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ちがうちがう、物語って言うのは、劇的な事件のことじゃない

娘が小学校低学年の頃、名作物語のダイジェストを集めた本がとても好きだった。1冊に25作くらいの名作が載っていて、どれも10ページ以内で大体のストーリーが読める本。挿絵も豊富。人気があるのだろう。同じシリーズで4冊くらい出版されていた。

いわゆる「あらすじ」という無機質なまとめ方ではなく、登場人物たちのセリフも入り、地の文章もそれなりに情緒的であろうと工夫していて、「短いお話」として読めるようになっていた。学校の教科書に載っていそうなテイスト、と言えば近いかもしれない。

こういう本をお手軽すぎる、とか、コスパ重視でよろしくない、とか、批判するつもりもない。こういう本を入り口として、もっと詳しい本を読みたい、というきっかけにすればいいよね、と思っていた。

思っていたのだが、「さすがに、こんな風にまとめてしまうと、作品の魅力が伝わらないよね」とつい言ってしまったのが、『あしながおじさん』。

そこに描かれていた物語は以下の通り。①孤児院で育ったジュディが、あしながおじさんの援助のおかげで大学に通う。②夏休みには農園を訪れて、すてきな男性と出会う。③卒業後に、そのすてきな男性があしながおじさんであったことを明かされ、2人は結婚する。
2人のすてきな恋物語でした、みたいなまとめ方。

いやいや、違うだろう。

もちろん、物語のどこに魅力を感じるのかは、読み手1人1人が違っていい。だから、『あしながおじさん』に恋物語としての魅力を感じる人がいてもいい。いてもいいさ。
でも、名作のダイジェストを載せているならば、原作が持っている多数の魅力のうちの1つだけを強調する伝え方は、うーん、やっぱり、ちがうんじゃないかなぁ。

私が感じる『あしながおじさん』の魅力は、ジュディが描く学校生活の瑞々しい描写だった。
友達との何気ないやり取り、読んだ本のこと、買い物に行った時のこと、そういう何気ない日常生活と、その何気ない暮らしの中に楽しさを見出すジュディの感性の豊かさ。時折見せる自分の育ちへの引け目。そういう日常の積み重ねこそが、この物語の醍醐味だと思うのだ。

確かに「あらすじ」として伝えようとすれば、「楽しい大学生活を送りました」と一言で終わってしまう。事件でもない、劇的な変化でもない。でも、そういう平凡そうな積み重ねの中で、人は何かを育てたり、少しずつ変わったりしていく。その少しずつ、少しずつの積み重ねこそが、物語の魅力だと思う。

日常の積み重ねこそが、人生の魅力ってことと、同じなんだろうなぁ。

そんな訳で、「ダイジェスト版を読んで気になったお話は、ぜひ本でも読んで欲しいな」と言って買った本の中には、『あしながおじさん』が入っていたのは、言うまでもない。


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