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『お金=信用』の本当の意味

「お金は『信用』です」とか、「お金は『貸し借りの記録』です」とか、そういうフレーズをいろんなところで聞くけれども、今一つピンとこないことって、ないでしょうか?お金は物々交換の代替品として使う「交換に便利な物品」のことだと思ってませんか?

このあたりの意味を誤解していると、いろんな人が言っている経済政策を理解するときにも、自分がビジネスをする上でも、正しい判断ができません。

以前、『黒板経済』として動画でアップした内容のエッセンスを、文章に起こしたいと思います。お時間があって、物語り調で動画を見たい方は、動画の方もぜひご覧ください。→黒板経済シリーズ

「ツケ」がお金の始まり

ある小さな村をイメージしてみてください。その村には、漁師さんと大工さんがいます。

漁師さんは、大工さんに家の修繕を頼もうとしました。ただ、その時に漁師さんは大工さんに渡せる魚を持っていません。「家を直した貸しの分だけ、今後、魚を届けるようにしてくれたらいいよ。」という約束で、大工は漁師の修理を引き受けました。

さて、これが何を意味するでしょうか?

「家の修理」と「獲れる魚」を交換していますが、大工は漁師が後で魚を届けてくれることを信じているからこそ、その交換が成り立っています

村人の間の貸し借り。平たく言えば、ツケですね。

借りっぱなしは許さない

さて、ツケの取引が成り立つのは、そのツケを返してくれることを信じているからこそでした。村の人数が多くなり、そのツケを返さないかもしれない相手と取引する場合、どうすればいいでしょう?

そのツケを、村長に記録しておいてもらうことが考えられます。誰が誰にいくらの貸し借りがあるのかを記録しておき、もしいつまでたっても返さない場合は、タダ働きさせる等、何らかの罰を与えるようにしておくのです。

この村長の貸し借りの記録を機能させるためには、村長が借りっぱなしの村人たちに強制的に罰を与えられる実力を持っていないといけません。

つまり、借りを強制的に返させることのできる実力があるから、貸し借りの記録の効力が成り立ち、信用度のわからない他の村人と取引できるのです。

貸し借りを効率的に記録する

村長の貸し借りの記録に、「漁師Aは大工Bに魚X匹分の借りがある」みたいなことをズラズラと書いていたら、それこそ膨大な記録をつけておかないといけません。また、魚X匹と言ってもどんな魚なら良いのか等、どのように借りを返すのかの内容についてモメる余地が残ってしまいます。

なので、これを数値化して記録することにします。たとえば、「漁師Aは大工Bに10万円ぶんの借りがある」というような具合です。ここで、「円」という通貨の単位が導入されました。

それでも、記録は村人の数の二乗に比例する分だけ必要なので、まだ煩雑です。そこで、すべての貸し借りを村長を介するようにしてしまいます。漁師Aと大工Bが10万円の取引をする場合、次のふたつを記録します:

「漁師Aの村長への借り10万円」
「大工Bの村長への貸し10万円」

これで、村長が管理する貸し借りの差引金額を、村人の数だけ管理していれば済むことになりました。

取引のたびに村長の家を訪問するのは大変ですから、村長は「村長への貸し※1万円分の券(村長印)」という紙を村人に配布することで、わざわざ村長の家に行かなくても、その紙で貸し借り関係の移動ができるようにします。

『1万円札』というお金の完成です!

紙幣という紙切れは、その紙自体に価値があるわけではなく、返済の強制力を持った貸し借りの記録を効率的に流通させるためにあるのです。

(※「借り」の方を書いた紙を村人に配っても、そんなものは捨てられてしまえば終わりですからね。紙で配れるのは、「貸し」の記録だけです。)

お金の配り① 信用創造

さて、お金の仕組みができたのはいいのですが、村長は村人にお金をどうやって配るのでしょう?

その一つとして、村長からお金を借りるというやり方があります。ここで、「村長の貸し借り記録帳」が復活します。村人Aが村長にお金を借りる場合、村長の記録帳に、「村人Aは村長に借り100万円」と書くことと引き換えに、100万円分のお金を作って、村人Aに渡します。

ここで注意してもらいたいのは、村長はどこかからお金を調達してくる必要はないということです。自分で発行しているのですから。

村人Aはこのお金を使って他の村人から物やサービスを買うことで、別の村人たちに次々とお金が行き渡ります。

これを現代的な言い方で言うと、「信用創造」ということになります。

ここで、「融資」との違いに注意してください。村人Bが村人Aにお金を貸すのと、村長が村人Aにお金が貸すのは違う行為です。前者だと、貸した時点で村人Bの側のお金が減るので、村のお金の総量は増えていません。

現代的な信用創造は民間銀行で行われますが、これは法律で元本保証されている銀行預金口座を持てるからです。政府に元本保証されている貸し借りの記録=お金です。なので、銀行預金はお金の一種です。

政府から信用創造機能を分離して、任されている民間組織が銀行です。信用創造の機能において、銀行は政府の代理店のようなものと言えます。

ちなみに、元本保証の預金口座が作れないノンバンクにできるのは、融資だけであって、信用創造はできません。ノンバンク=村人Bの立場です。

お金の配り方② 公共事業

お金の配り方のもう一つとして、村全体のために貢献することをやってくれた人にお金を渡す、というやり方があります。例えば、大工が村の川に橋を架けてくれたり、農民がみんなのための備蓄米を村の倉庫に納めてくれたりしたときに、その報酬として配るのです。

その大工と農民は、もらったお金を他の村人に支払って物やサービスを買うことで、別の村人たちに次々とお金が行き渡ります。

これを現代的な言い方で言うと、「公共事業」ということになります。広い意味では、公務員の給料もこれに含まれます。

こうやって配ると、お金の発行残高がどんどん増えていくばかりになります。ところが、村長の借りを強制的に返させようとする人はいません。そもそも、お金の仕組み自体が、村長が村で最強の実力を持っていないと成り立たないのですから。

しかしよく考えてみれば、公共事業は村全体のために何かをした報酬なので、この借りは返さなくても村人たちに文句を言われる筋合いはありません。

つまり、お金は村全体に対する貢献ポイント制度のような意味合いも持っているいうことです。村のみんなに貢献した人には、その他の村人が恩恵を与える、っていうのはごく自然なことですよね?それをお金で表現した、ということです。

このような理屈だと、当然、公共事業は村のみんなの役に立つことに限られます。村長は、事業の内容が特定の誰かだけのためにならないよう、よく考える必要があります。

つまり、公共事業で気にすべきは、「収益性」ではなく「公平性」ということになります。

税金の意味

さて、ここまでお金の話をしていたにもかかわらず、税金の話は出てきませんでした。上記までの説明では、税がなくても貨幣制度は成り立っています。では、なぜ税が必要なのでしょうか?

それは、下記の3つの理由からです。

税金の意味① 物価上昇を抑える

一つ目は、民間がお金を使いすぎて、モノの値段が上がりすぎてしまわないようにするためです。

物価上昇とは、お金の価値が低下するということです。せっかく貯めたお金の価値が、次の月に半分になってしまうような状況では、お金の価値がすぐになくなってしまうと思われて、誰もお金を欲しがらなくなってしまいます。

そこで、利益に対して税金をかけることで、仕入れたものを高すぎる値段で売るのを抑制します。

日本の所得税では、収入から経費と生活費(基礎控除)を除いた利益分に税金をかける仕組みになっています。つまり、自分の生活費を大きく上回る値段を上乗せすることで過剰に利益を得る行為、これを戒めているわけです。

税金の意味② 金持ちが儲けすぎないようにする

二つ目は、金持ちが儲けすぎないようにするためです。

収入から経費と生活費を除いた利益は、貯蓄となります。人が将来の生活に対して安心感を持つためには、多少の貯蓄は必要です。

しかし、利益を乗せすぎて過剰な貯蓄をした場合、その後の本人の一生だけでなく、子孫までが働かずに暮らせるようになってしまいます。また、金を欲しがるたくさんの人たちを意のままに操ることができるようになるため、大きな権力を持ってしまいます

そのため、過剰な貯蓄に厳しい税金をかけることで、これを抑制します。

日本の所得税の仕組みは原則として超過累進税率となっており、利益(=貯蓄増加分)の高額部分に対して最大55%が税金として徴収されます。
(その累進性に穴がある話は、こちらの記事で。)

税金の意味③ やりすぎてほしくない行動を抑制する

利益を上げすぎる行動については、前述の2点で抑制されますが、そのほかにも民間に抑制してほしい行動がある場合は、その行為に対して税金をかけます

国の有限な資源や公共サービスを使いすぎないようにするための税金、健康を害するような嗜好品を抑制するための税金などです。

前者は、自動車税などです。水道料金等の公共料金も広い意味ではこれに含まれます※。後者は、酒税、たばこ税などです。

誤解してはいけないのは、これらの税金は「財源」のために徴収しているのでは全くないという点です。政府が国民にサービスを提供するのは、公共事業としてお金を発行して行います。税金を徴収するのは、あくまで使い過ぎの抑制のためです。

※その意味で、公共放送の受信料は、一人一人の視聴が何かの資源を消費するわけではありません。過剰な視聴を抑制したいのでない限り、視聴行為に対して税金を取る意味はありません。

まとめ

『お金=信用』とは、「他の人に対する貸しがちゃんと返ってくると信じられること」という意味です。現金紙幣は、その貸し借りの記録を便利に流通させるための紙切れです。税の目的は、お金の流れと人の行動を望ましい形に調節することです。

『お金=信用』の意味について、皆様のご理解の助けになれば幸いです。

以下、ディープな話になります。ご興味を持っていただけたら、恐縮ではありますが、私が勉強するための教科書代等としてご支援を頂き、この続きをお読みいただけるとありがたいです。

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