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今興奮が収まって、ちょっと涙ぽろぽろになってまいりました。良かったら聞いて下さい。(長文です)

今日は世界各地のジャズ作曲家が講義するサイトに呼ばれて4回目のロング講義でした。311の体験を元に書いた組曲をどうやって書いたのか、その秘話を初めて話しました。この話は心のエネルギーをものすごく使うので、今までちゃんと講義したことは日本語でもなくて、初めての体験。

Jazz Composers Present 本当に素晴らしい内容を提供しています

結論から言うと、ものすごい数の方が視聴してくれたんだそうです。質問も、良い質問がたくさん寄せられて、一生懸命答えて、70分に渡る熱弁となりました。司会者からもプロデューサーからもめちゃくちゃ褒められました。

ジャズはアメリカで出来た音楽。奴隷の歴史から産み落とされた魂の音楽。黒人男性がやるのが一番"らしい”と言われる音楽で、次は白人男性。日本人の女子にそんなのできるわけないと何度も日本で差別の言葉を言われ、アメリカでもイヤな目に何度もあったっけ。

なんで辞めなかったのか分からないけど、結局今、私はここにいて。

このサイトで最初に講義させてもらったときは本当に嬉しかったな... 。

文法に間違いがあっちゃいけないと思い、めちゃくちゃ一生懸命準備して、毎回挑んだよな。一語一句原稿書いて、推敲して、読みあげてみて分数測って、それを何度もくり返して。数回前からは図解にも凝るようになって、それを凄く褒めてもらえたな。

↓ この時とかお相撲さんとサムライの図まで出しちゃったりして ↓

今日はこれまで正しく伝えられるか不安だったから避けてきたテーマ...でも本当はどうしてもやりたかったテーマ「人生でものすごく辛い事があった時、それをどうやって曲にするか」について話して。だから取り上げたのは311の組曲のこと。

大好きで大事な友だち 高橋匡美 さんと千葉かぜまるさんのお話に基づいた曲を紹介して。

かぜまるくん、きょうみさん、そして私
一番最初の撮影ありインタビューのときにスタジオにて。

きょうみさんは津波でご両親とご実家を同時になくされて。かぜまるくんは、きょうみさんの御子息で、二人は亡くなっていたきょうみさんのお母様(かぜまるくんにはおばあさま)を瓦礫の中から見つけることになってしまったのです。なんてつらすぎるお話なんだろうか。そこから鬱になってしまったきょうみさんが、どうやって日常生活を送れるようになっていったか、息子としてかぜまるくんはどう寄り添ってきたのか…。息子という立場を離れたとき、かぜまるくんは、どのように生きている方なのか…。

インタビューは合計8時間分くらいあるから、それを曲にするのは簡単じゃない。でも私は最終的に曲を作ったわけだ。

↑ 全部で11曲からなる組曲を作りまして、そのコンサートはこちらでご覧いただけます

お二人は親子だけれど、お二人それぞれの曲を1つにまとめずに別々にした理由や、お話のどのポイントをどう音楽にしたかなど、スコアや楽譜などの資料をまじえてお話して。

シェアしたスコアの中から

今回はじめて、原稿を全部書かずに挑んで。だってこのプロジェクトは私の魂のプロジェクトだから、原稿を読み上げるなんて出来ないし!なので文法が間違っててもいいや、とにかく、頭と心と全部なげうって全霊で挑むんだ!!!

とやってみたら。。。

どうしてなんだろうな?

すごい数の方が見に来てくれたんだって。本当にすごいよな。なんだろう、神様からのご褒美だったのでしょうか。


ちょっと思い出してほしいのですが、私は音楽大学行ってないのですよ。日本でも米国でも。作曲は独学で、36歳になって初めてJim McNeely先生に習いました。英語は35歳位でやっと本気になって、これまた36歳くらいでやっと喋れるようになって。そういう人でも頑張り続けると、こうやって、作曲家の人たちが講義を来てくれるような存在になれるんだ、ってなんて凄いことなんでしょうか。

ほんと、どうやってここまで来たんだろう?

いっぽいっぽ眼の前に出てきた目標に体当たりで取り組んで、ほっそい綱渡りを落ちないように毎回頑張って歩いてわたってきて、わたり終えるたびに気を失うようにして体調不良になってのくり返しだったよな...。

と、振り返りを書いていたら、たまたま私が大好きでたまらないサックス奏者の大スターから連絡が。そして、この私の日記を知っているかのようなメッセージ。

「誰かがあなたにラベルを貼ったり狭い場所に閉じ込めようとしても、絶対従っちゃだめだ。やりたいようにこれからも、やっていって。」

オバマ時代にホワイトハウスでも演奏したことがあるこの方は、どうしても一度共演したくて去年初めてお仕事お願いして。今では昔から知っているような仲だけど、去年の今頃はまだ一度も対面で会ったことがなかったんだよなあ!!!!

私は「絶対にやっていく!誰かが箱に閉じ込めても、箱なんて壊してやる!」ときかん坊な返事をしたら喜んでくれました(笑)。

結論とかないのですが、私はなんのために生きているかというと、希望を世の中に増やしたいのです。

明日は素敵なことがある日だと思って眠りにつける人の数が増えたらいい--そのために私はなにをできるか、ということをいつも考えています。幸せだな私の人生はと思う方の数が増えるように、今日もできることを精一杯やりました。明日も精一杯やります。

どれだけ一生懸命かを音楽の神様が見ていてご褒美をくれた日だったのかな。偶然にも今日は春分の日。これからたくさんの音の花が咲いていくのかもね!

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