見出し画像

墓の中には違う人物‼

私は歴史家ではなく演劇人です。数年前から「千々石ミゲル」の演劇を継続して上演しています。まもなく「千々石ミゲルの墓と思われる石碑」の4回目の発掘調査が始まります。この調査で完結です。そこで、せっかくなので、この調査の価値を沢山の方に知っていただきたいと思い、演劇を創る際に調べたことなどから、過去、千々石ミゲルに何があったのかと、平成15年12月14日に石造物研究家の大石先生によって発見された「千々石ミゲルの墓と思われる石碑」について、あくまでも演劇人として記事を書かせて頂きます。2020/12/07

ミゲルの息子の墓だと思われていた。

「発見」というと、なんだか秘境の地だとか、土の中から見つかった…みたいなイメージをしてしまいそうになりますが、この石碑はずっと、その場所にありました。ただ、ミゲルの墓ではなく、その息子(四男)の「千々石玄蕃(げんば)」の墓だと、ずっと思われていたのです。なぜなら石碑の裏に「千々石玄蕃允(ちぢわげんばのじょう)」と刻まれているからです。しかし、石造物の研究家である大石先生は石碑を見て、玄蕃のご両親の墓だと、その場ですぐに思ったそうです。なぜかというと、この時代、墓石の裏に記される名前は墓を建てた人のはず…そしてこの石碑の表には、男性と女性の戒名が記されている…ということは夫婦の墓。一般的に考えて親の墓以外を建てるなんてまずない。すなわち「千々石ミゲルとその妻の墓」…ということです。なので、大石先生が訪れた平成15年12月14日が発見日となっています。勿論、大石先生はその後、この石碑が「千々石ミゲルの墓だと言って間違いない」という所まで徹底的に調べあげています。その調べた詳しい内容についても、これから書いていきたいと思っています。

つづく

ご支援のお願い

千々石ミゲル墓所調査プロジェクトでは、2021年に行う予定の第四次発掘調査費用のご支援を募っております。皆様方のご協力を何卒よろしくお願いいたします。 HP→ 千々石ミゲル墓所調査プロジェクト

ご支援について詳しくは以下をクリック

プロジェクトを支援について 


この記事が参加している募集

#この街がすき

43,544件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?