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#29(昔話)堺東宝

映画人生の原点

 さて、南街会館ワーナー・マイカル・シネマズ東岸和田北野劇場、と90年代の思い出話をしてきましたが、今回はさらにさかのぼって80年代です。そろそろ本気で年齢がバレそうなのであまり言いたくないのですが、私の映画人生の原点は、堺東宝での毎年の映画ドラえもんでした。

 映画ドラえもんの最初の10作くらいが、ドラえもんの映画シリーズの純然たる黄金期だったと私は思っています。その多くを毎年連れて行ってもらう映画館で見たことは、私の今に至る映画好きの原点になっていると思います。その映画ドラえもんを幼少期に見に行っていたのが、堺東駅前の銀座商店街にあった堺東宝でした。

堺東宝の場所

 現在ではもう堺東に映画館はなくなってしまいましたが、以前は南海高野線の堺東駅前の銀座商店街内に東宝系と東映系の映画館がありました。どちらもメインストリートの銀座通り沿いです。堺東宝は、現在はマクドナルドがある辺りでした。堺東宝シネマという名前の劇場もあったような気がします。南街劇場や北野劇場と同様にスクリーンごとに名前がついていて、2スクリーンか、それ以上あったと思います。

 もう少し銀座通りの奥のほうへ西向きに行くと、堺東映がありました。堺東映シネマという名前だったような気もします。堺東宝で映画ドラえもんを見たり、堺東映で東映まんがまつりを見たり、幼い頃の私が映画を見に連れて行ってもらうといえば、だいたいこの界隈でした。

 堺東宝は2000年代の早いうちになくなってしまったように思いますが、堺東映は2010年頃まであったはずです。2000年代には映画館がどんどんシネコン化していきましたが、その頃でも、「あ、まだ映画館あったんだ」と思って堺東映には何度か行きました。昔に比べてスクリーンがずいぶん小さくなったような気がしましたが、自分のサイズが何倍にもなっているわけだから、そりゃ小さく見えるはずだわ、と思いました。

のび太の魔界大冒険

 堺東宝で見た映画ドラえもんで一番衝撃的だったのが、シリーズ第5作目の『のび太の魔界大冒険』です。この作品で伏線の面白さを知ったというところでしょうか。タイムマシンを使って過去に戻ることで、冒頭に登場する不思議なシーンが後から繰り返されて物語がつながる展開があり、その驚きに満ちた面白さが、幼心に強烈に残りました。

 幼い頃は、映画なんてドラえもんをはじめとした子供向けのアニメ映画しか見に行っていないから、実際の面白さ以上に鮮明に覚えているだけだろう、と長らく思っていました。でも、その後20歳くらいになって改めて見直したとき、あまりの面白さに驚きました。『のび太の魔界大冒険』はもちろんのこと、この前後の年代の他の作品もすべて、物語が濃いとでも言えばいいのか、とにかく大人が見ても遜色のない素晴らしい映画でした。

映画ドラえもん初期作品の面白さ

 面白い、素晴らしい、などと絶賛するだけでは何がどう良いのか説明になっていないので、もう少し分解してみましょうか。私の考える映画ドラえもんの初期作品の面白さは、次のようなところです。

(1)キャラクター
(2)ダイナミックな冒険活劇
(3)物語展開
(4)知的好奇心をくすぐる科学考証や歴史考証
(5)ギャグ

 (1)はドラえもんのキャラクターがもともと持つ面白さです。ただし、いつものメンバーに加え、その年の映画作品で行動をともにするゲスト主役的な登場人物がいることで、みんなが少しいつもと違う表情を見せ始めます。絶体絶命の状況下での、のび太の諦めない強さとか、ジャイアンの男気とか、しずかちゃんの芯の強さとか、なんだかんだ言って悪い奴じゃないスネ夫とか。長編作品ならではのキャラクターの描き込みがとても豊かです。

 (2)は、宇宙だったり海底だったり、どこでもドアやタイムマシンの向こうに広がる世界のスケール感と、その世界で繰り広げられる冒険のダイナミックさです。映画ドラえもん初期のどの作品も、目をみはるものがあります。無駄に恐竜やダイオウイカに追いかけられているわけじゃない、と思います。

 (3)は(2)と重複するようですが、あえて別にしました。というのも、異なる世界で進む物語を行き来して謎をちらつかせたり、タイムマシンで時間軸を変化させてみたりと、物語の構成や展開の面白さが随所に仕込まれていると感じるからです。

 (4)も特に長編作品で顕著な部分ですが、子供向けとは思えない科学的な仮説を持ち出したり、歴史的な背景を解説したり。非現実的なはずの映画ドラえもんの世界が、もしかしたらすぐそこに存在するかもしれない、と思わせる前提条件が考え抜かれています。

 そして忘れてはならないのが(5)のギャグ。毎回、肝心な場面で四次元ポケットから桃太郎印のきびだんごが出てこないとか、のび太のタケコプターだけ故障するとか、ちょっとしたお約束のギャグ場面。

 おそらく、アニメ映画であれ実写映画であれ、映画を面白くする要素がこれほど詰まった作品となると、なかなかないはずです。ドラえもんの初期作品には毎年この全部がギッシリ詰まっていて、だから大人になってから見ても十分面白いのだろうな、と思います。

映画館の暗闇に広がる世界

 堺東宝の昔話のはずが、いつのまにか初期の映画ドラえもんがどれほど素晴らしかったか、という話になってしまいました。

 年に一度、映画館の暗闇に映し出される映画ドラえもんの壮大な世界での冒険は、ワクワクする面白さに満ちていました。つかのまのひととき、日常から遮断された映画館の暗闇で夢のような冒険世界を旅して、また日常へと戻っていく。そのときに映画館が混んでいたとか、銀座商店街や堺タカシマヤで買い物をして帰ったとか、さまざまな記憶とともに自分の中に刻まれていく。特に面白い映画を見たときは、そのときの映画館の様子も鮮明に覚えていたりするものです。

 普通はどうなのかわかりませんが、私の子供時代は不満だらけでした。別に、ひどい家庭で育ったわけではありません。どちらかといえば恵まれた家庭環境で、好き勝手させてもらっていたほうだとは思います。ただ、私は子供だから勝手に遠くへ行けないし、大人から気に入らないことを言われても言うことを聞かなきゃいけないし、好きなことばかりできるわけでない学校もさして楽しくないし…と、とにかく不自由さを感じていました。

 この不満は、のちに成長するにつれて解消していきます。自分の意志で好きなものを選び、好きなところに行く。そのための費用は自分で工面する。そんなこと、大人なら誰からも文句を言われずにできる。でも、それができなかった子供時代、私にとって世界は何ひとつ思うようにはならず、好きなものを自由に手に入れることもできず、どこにも行けない。そんな思いがありました。そんな子供時代、堺東宝の暗闇で夢中になった映画ドラえもんの世界は広大で、日常の不自由さを忘れさせてくれる驚きや感動であふれていました。

 なんとなく、先の見えない不安だったり悩み事だったり、気に食わない出来事が自分に降りかかっているようなときでも、いったん映画館の暗闇で別世界に心をゆだねて日常をリセットすることで、心の平穏が保たれるように私は感じます。幼い頃に堺東宝に毎年の映画ドラえもんを見に行き、映画館のスクリーンに心を重ねて広い世界を旅して、つかのまのひととき、日常の不自由さから解放される気分でいたことが、きっと今も影響しているのだろうな、と思っています。

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