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諦めと後悔と未来と今と

こんにちは!小守みふゆです。
私は喫茶れんたるという事務所で人にレンタルされるという変わった活動をしています。

喫茶れんたるに関してはこちらを


入るまでの経緯はこちらをご覧ください。


さて、私事ですが今夏、友人が誕生日を迎え20代最後の歳となりました。
そこで、自分が20代どんな風に過ごしてきたか振り返ることにしたんです。あと一年、最高の一年にするには?と。

振り返れば波瀾万丈

20代前半といえば大学生!人生の夏休みとはよく言ったもので。言い得て妙だと思います。最初に言った方は存じ上げませんが、素晴らしいセンス。

私も夏休みのような日々を送っていました。
大学も3年生になれば授業数も減り、サークル活動にアルバイト、そのお金で沢山遊びもしました。

20歳の春には初めての彼氏もできて、私の人生でこの頃を指すならまさしく春や夏のキラキラした眩しさがあったと思います。

でも楽しいときはあっという間。
人生には若いときほどすぐ壁がやってきますよね。

攻略に悩んだ壁は就職活動。
私が実はやりたかったのは表現する仕事。
だけども、そこらの大学のメディア学科を卒業したくらいじゃ難しいんですよね。
しかも22歳くらいになると、芸能や芸術をこれから始めるというには世間的には遅いと言われてしまう。
本当はやりたいことあったけれど、蓋をしました。

世間の声、親の声、私には反発できなかったんだよなぁ。

表現が好きだったあの頃 1

ちょっと20代から時を戻して、お話をさせてください。

小学生のときの私は表現が今よりもっと好きだったし、今よりもっと自由に妄想をしていました。

作詞作曲を同時にして歌を歌ったり
学芸会の台詞に感情を込めたり
小説を読んで感想文を書いて、その後はその小説の中にはいったり
絵を描くのも好きでした

今でも覚えてるのは家庭科の親子丼の出来上がり図の模写。
小学生にしては上手かったらしく皆んなに真似していい?って聞かれてノートがまわりました。
後輩に手作りカレンダーを送るときもクレヨンを指に塗ってぽんぽん押して描いてたらこれまた皆んなが真似してくれました。

東京都の美術館に図画工作の作品が展示されたり
卒業したときだけど某お茶の俳句が佳作に選ばれたり
その頃は自分の表現が評価されるのがとっても嬉しくて、いつか何かを作ったり表現したりするお仕事に就くのが夢でした。

表現が好きだったあの頃 2

中学、高校と夢は途切れることなく
やりたいことを親に言っては「まだ子供なんだから」と諭され諦める日々が続きました。

それでも、まだいいかって思ってた自分がいたのも事実。
でも大学生になって焦るんです。もう時間がないって。

気がつけば自分が何をしたらいいか、何が好きなのかわからないままに就職活動を迎えていました。

就職活動をするからには、なんでその仕事をしたいか大義名分がないといけません。
いけないということはないのだろうけれど基本的には必要とされると思います。

私は過保護な親元に育ち、いつのまにか周りにだけではなく自分にも嘘を吐くのが得意になってしまっていた気がします。(今は自分ひとり、のびのびと嘘を吐かなくても自分らしくやれていると思います)

私は自分の本当の本当にやりたかったことに蓋をして、少し前から気になっていた広告代理店への就職活動を始めました。

でも取り繕った大義名分は、本気の人達に勝てるわけなく圧倒的なやる気の差に潰されてしまうことになりました。

そこで駆け込んだ就職活動サポート企業
「何をしたらいいのか、わかりません」
そう言った私に、まずは自分を知ることから始めましょうと話して、向き不向きの分析をしてくれました。

ここで紹介された会社に無事内定をいただき、
私も「どこに入るにしても勉強は必要、同じだから向いてるならそれがいい」と決めて、SES(システムエンジニアの派遣を主とするサービス)の会社に入ることとなったのです。

今思えば、ここで"向いている"と"やっていける"とか"得意・好き"は違うことに気がついてほしかったです。

タイムマシンで過去に戻れるなら、沢山戻りたい地点はあれど、一つの候補ですね。
でもそれが今の私を作ってるから良いのかなとも思ったり。人生って巻き戻しできないから、そう言い聞かせてるのかもしれませんが…
過去があるから今があって、今があるから未来があるって今が充実していて未来に希望がある人が言えるんだよなってしみじみ思います。

振り返れば波瀾万丈 2

ちょっと脱線しちゃいましたね。

無事新卒で入社した私はここからエンジニアとして働いていくぞと、初めこそハツラツと働いていました。
研修の成績は新卒中途合わせたその年の新入社員の中でもトップを争い、研修終わりの所属部署も希望の部署、さらにその中でもエリート課と呼ばれる課に所属することとなりました。

その頃からか、自分への期待とかを過度に感じてプレッシャーになってしまっていました。
新卒だし、間違えてなんぼ失敗してなんぼだとは分かっていたものの、先輩方が凄すぎて自分を追い込んでいたのは事実でした。
出来ない自分が当たり前なのに、出来る自分じゃないのが不甲斐なくて苦しくて悲しくて。
気がついたら仕事に追い詰められていました。

体調不良と鬱診断

気がついたら朝起きれなくなっていた。
鬱病に気がつく中でよくある症状でした。
夜、朝が来るのが怖くて中々眠れず、もちろん朝は起きられない。それどころか体も動かない。
もっといえば調子良かったあの時も夏バテかと思ったけど心身の疲弊の兆候だったのかもしれない、と思うことはありました。

だんだんと、出社が怖くなり不安感や緊張感で張り詰めた糸のような心でいた私ですが、思わぬところで自分が鬱なんだと知りました。

それは、生理不順になり婦人科を訪れたときのこと。とある診断が下されたのですが、先天性でよくあることで特に今問題はないとのこと。
そこで私は「この病気で不順になって不安感とか不眠とかの症状は出ますか?」と医師に相談してみました。
その答えはあっさり、「ありませんよ。もしそういった症状があるなら、心療内科をおすすめします。」とのこと。

ここではなく心療内科か…と思いつつ、不眠だけでも薬で解消できたらと思い心療内科の予約を取りました。

はじめての心療内科、思ったよりも普通の病院でした。先生はよくいるおじさん先生って感じで、私の話を聞いてくれました。
そうしたら直ぐに診断書を出して、これを明日にでも会社に提出して休んでくださいって言われました。

あまりの早さにびっくり。診断書には「抑うつ状態の可能性」と書いてあり、先生からは簡単に言うと鬱病だと言われました。

次の日、会社の直属の上司と課長が同じ案件で仕事をしていたので、少し時間をもらって診断書を見せました。
「私もびっくりしたんですけどね、なんか診断がされてしまいました。はははっ…。」
てな感じでお話ししました。まだ私も実感なくて、本音そのままでした。

そのまま私は療養を始めることとなったのですが、家にいるようになったら、あら不思議!
今までにないドロドロとした不安や恐怖、希死念慮が押し寄せてきて今までより泣いていました。
きっと張り詰めていた糸が綻んだのだと思います。
毎日、親にバレない様に夜中に泣いていました。
時々当時交際していた彼氏の家に行き一人泣く場所を作ってもらいました。ありがとう。あの頃の彼氏さん、私には勿体ない位とても良い人でした。

そして、療養期間が明けて、また仕事を始めたとき。不思議なくらい仕事できる人間に戻っていたのです。テスターだったのですがノルマ件数は余裕でこなせるうえに、バグ報告もばんばん出しました。
上司からも先輩からもとても信頼していただけて、あの時の上司と先輩は今でも大好きです。

そのときは、調子が戻った!と思って過ごしていましたが、今思うと躁状態だったんですよね、鬱だと思い込んでいたので治ったんだと勘違いしてしまいました。
暫くしてその案件が終わり環境が変わった頃、また鬱が顔を出しました。

「すみません、苦しいです」
そう、人事担当の方に話して産業医さんと面談をしました。
私の鬱は治っていなかったんだ…と前の鬱状態のときよりも深い闇に飲まれるようでした。

その後はほとんど、彼氏の家にお邪魔していました。親よりも深入りせず、でも大切に私の話を聞いてくれて、時々気分転換に連れて行ってくれて。
とても苦しかったけど一番心地良い時間と場所でした。

そうして暫く過ごしていたら、また気分が上がってきて「働きたい」と思うようになりました。
でも何をしたら良いかわからない何ができるかわからない。そんな中思い出したテレビ番組「給与明細」でやってたレンタル彼女という仕事。
恋人がいながらやるのはナンセンスなのは分かっていましたが、今の自分には人の話を聞くくらいしかできないと思って彼氏に相談しました。

「やってみればいいじゃん。助けるよ。」
優しすぎやしないか、この彼氏さん…
きっと本当に私が社会復帰しようと頑張っていたのを誰よりも理解してくれていたのだと思います。

さて、そうして所属したのが、あの「よもぎちゃん」と同じ事務所。
さすがの大手、女性としてのいろはや人と向き合うときのあれこれなど様々なことが勉強の日々でした。
そのうち、また体調も悪くなり辞めてしまうのですが良い経験でした。あのとき事務所に入ってよかった。今に繋がるから。

その後はイベントスタッフをゆるゆると行いました。大学生とママさん達と一緒に新たに出来たイベント会場のオープニングスタッフ。
始めた頃はまたきっと躁状態でした。仕事もできて仲間とも打ち解けて楽しい日々を過ごしました。

その後、そこのスタッフをしながらエンジニアの社会人サークルなるものに入りました。前の会社で一緒に仕事をしていた人が誘ってくれて。

そこで刺激を受けてもう一度エンジニアとして働こう、と決意をしてイベントスタッフを辞めて転職活動を始めました。

転職と挫折と

転職したのは未経験も優遇しているという小さな会社、未経験も入れているというだけあって経験者の私は即採用で待遇も良かったです。
でも、そのときは楽しくて気がつかなかったけれど、元気の前借り(躁になるとき)をたくさんしてました。

だんだんと現場への遅刻やミスが増えて、自分自身「あ、くるかもな」って思ったのも束の間、朝起きれなくなりました。
でも会社の人は厳しくて、チャットで起床確認・出勤確認をするように言われました。
休むと、もう休みないよと言われて、限界を迎えてもう働けない旨を伝えました。
そして言われた言葉は今でも忘れません。
「こんなやつ雇ってやれるのウチしかいないよ。他でやってけんの?」って
あぁ、頑張って馴染んで楽しくやろうとしてたのは私だけで本当は私のこと鬱陶しかったんだって、
中身は真っ黒じゃないかって、このときようやく気がつきました。

辞めたらスッキリしました。
なんだ、人間関係とか悩んで損したって。

しばらく療養した後、1番にやりたいことを考えました。
1番にやりたいこと、それは人に伝えたり教えたりすること。何かを作り上げること。自分の知識や思いをアウトプットするのが1番やりがいあることだって気がついて。
そういえば、アルバイトの時も新人研修任されたときに教えるのが上手いって言われたり、
仕事のときもプレゼンが上手いって言われたり。
大学生のときも企画プレゼンはみんな面白いって言ってくれたなぁって思って。
私の表現したいという思いは形を変えて繋がっていました。

そしてそれに気がつき近いことが出来る会社に応募しました。
その会社には無事転職できてたくさんたくさんお世話になりました。
楽しいことも厳しいことも環境が良くて乗り越えられる、そう思いましたが
鬱は怖いです。どんなに頑張りたくても頑張れないんです。楽しくて大好きな会社なのに怖いんです。
会いたい先輩、上司がいるのに怖いんです。

もう無理だって思ってそこもまた辞めることになりました。最後にまた戻ってきてもいいようにと、提案してくれた恩は一生忘れません。
そして私のことを見てくれた上司は今でも1番尊敬する上司です。あんなエンジニアになりたい、と心から思える上司に出会えた場所でした。

友達の紹介と今の仕事

なかなか上手く働けない中、事情を知った友人が週一でいいから自分のコーディングを助けてくれないか?
と提案してくれました。そして今の会社に出会います。
前の会社と違って事業は難しく中々理解できないところもあるけれど、環境は凄く良くて、病気への理解や私のやりたいことの汲み取りも精一杯してくれて、感謝しています。

全てがやりたいことなわけではないから、きっといつか自分がもう少しできるようになったとき、離れるときがくるだろうなとは思っていますが、ここで過ごせた日々も大切な1ページになると思います。

結局のところ最高の1年にするには?

後悔の多い人生だったとは思います。
あのとき、違う選択をしていたら、挑戦をしていたら…たらればが沢山あります。

ならば、20代の残り後悔しない、やりきるしかないと思っています。

まずは発信すること。このnoteもそうですがツイキャスやYouTubeなど今はいろんなことを自分で作って発信できる時代だから。あのときできなかったことも今なら出来るかもしれない。そう思っています。

それから、躁鬱の寛解を目指したいです。
今、自分が躁鬱であることをオープンにしてから少しですが同じような人と関わることができています。これをもっと広げて躁鬱の”うつ”じゃない”躁鬱”に悩んでいる人と一緒に寛解を目指せたらと思っています。

それと、一人暮らしの支援ツールを作るのも夢の一つですが、今は一旦置いておいて、躁鬱のコミュニティなんかもいいななんて最近は思ってます。やれたらやるけどね!

あとは…自分を甘やかすことができるようになりたいです。
難しいんですよね、これ。
他人軸で生きてきた人間なので、自分軸で動けないんです。
自分軸で動けたら少しは楽になれるのかな、なんて思っています。

そして最後に、やっぱり諦めきれない昔からの夢。
自分の世界を気持ちを想いを自分自身で表現すること。これは今のうちに挑戦出来るだけしたいと思います。

ひとまず、この辺ができたら後悔はしないかな。
言ってもまだ20代、今後の私に期待。
無理せず頑張ろうね、私。

長くなりましたが最後まで読んでくださり、ありがとうございます。よかったらいいねや、noteでもTwitterでもいいので感想をいただけると嬉しいです。

小守みふゆ

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