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シェアと引用

 今まで様々なnoteを書いてきたが最近ふと思った問題の一つにシェアをしたときは相手に知らせるべきかというのがある。

noteにはTwitterのようなRT機能はないし、ましてやRTされましたなんて通知はない。その代わりになっているのがシェア機能だ。


シェア機能とはその書かれたnoteのURLとともに各SNSに転載する機能のことだ。webメディアの記事やブログなどなどで最後についているおなじみのあのボタンである。noteのシェアとしての転載先は主にTwitterやFacebookで、後ははてなブックマークやその他と言った項目がある。さてそんな中シェアをひとつしたところでURLを貼るという行為にすぎないのであり、書いた本人にはシェアされたなんて通知がくるはずもなくそんなのは知るよしもない。

 ただシェアをされたら気づく場合もある。自分の場合の例でいうならあるnoteに対しての一日の動きがいつもと何か違うように感じた。というのもいつもとスキのつけられ方が違うといった違和感を感じたからだ。この違和感を解消すべく軽くエゴサしたところ、一つのTwitterのつぶやきが見つかった。・・・あぁ、これが元だったか、と密かなところで納得した。

 この例は正直ストーカーじみた心配性がなせる技であるが、どんだけアレなんだこいつという一例でもある。まぁ密かにシェアされたところで調べれば意外と伝わるものかもしれない。

でもだからと言って伝えるべきなのかどうかはまた別問題だ。本人に直接言うのは意外と恥ずかしい。でも他の人に知らせたい。そんな葛藤が詰まっているような気がする。

もう一つ似たような問題がある。「引用」だ。自分も過去にいろんなnoteで皆様のnoteを引用してきた。代表的なところで言うと告知として使った、「さらに広がるnoteの世界」(すべての企画は今月も募集されています。ぜひ興味のある方は参加してみてはいかがでしょうか)がある。また、あるnoteを見ていて感じ思ったことがあったので書いた「RT的引用」なパターンもある。最近だとレイアウトが気になった「限られた中での表現力の高さと二回目と」がいい例だ。


この時もやはりシェアと同様相手にも知らせたほうが良いのかという問題が付きまとう。ちなみに自分が引用したものについてはほとんど相手に知らせていない。ただ一部のnoteについては相手も自分のことをフォローしているのでおそらく気づいてくれるだろうという期待値がこもっていたりする。

シェアと引用、noteに限らずSNSにおいてつながる手段として非常に有用なものだ。さて、今後も何もなければ知らせないと思う。ただ知らせないが故に自分の知らないところで何かがうごめいている・・・そんな感触を味あわせているのかもと思うやはり知らせるべきなのか。


#日記 #エッセイ #コラム #シェア #引用

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