ケルアンの夏、泣く大人とイスラームの太陽
18歳の夏、初めてチュニジアに渡る飛行機で読んでいたのは、江國香織の『泣かない子供』というエッセイだった。対になる『泣く大人』と一緒に買ったものの、エッセイが苦手で3年ほど読まずに置いていたその本の、『月の砂漠のツアーバス』という章は、彼女のチュニジア紀行文だった。
私が "泣かない子供" として家を出て就職したり、チュニジアに行くことになったりしたのも全て、立派な運命だったのだ、と思った。神様が決めたことなのだから間違いないと。
江國香織が憧れ、江國香織に憧れた通り、ここの月は大変に美しかった。モスクやタイル、絨毯、国旗など随所に月と星のモチーフが散りばめられており、それはイスラームへの信仰を誇らしげに示していた。
ただ、しかしながらこの国では、太陽もなかなか捨てたものではないということを補足せねばならない。白と青の街並みをダイダイ色にする朝日も、昼間の海を照らす太陽も、沈んでしまうのが惜しいほど大きくて赤い夕日も、ちゃんとアラブの世界を見守っている。
夕方、ウェディング・プレパーティために訪れたケルアンという街のメディナーーーモスクを囲う街を、ムスリムの世界でこう呼ぶーーーを散策した。滞在しているモナスティルより少々危ない街だというので、カメラを持ってしきりに写真を撮る私を、友達のSとその妻は不安そうに待っている。
アフリカにイスラームを広める拠点となった、アフリカ最古にして最大のモスクを横目に見ながら、こういうものは入ることができないという現実が、よりロマンを引き立てるのだと思った。
古い石造りの街並みを、老婆に連れられて10歳ほどの子供たちが白いヒジャブを揺らして歩く姿は、なんともチュニジアらしく美しい。
大きくて赤い太陽が下っていくのを、車で追いかける。
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