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救われる本

今世紀も未来も文学を諦めたくない、見限りたくはないから、最近出版されたものでも台湾や中国、メキシコ、南米、アフリカなどでは良い作家や作品にも出会えたので。前回までの落胆が大き過ぎたので、本当にすがるような気持ちで、このイスラエル短編傑作選を手に取った。

もちろん古典(旧約聖書や民話)由来のスピンオフやショア(絶滅政策)やキブツ(生活共同体)経験者となれば前世紀からの作家がほとんどだが、希少な優れたオリジナルのアンソロジーで、やはり海外文学は翻訳者の手腕に拠るところが非常に大きい。ヘブライ語を全く知らない私にさえ、その置き換えられた日本語の文章の巧みさが伝わって来るほど上手い。ただ訳すのではなく、文才のある人を通せばこんなにも作家の魂が近く感じられ、理解が高まるのかと感嘆させられる。作品それぞれも然ることながら、各作品ごとに添えられた解説がすこぶる秀逸で、以下にいくつかそのまま挙げたい。

「児童文学のノーベル文学賞ともいわれる国際アンデルセン賞を受賞している。オルレブの作品にはショアもの、そうではないものに関わりなく、生き残ろうとする意志、信ずるものを守ろうとする姿勢、マイナスの条件をプラスに変え得る柔軟な精神や人間としての尊厳が一貫して流れている。一九九七年に来日したオルレブは、「ショアをカッコ付きの固定観念や感傷で論じてほしくない」と言い、「ゲットーでも収容所でも私たちは生きて、普通に暮らそうとしていた」し、 「世の中はパラドックスに満ちている。ひとつの定規だけで測っていてはつまらない」と強調した。」 

「本作品は最初の作品集『太陽を摑む・伝説と短編』(一九八四)の表題作。日々の暮らしに隠れていたものが不意に照らしだされる、悟りにも似た神秘的な瞬間がある。しかし、啓示のような神秘的な瞬間は、その一瞬が過ぎると、また日常に埋もれて見えなくなる。 時宜を得ない行動がもたらす災厄も迷路に似ている。 硬質で透明な筆致が、切ないような共感を読後に呼び起こす佳作である。 詩を書き、ユダヤ教の典礼を講ずる著者の若い日の姿が投影されているようでもある。ついでながら、 エルサレムには本編にあるような区画や路地が多い。迷い込んで、ぐるぐる同じ場所をまわることもしばしばある。」

「作者のツェマフも風変わりな世捨て人で、変人だったらしい。短編集『見知らぬ声』の著者紹介には、〈現実から遊離した場所を舞台にしている作品でも、既知の現実領域に視線を投げかけ我々を日々に悩ましている問題を、個人的だったり倫理的だったり政治的だったりする問題と一体化させてみせる。作品のそれぞれが、いまここにある我々を取りまく身近な問題に新たな光を投げかけている〉とある。まさに本作品の解説ともいえる手際のいい説明である。実際、「変人」と片づけてしまうには惜しい洞察に富んだシニカルな目線を感じさせる作品をものする、不思議な哲学者にして作家である。」

「たいていのイスラエル人女性は家の外で仕事をしていて、多くの女性作家が家庭や男女をテーマにする。しかしオルリ・カステ=ブルームは、夫婦親子間の軋轢や女に生まれた恨み節や、フェミニズムを唱えない。戯画的に教育ママを、あるいは、各国在住のユダヤ人の生態を皮肉に醜悪に描くことはあるが、持ってまわった難解な文章を避け、平明な語り口で社会通念や常識、貴族趣味や衒学的な物言いを小気味よく皮肉る。現実の中にシュールな世界を描出したり、ユダヤ人が信奉してきた「文学」でインテリの深層心理を揶揄してみせたりする。

本作品は短編集『おぞましいあたり』(一九八九)所収。 「狭い廊下」は現代病ともいえる潔癖症を描いて、コロナ禍を経験した「いま」に通じる。」


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