Naked Desire〜姫君たちの野望

第一章 心の壁-23

〈お姉様、おはようございます〉
〈おはよう、エミリア〉
アタシがディスプレイ越しに挨拶したのは、エミリア・パトリシア・クラリッサ・アリアンナ・フォン・ゾンネンアウフガング=ホッフンヌング。私の妹である。
だが彼女は、実の妹ではない。旧スイスを地盤とする貴族・ローゼンミラー男爵家からやってきた養女である。
〈あの、お姉様……今晩の晩餐会について、なにかお耳に入っていますか?〉
私に話しかけるエミリアの表情は冴えない。
〈いいえ、私は何も聞いていないけど、なにかあるの?〉
〈そうですか……何も聞いていないのですか……〉
〈なにかあったのね?〉
朝っぱらから、イヤな予感がする。心臓が早鐘を打つようにドクドク、ドクドクと鳴る。呼吸も苦しくなる。
〈とにかく、ここで話せることではない、というのは確かなようね〉私がエミリアに話しかけると、彼女は小さな声で〈ハイ〉と返事をした。
なにか重大なことを知っているけど、通信で話せることではないと言うことは、妹の表情からもわかる。盗聴の恐れがあるからだ。
〈わかったわ。10時に、私の執務室に来てちょうだい。そこで話をしましょう〉
〈はいお姉様。それでは、10時にお姉様の執務室で〉といい、エミリアは通信を切った。
フーッ、なんだって厄介事が次から次へとやってくるのかなあ……
アタシは再びベッドに横になり、背伸びをして深呼吸をした。
思い切り上半身を起こすと、アタシはキャビネットに置かれているベルをチリン、チリンと2回鳴らした。すぐさま、私付きの女官が、ベッドルームに入ってくる。
「お目覚めですか? 皇太孫殿下」彼女は恭しくお辞儀をした。
「おはよう。今日もよろしく。支度をするから手伝ってほしいの」
そう言いながら私はベッドから降りると、バスタオルを体に纏い、バスルームに入った。
バスタブに身を浸しながら、私はこの国で起きた、過去半世紀の出来事について、あれこれ思考を巡らせた。
セザール=ソクラテス5世薨去後、我が国は2人の皇太子を「謀殺」という、最悪の形で喪った。表向きは「事故死」として発表されたが、真相は今も藪の中だ。
そして、そのうちの1人は、アタシの父親である。
父親である皇帝と仲が悪く、皇太子を疎ましく思っていたこと。
セザール=ソクラテス5世を理想の君主として尊敬していたこと。
保守派と激烈な権力闘争を繰り広げていたこと。
そして自分だけでなく、妃も謀殺されたのも、2人に共通している。
違うのは、最初の皇太子「謀殺」では妻子も犠牲になったが、二度目の「謀殺」発生時は、アタシが生き残ったことだ。
皇太子が暗殺された時、エッケハルト4世も現皇帝も、首謀者を捉えて処罰したと内外に告知した。にもかかわらず、今現在もアタシは、敵勢力から命を狙われ続けている。
誰が私の命を狙っているのか、おおよその見当はつく。
たぶん黒幕は、「復古派」と、彼らと繋がっている連中だ。アタシの父は復古派に厳しい態度をとったため、それが原因で夫妻共々命を落とした。そしてアタシはその皇太子の遺児だから、彼らにとっては目障りなのだ。それ以外、なにが考えられる?
両親はせっせと「夜の公務」に励んだのだろう。
しかし、二人の間に生まれた子どもは、アタシ一人だけ。
皇太子夫妻が謎に満ちた最期を遂げ、この上アタシの身の上になにかあったら……と思う宮廷関係者も、少なからずいた。だが復古派にとっては、アタシの存在が目障りなのは変わりなかった。
エミリアが宮中にやってきたのは、そんな時期だったっけ……
そんなことを思い出していたら、立体表示機のディスプレイが光った。
「皇太孫様、もうそろそろお召し替えをしないと、お時間が……」
ふむ、もうそんな時間になったか。
「わかったわ。準備するから手伝ってちょうだい」
あたしはそう言うと、素早くバスタブから立ち上がった。
女官たちの手を借りて着替えと食事を済ませ、執務室のある宮殿に向かう。

コン。コンコン。コンコン。
2825年5月18日木曜日 午前10時5分前。
私の執務室のドアを、リズミカルにノックする音が部屋に鳴り響く。
「通しなさい」私が慇懃な口調で、そばに控えている侍女に伝える。
侍女がドアを開けると、白のペプラム・ブラウスに紺のスーツを羽織ったエミリアが、執務室の中に入ってきた。
顔色も冴えず、歩き方も亀のようにノロノロしている。
「おはよう」
私が声をかけると、エミリアは作り笑いを浮かべた。
「皇太孫殿下、おはようございます」
「ここでは『お姉様』でいいのよ」と私は言うと、義妹は戸惑う口調で「は、はぁ」と返してくる。
「ごめん、少し外してくれないかな」私は侍女に命じると、彼女は即座に席を外した。

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