見出し画像

誕生日には花を贈って、なんて。

きのうで35歳になった。
ふつうに出勤して、ふつうに働いて、1日を終えた。
あんなにいろんなことがあったのに、メッセージをくれた男はひとりもいなかった。こんなもんか、と、思った。
それでも、毎年お祝いをしてくれる家族や、欠かさずメッセージを送ってくれる女友達がいることだけでも、私はとても幸せなのだと思う。

このごろつくづく思うに、
もういろんなことを潔く諦めて、さっぱりと生きたい。
田舎の、亡くなった祖父の屋敷にでも引越して、早寝早起きにヨガを日課として、近所の人たちの話し相手でもしながら毎日蕎麦を打って暮らしたい。なんてことを、まあだいたい疲れた中年期の女は誰でも一度は夢見るものだと思うけど、
地方の暮らしはそれはそれで退屈で窮屈なもので、
どうせ私は飽きてしまう。
そして、なんでもあった東京が恋しくなるに違いない。

一切化粧もせずに、髪も整えずに、店でいちばん安いから買ったような服を着て、
それでいて毎日を楽しそうに暮らしている女たちがいる。
女として身なりを整えていない人を私は長らく奇妙な思いで見ていたのだけれど、
彼女たちの偉大さが今ならわかる。
美人と言われようが、ブスと言われようが、彼女たちの幸福は揺るがないのだ。
男にきれいだなんて言われなくていい。
恋愛なんてファンタジーでいい。
美しい女をどこか別世界の生き物のように思っていて、たいした嫉妬も羨望もない。
「生まれ変わったら美人になりたいわー」なんて呑気なことを言いつつ、実際には美貌を手にしなかった我が人生にさしたる不満もないような、
そういうものに私はなりたい。

彼女たちの感受性はおそらく、一輪の花にも幸せを見いだせるようにできている。 
それは彼女たちの賢さであり、紆余曲折を経て身につけた、人生に対する示しの付け方なのだ。

私は老いたくなんてないけれど、
それ以上に若さにしがみつくか弱さに勝ちたかった。ほんとうは。
自分の女としての市場価値に振り回されない心を獲得したかった。ババアとして堂々と開き直りたかった。
それなのに私はいまでも、目の前にある一輪の花を無視しては薔薇の花束を欲しがりながら生きている。


1日で急に老けた気がした。
対策を講じるべくネットリサーチをしていたら、年齢とともに減少して行くヒト成長ホルモンを補填するサプリメントがあるらしい。有名な美容家の女性が勧めていた。1ヶ月分で19000円。
ネット通販はやっておらず、大型のドラッグストアにも置いていない。都内でも扱っている店舗はそう多くない。
ときどき受けているプラセンタ注射と、どちらが費用対効果が高いだろう?そんなことを考えながら、自分が近いうちに販売店へ走ることもわかっている。

いつになれば諦めがつくのだろう。と、浅い絶望を抱きながら。

しかし人々の「諦められなさ」によって世の中の経済は動いているのだ。右を見ても左を見ても、決して諦めないことをけしかけて、夢を押し売ってくるもので溢れかえっている。若さも知性も美も健康もお金も。ゴールドラッシュの時、いちばんトクをしたのはスコップを売った金物屋だという話は、皮肉な真実だと思う。そしてそのセオリーは、おそらく永遠に変わらない。

いつになれば諦めがつくのだろう。一体。
「二の腕が細くなるエクササイズ」などを検索しながら、美しいフラワープリントのワンピースに心躍らせながら、
また同じような夏が来る。

#誕生日 #日記 #日常 #女 #美しさ #コラム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?