【改稿】ツォク供養の、全体像
ツォク供養とは
ツォク供養は、チベット仏教の中の密教儀礼になります。とはいえネットやWebで公開Liveするようなことはほとんどなく、今でも秘匿で、僧伽内だけの公開だったりします(ただ見ていてもしょうがない、一緒に経を唱えろと、私の師はおっしゃいます)。
とはいえ下の写真のように、チベット寺に直接行けば月に何度かは必ずツォク供養が修されます(非公開だったりすることもあるので注意)。
また大施主のリクエストで緊急開催されることもあります。
ツォク供養とは、一緒に供物を供養して祈ることで、莫大な福徳が積めて罪業も浄化されるという、お得感満載の法要です。
さらに密教の門に入った者にとってツォク供養は、必要不可欠の儀礼になります(理由は後述)。
私は1990年代、インドのチベット寺にて初めてチベット語の読み書きを勉強していたとき、使ったテキストがツォク供養の儀軌でした。
儀軌を学習教材にするというのが寺らしいですが、おかげで仏教語や専門用語をたくさん覚えましたし、お坊さんから基本的な所作や知識も教えていただきましたので今では大変感謝しています。
そんなわけで私にとってツォク供養の儀礼は、スタート時からお付き合いのあるもので、思い出深いものであります。
ツォク供養(ガナ・チャクラ・プジャ)とは、かつてはインドに存在し、今ではチベット仏教の各宗派に、連綿と伝わっています。
そして儀礼が終了したら、家族団らんのご馳走のように供物を享受します。これは、日本でいうところの「直会」(なおらい)によく似ています。
ツォク供養では盛大に供物を準備し、供物を修法し、自分の血脈相承の師、仏・法・僧、本尊、護法尊に捧げる必要があります。
たとえばチベット仏教カギュー派の祖、マルパ尊者(1012?–1097)の伝記には、ツォク供養がよく登場します。
マルパ尊者は密教の教えを求めてインドに何回か赴いていますが、現地で自分の先生(ナーローパ)に対してツォク供養を捧げることで、福徳を積み、師弟関係を清浄にしています。
一方で、インドの大成就者ナーローパ(11世紀)の伝記を読むと、やはりナーローパは自分の師(ティローパ)に対してツォクを捧げているのです。
当時のインドでは、特に密教の師弟関係においてツォク供養は不可欠の儀礼だったことがうかがえます。
ツォク供養の起源
先ほど述べたナーローパの例にもありますように、インドで密教が発展するとツォク供養も発展しましたが、これがチベットに伝えられたのは8世紀頃で、伝えた方は密教の偉大な師、グル・リンポチェでした。
当時この法会を行なうことができたのはお金持ちだけだったのですが、グル・リンポチェは衆生に対する慈悲の御心から、この伝統ルールを変更して庶民も賛同しやすいように改めたのです。
ツォク供養は「ガナ・チャクラ・プジャ」と(古代インドの神聖語、サンスクリットで)呼びますが、「ガナ」(=集い)には3つの意味が含まれています。
「プジャ」とは供養のことで、準備された供物を仏・菩薩へ供養する(=上供)と共に、六道衆生に捧げます(=下施)。プジャにはそういう意味があります。
ツォク供養の3つのパート
ツォク供養は、福徳資糧と智慧資糧を一気に、莫大に積集するための特別な修行です。一般的なツォクの儀式は、大きく次の3パートに分けられます:
<第一部>
・相承系譜の師へ祈願し、諸仏・諸菩薩を降臨させて、供物の曼荼羅に加持を降ろします。
一定の儀軌をつうじて、諸仏・諸菩薩の無量の智慧により、ツォク供養に参加する行者の外・内・秘密の供物は清浄となり、極めてすぐれたツォク供養の供物へと変化します。
<第二部>
行者が心を込めて諸仏・諸菩薩に供養(上供)。
さらには、執着や偏見などの感情を超えた平等な境地でもって師匠、本尊、ダキニ、護法尊、天神地祇や土地神、六道の父母、カルマの「負債」をもつ衆生が一緒に列席し、内・外・秘密の捧げものを味わいます。
<第三部>
行者たちはこの楽しいツォクの甘露を受け取ることで、内なる喜びが生起し、自然発生的に奏でられるツォクの歌を歌い、踊ります。この時、行者はダーカ、ダーキニーであることを確信し、自分のいる場所が仏陀の住まう浄土であることを確信しなくてはいけません。
ツォク供養の最後のパートは、供物の余りものを水に流すか、もしくは西北の方角に捨てて、(曼荼羅の内部に入れなかった)幽霊や精霊に施します。
そして最後は、瑜伽行者たちが一緒に祈願を唱え、廻向します。
一切の不浄は清浄となり、すべては法界に統合されます。
このようにツォク供養は四種の事業「息災・増益・敬愛(懐摂)・降伏」がすべて揃っています。そして密教の三昧耶の汚染を浄めることができる、すぐれた方便なのです。
罪業を浄化する
密教の門に入った者には、サマヤ(三昧耶、三摩耶)がおのずと発生します。チベット密教ではこのサマヤの汚れ・違犯については日本よりもずっと厳しいものがあります(サマヤの詳細については過去記事「サマヤと、三昧耶戒」をお読みください)。
密教行者にとってサマヤの違犯がいかに日常的かについては、密教の師にして映画監督の顔も持つゾンサル・ジャムヤン・ケンツェ(ケンツェ・ノルブ)が次のように記しています:
密教行者にとってサマヤの汚れは、認識のレベルからすでに生じてしまうものです。何かを(見るなり聴くなり)知覚して価値判断を下すごとにサマヤは破られていくわけですが、恐れずに日々の行法を続け、さらにはサマヤを浄化する殊勝な方便であるツォク供養を定期的に執り行なう必要があります。
そのため密門に入っている方や、密門とご縁を得たい方には特に、ツォク供養のご参加をお薦めしています。
ツォク供養に適した日
チベット暦の毎月十日と二十五日、そして新月と満月の計4日は、ツォク供養に適した日とされます。
チベット暦十日は、グル・リンポチェが「この日に弟子の元へ訪ねる」と誓約された日ですので、重要です。この日にツォク供養を執り行なうことで、大きな加持を得ることができます。
またチベット暦二十五日は、ダキニがあらゆる方角(十方)を取り囲み、私たちを加持してくださる日とされます。
また寺院によっては、チベット暦八日(薬師仏・ターラー女神のご縁日)にもツォク供養を執り行なうことがあります。
気吹乃宮では上記の4日は必ず、なんらかの形でツォク供養を執り行なっています。noteに告知していないこともありますが、催行はしています。
講員の皆さまにおいてはもれなく、この4日間でそれぞれ供養と祈願をさせていただきます。
疫病鎮静化を願って
ツォク供養は密教儀礼であり閉鎖的なものですが、「日本で秘密主義的に個人でツォクをしている場合ではない」と思うようになったのは、2020年の疫病流行でした。これを機に、私たちの世界の状況は一変してしまいました。
私は個人的なサマヤの維持にツォクをするだけでなく、「福徳と智慧を一緒に積んで罪業を浄化したい」と望まれる方とは一緒にツォク供養を行ないたいと思うようになりました。それが2020年4月のnote開設の動機です。
そうして2年間、今までのnoteの形態(記事購入やサポート)があります。
お蔭さまで、私がツォク供養に取り組む態度も真剣さも、大きく変わりました。
さらに2022年8月より、noteの新機能を使って講員制度を作ることで、安心して供養へご賛同できるような仕組みにしました(もちろん従来のサポートの形でも大歓迎です)。
私にとってツォク供養は死ぬまで一生続くものですが、疫病が完全に鎮静化して安定した暁には、ツォク供養を非公開にするかもしれません。とはいえ、サポートや講員が1人でもいらっしゃる限りは公開していきたいと考えています。
儀軌の構成(閲覧限定)
ツォク供養は密教に属するので、詳細が明かせない部分もございます。しかし一般向けにわかりやすくまとめると、けっこうこんな感じにシンプルになるのです(以下の一覧表)。
ここから先は
サポートは、気吹乃宮の御祭神および御本尊への御供物や供養に充てさせていただきます。またツォク供養や個別の祈願のときも、こちらをご利用ください。