彼のことを気になっていても、彼の気持ちがよくわからなくて、ようやく付き合ったのは大学の終わり。
デートに誘ってきてくれたものの、最後の方はお互いずっと無言で。
「それじゃあ・・・」と、歩き出したとき、彼が私の手をとって、言ってくれたんだ。
「・・・付き合ってください」
 今日、きっかけにもなったその本を返したのは、これが最後だとちゃんと確認し合うため。
「持っていてもいい?思い出として」なんてかわいいことは、言ってあげないんだ。中途半端には持っていかない。ここで今日、置いていく。
 ねえ、それでいいんだよね?
「少し、そこで座らない?」
 私が頑なに割り勘にしたごはんも食べ終わって、電車に乗ろうとする時に、改札前にある少し開けた場所のベンチを指差す、あなた。
 断れない私も、無言で座り続けるあなたも、もしかしたら、やっぱり、中途半端で。
「最後なんて嫌だな」と呟いてみると「僕だって」とつぶやくあなた。

「じゃあ、最後にしないでよ」
「どうやって・・・別れようって言ったのは君だろう」
「わかったって言ったのはあなたでしょう」

 目が合って、数秒、沈黙があって。
「・・・ミオ、もう1回、僕と付き合ってください」
「・・・よろしくお願いします」
 一緒に電車に乗りながら、『サイラス・マーナー』をまた借りた。


表紙 - 
フレドリック・チャイルド・ハッサム『パリの夏の夜』

ジョージ・エリオット『サイラス・マーナー』

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