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穴の空いた忘却

昨日、祖母の家に片付けに行ってきました。

祖母は認知症でホームに入っているため
代わりに週1回私がゴミ捨てをしたり
部屋を少しずつ片付けたりしています。

まだ祖母がお家にいた頃、
ご飯はヘルパーさんが来て
作り置きしてくれていました。
ただ、そのまま置いておくだけでは
祖母にはそれが
"誰のためのご飯なのか"
"いつ食べればいいのか"
分からないので
「夕飯です。
 19:00になったら食べてください。」
なんてメモを残してくれていました。

昨日、テーブルの上にあったそのメモの束の下に
少し破れてクシャクシャに折られたメモを見つけ
ゴミかなー?なんて捨てようと手に取ると
数年前に私が留学先から祖母に送った手紙でした。

その時の気持ちを1番近い言葉にするなら
"やるせない"だったと思います。
でもそんなこと考えるより涙が先でした。

祖母はとても几帳面でマメな人でした。
お誕生日には必ずメールが届いたし、
仮に紙1枚でも孫から貰ったものは
きちんとしまうか、棚に飾るような
そんな人でした。

その祖母が、孫である私からの手紙を
"破れてクシャクシャになった状態で放置する"
そうならざるをえない状況。
どれだけ辛かっただろうと思いました。
忘れていくのは、分からなくなっていくのは
どれだけ怖かっただろうと。

私は祖母の状態を
"記憶に穴が空いた状態"だと思ってたんです。
でも、実際は
"忘却の中に所々穴が空いていて、
そこに記憶がある状態"
だったのかもしれません。

語弊があるかもしれないけれど、
私は忘れることや、思い出せないことを
悪いことだとは思っていませんでした。
忘れるってことは覚えていたってことだし
思い出せないってことは
記憶自体はそこにあるってことだから。
ただ思い出を入れてる引き出しの鍵を
どこにしまったのか分からないだけ。
部屋のどこかにはあるその鍵が
ちょっと見つからないだけ。
その考え方は今でも変わりありません。
それのせいで祖母が祖母じゃなくなるわけじゃない。
でも、祖母自身はどう思っていたんだろう?
自分が自分じゃなくなるようで
大切なものを失っていくようで
その部屋が自分の部屋なのかすら分からなくて
怖かったんじゃないかな。
鍵を探すどころじゃなかったんじゃないかな。

"忘れていくということは怖いだろうな"
ということはもちろん頭にありました。
ただ、私はその祖母の感じている怖さを
何も分かっていなかったと思う。
あくまで私自身の想像としての"怖い"だったことを
きちんと認識できていなかった。
私が思った何倍も何十倍も怖いんだ。
クシャクシャの手紙を見た時
やっとそう思い当たりました。

祖母は私の留学中に認知症と診断されました。
帰国後、父と昼食に入ったお寿司屋さんで
「おばあちゃん、認知症やから」
と唐突に言われてテーブル越しに
父を見返すばかりで返事ができなかったのを
今でも覚えています。

私が帰国後初めて祖母の家に行った時、
「手紙の返事書かなきゃって思ってたのに
 書けなくて。ごめんね」
としきりに気にしていたのを思い出しました。
「そんなん、気にせんでいいのに」
と答えていたけれど、祖母にとっては
"気にしなくてもいいこと"ではなかった。きっと。
もっと違う寄り添い方があったかもしれない。

この話をどこに着地させたかったのか
何を目的に書いているのか
私には分かりません。
ただ、記録しておきたかった。
どこかに吐き出したかった。
それだけです。自分のために。

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