モナスティルの夏、羊の肉と女のドラマチックな人生
「ドラマが欲しい」
モナスティルの外れで羊のバーベキューを食べながら、Sの妻がいう。もっと仕事も人生もドラマチックにしたいと。それを聞いた男たちが往往にして反対するので、おかしくて笑ってしまった。
チュニジアの女たちは活発で働き者だ。
コーランで推奨される事項について、人々は独自の見解を持っており、信仰心の体現はそれぞれに一任されている。さらさらしたヒジャブを折ってゆるやかなカーブで髪を隠したり、露出を控えたり、金曜にはモスクに礼拝に行ったりする。そしてあるいはしなかったりする。
初めてチュニジアの女と話すまで、ムスリムの女は、隠したりうつむいたり、彫りの奥から瞳を覗かせ佇むことで、神さまから守られているのかと思っていた。しかし、持ち前の形の良い唇から歯を見せて笑う姿が、活発で奔放な女の子の雰囲気を感じさせてくれた。
そんなミステリアスさとかわいいギャップを持つムスリムの女が求めるものは、やっぱりとっておきのドラマなのであった。
子供を産んでたった1年半のSの妻の話を聞けば、”重大で人生を狂わすような”変化が欲しいらしい。
まったく、ロマンチスト極まりないなと私は思っていた。父親ゆずりのつながった眉毛がチャームポイントのかわいい息子がいるにも関わらず、彼による変化がこれからずっと続くことが予測されているにも関わらず、すぐそこの金曜に大統領選挙が控えているにも関わらず、もうすぐ夏が終わるにも関わらず、ドラマを追っているのだ。ドラマを。今のままで良いのに、まったく恐ろしい話である。
ところがどっこい私の元にも、9月というものが、律儀にドラマを運んでくれることになっている。
”重大で人生を狂わすような”変化と選択が、17歳の時から毎年9月に起きてしまう。それは望んでいるようであり、また望んでいないような曖昧なものに引き寄せられている。学校をかき乱したときや、就職、フリーランスへの転身、転職など、そういう苦しさと後悔と志をボウルに入れて練りこまねばならないタイミングがくるのである。
ああどうしようか、今年の9月は。ドラマを選択するときが来てしまう、夏が終わってしまう。
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