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MONO NO AWAREと私の関係性

私にとってMONO NO AWAREというバンドは、お守りのようで、きらきらとした「かけがえのないもの」なのだ。

前記事でも少し触れているのだが,私がMONO NO AWAREに出会ったのは2年前。所属する軽音楽部でコピーバンドに誘われたからだ。他者から受動的に知ったこのバンドを、偶然か必然か、とても好きになった。

好きになった理由なんて、本当のところは分からない(芸術に対する「好き」に明確な理由などないと思う。)しかし敢えて好きなポイントをあげるとするなら、3つある。

1点目はドラムの楽しそうなフレーズ。ドラムとはバンドの基盤であり、正直おんなじことの繰り返しであることが多い。でもMONO NO AWAREのドラムは違う。なんというか、リズムが、音が、生きているのだった。
ドラマーの柳澤さんはインタビューで「フィジカルベースでドラムのフレーズを考えている」といったことをおっしゃっていた。MONO NO AWAREのユニークで楽しい雰囲気、不思議なのにスッと聴者のなかに入ってくる展開は、ドラムによるものであると、アマチュアドラマーの私は考えている。

(インタビュー記事はこちら↓)

2点目は曲全体の心地よさ。ゴリゴリの邦ROCK好きだった私はMONO NO AWAREに出会って初めて、「心地よい。だから好き」と音楽に対して感じるようになった。
(心地よさ加減は実際に聴いてみて下さい。私が初めて好きになった曲、1stアルバムより「東京」をおいておきます)

3つ目は言葉のあたたかさだ。特に4thアルバムでは穏やかな情景や自然に関する表現が多く、その中で生きていく人たちの姿や心象が優しく浮かび上がる。ように思う。
強い主観と俯瞰を交差しながら、人々を受け入れ、願っているような、そういったあたたかさを感じる。

言葉のあたたかさが分かりやすいのは、3rdアルバム「かけがえのないもの」の「言葉がなかったら」だと思う。歌詞を一部抜粋します。
(情景や自然についての表現が多いと書きながら、3rdアルバムは人間模様の描写が多いです・・・。ご容赦!)

言わなくていいこと 言わなくちゃダメなこと
選んでいる間に君は背を向けて

言葉がなかったら
迷わず抱きしめてたろう
手紙を読み返し
泣く手間も省けてたろう
(MONO NO AWARE/「言葉がなかったら」より)

しかしこの歌詞のあたたかさは、心地よい曲にのっているからこそより一層伝わるので、曲ものせたいと思う。
(音楽の歌詞だけ切り取って感想を言うのって、ナンセンスなのかもって今気づいた。こちらもご容赦・・・笑)

私がMONO NO AWAREを、音楽として好きな理由は以上の3点。

しかし、私はこのバンドに対してこれだけに留まらない特別な感情を抱いている。
なぜなら、このバンドをコピーした思い出が私によってかけがえのない宝物となっているからだ。

当時大学1年生で軽音楽部に所属していた私は、たくさんコピーバンドを組みドラムの練習をしていた。大学生活のほぼ全てを部活動に捧げたほど、心血をそそいでいた。
すべては演奏力向上のため。偉大な先輩のようになるため。誘われたコピーバンドは趣味ではなくても全部組み、入部から1年で30バンド・60曲を練習した。
しかし、がむしゃらに練習したのに関わらず、あまり上手くはならなかった。もうドラムやバンド演奏が楽しいのかどうか分からなくなっていた。

そんな状態の中、当時の部長が誘って下さったのがMONO NO AWAREのコピーだった。尊敬する部長に見出されたことが嬉しく、期待に応えたいと前向きに練習に励んだ。
最初は成功させたい一心で練習していたが、だんだんMONO NO AWAREの音楽がとても好きになった。このとき初めて心から「バンドが楽しい」と思うことができた。
そして努力が実り、バンド対抗の部内オーディションに合格。大きなホールでライブをする権利を手に入れることができたのだった。

いくら練習してもドラムが上達しない。コピーするバンドを心から好きになれない。本来楽しいはずなのにバンドをすることが苦しい。頑張りきれない自分が嫌い・・・・・・様々な苦しみから解放された瞬間だった。
このときの誇らしい気持ちは、私に少しだけ自信をつけてくれた。

私はMONO NO AWAREの音楽が大好きだ。そしてMONO NO AWAREの存在に救われた。そしてその思い出に勇気づけられ、生きている。



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