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林檎

 彼女の事は今もあまり知らないし、彼女も僕の事を今も知らないと思う。

 中学2年のクラス替えの時、彼女とは同じクラスになった。
 快活でユーモアがあって、女子テニス部で高嶺の花だということはクラスの端っこで毎日同じメンツと漫画の話をしていた僕でもすぐに分かった。

 クラス替え後2週間足らずで思春期特有の「冴えない奴弄り」が始まり「ジャン負けで〇〇と話す」と言うゲームが流行り僕も友達も急に女子と話す機会が増えた。と言っても話しかけられて返事をしたらキャアキャア「キモい」と騒がれるようなゲームだ。

 一学期後半、彼女がそのゲームに参加していた。ノリノリと言うわけでも無いが嫌がっている素振りでも無かった。ジャンケンに負けたらしい。僕を指名して絵を描いている僕の机に来る。僕は絵を描くのが好きだった。林檎を描いていた。
「何描いてるの?」彼女が聞いてくる。
捻くれた僕は「絵を描いてる」というそりゃわかるだろ的な返しをムッとしながら返した。
「見せて」と言うと彼女は僕のスケッチブックを取り、ジッと見ると、「ふーん、また見せて」と手渡して元の場所に帰っていった。僕は他のゲームの参加者と同じようにキャアキャア騒ぐのかと思ったが、特に盛り上がる事なくゲームはその後終わってしまった。

 その日以降、彼女は僕の絵を見に来るようになった。美術の授業、給食時間、帰りの会、ただ僕の絵を見に来ては「何を描いているのか」を聞いて、数分見た後「また見せて」と言って席に戻る。その頃には僕も少しずつではあるが話すようになった(とはいえ、何を描いたか答えるくらいだが)。

 2学期に入った。始業式の日に美術コンクールの絵を提出する。学級委員である彼女が僕の絵を回収した。少し遠くに座った彼女は僕の絵を職員室に提出するまでの朝の会の時間中ずっと見ていた。

「別に悪意はないんじゃないかな、ミゲルに」
他クラスの幼馴染のヒロは散歩しながら話す。
「彼女が僕の絵を見てくるが裏でどうこう言ってるんじゃないか」と僕話したからだ。卑屈だった。
「話してみたら?」
「うーん、頑張ってみるよ」

 結果、頑張れなかった。2学期中も彼女は絵を見に来ては「また見せて」と言って去っていくだけでら僕は何も前に進めなかった。修学旅行でもバスで通路を挟んで隣になったのに「何を読んでるの」という問いに対して「ビートルズの本」と答えるだけだった。
 それ以外は他のクラスメイトが彼女に告白する為に僕を使いっ走りにして呼び出すように言われその時に一言二言言葉を交わしただけだった。
「あ、あのさ」
「何?」
「坂本が呼んでるよ」
「坂本君が呼んでるの?じゃあいいや」
「そっか。伝えとくよ」
僕はどこかで安心していた。どこかであの関係性崩れる事が怖かった。

 3学期も変化は無く、あっという間に過ぎ、クラス替えがあった。幼馴染のヒロと同じクラスになったが彼女は違うクラスだった。
僕は受験生になって塾に通い、絵を描く時間が減った。
 ある時、彼女が僕の通う塾の前に友達と立っていた。もう僕は多分忘れられたというか、別に話すことないだろうとそのまま話し掛けず帰った。その数日後、何故か彼女と同じ部活の女子が帰り際追っかけて来たが僕は何故か逃げてしまった。

 2学期に入って転機は起きた。
急に同じ班の僕を弄ってくるハガが「彼女がお前のこと好きだってよ」と急にみんなの前で僕に話し始めた。僕は「なんだそれ」と言ったものの内心舞い上がっていた。ああ、やっと話せる。今まで話したかった事も聞きたかった事も。何か描いてプレゼントしよう。そうだ、絵を描こう。彼女が最初に見てくれた林檎の絵を。
 僕は塾の時間も先生にお願いしてこっそりと林檎を描いた。その次の日もその次の日も。一つの林檎を丁寧に描いた。完成後、昼休み彼女のクラスに林檎の絵を持って行ったが勇気が出ずにずっと彷徨いては5限のチャイムが鳴った。次の日もその次の日も。

「こんな事言いづらいけど騙されてるよ、ハガの奴馬鹿だよな、俺とミゲルが幼馴染だって事知らないから俺に話して来たんだ」
絵をを渡せず数週間経ったある日の帰り道、ヒロは急に俺に話し始めた。僕は何故か身体が熱かった。
「部活の集まりで好きな人が誰か話してたらしい。彼女の番になった時、ミゲルの名前を出したらしい『好きな人ってよりはちゃんと話して仲良くしたかった人』って」それを周りが茶化して僕を弄るのが好きなハガの所まで話が行ったらしい。ハガはわざわざその話を聞いて彼女のメアドを入手、僕の事が好きかわざわざ確認までしたらしい。深夜に海辺で一人、林檎の絵を燃やした。よく燃えた。

 それ以来僕は彼女と廊下ですれ違っても避けるような態度を取るようになった。
 ハガにはバレンタインデーにゲテモノを混ぜたチョコを後輩女子からの贈り物に見せかけて食べさせた。ハガと同じ土俵に上がる事で何かケジメをつけようとしていたんだと思う。そうする事で彼女と話せない事を何とか昇華したかったんだと。何も報われなかった。

 高校生になって勇気を出してFacebookで友達になった。特に変化はなかった。
 友人が「彼女、絵を描くのが趣味みたいだよ、ミゲルの好きな映画とか漫画も好きだったんだよ、ハンニバルとか楳図かずおとか。勿体ないことしたな」と言われた。Twitterで見かけたらしい。間接的に彼女を知る事は良くないと思い僕は忘れるようにした。

 大学生になった。よく話す人間になった。煙草を吸うようになった。名前も知らない先輩に依頼された浮気調査や人探しなど便利屋みたいな事もした。同窓会があって、彼女を見かけた。全然話しかけられなかった。数日後、夜中にFacebookのメッセンジャーで連絡を入れた。
「夜中にすみません。僕のこと覚えてますか?中2の頃同じクラスだったはず」
「分かるよー!」
話は進まなかった。それでも充分だった。覚えてくれているだけで何故か良かった。

 彼女とはそれ以来関わりはない。彼女が何故僕の絵を見に来ていたのか、僕と何故話したかったのかもわからずじまいだ。最近、彼女のことを思い出して気持ちが悪いがネットで名前を検索してしまった。ルールを破ってしまった。
 彼女は医療関係者になって癌の研究をしているようだった。僕は無難な仕事に就いて無難に生きている。どんどん彼女は遠くに行っている気がする。というよりそもそも違う世界の人だったのかもしれない。でも、この文章を書いてるうちにまた会えるような気がしてきた。その時は付き合いたいとかそういうのじゃなくて、友達になって色々な話をして林檎の絵を渡せたら最高だなと思う。

 今からでも「また見せて」が「また話そう」に変わった時に彼女の事を知れるかもしれないし、僕の事を知って貰えるかもしれない。

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