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靴を磨いて、わかるのか。

人生で初めて、革靴を磨いた。

日常使いしているこの革靴は、私にとって二代目の本革靴だ。
初代の革靴は気がついたら靴底に穴が空いていて、一度も磨かれることなくこの世を去った。

家族の中に日常的に革靴を履く人がおらず、家で誰かが靴を磨く姿なんて見たことがない。
そのせいもあって、私にとって靴を磨くという行為は、よっぽど靴を愛している人がやることか、もしくは昔の映画や本で出てくる靴磨き屋さんがする仕事という印象だった。

しかし、会社員として働いていたとき。
先輩から靴は磨いた方がいい、と言われたことがあった。

その時なんでそんな話をされたのかは覚えていないけど、わざわざそれを言われたということは、自分から革靴の手入れの世間話をしたのか、もしくはすでに、私の靴がめちゃ汚くて先輩が苦言を呈したかのどちらかだろう。

前者であって欲しい。

ともかく、革靴の手入れをするということは、私が想像するよりも当然で常識なことだということを、この時初めて知った。

しかしそれから数年経つ。
今日の今日まで結局私は靴を磨かずに生きていた。
世間一般の常識だとしても、やっぱり道具を集めたり調べたりが面倒だった。人様に迷惑のかからない常識なんて、私にとってはそんなもんだった。

頭の片隅に押しやられてた靴磨きが急に実行することになったのは、たまたま入ったStandard Productsで靴磨き道具が売られているのを見つけたからだ。今はこんなものまで簡単に手に入るのかと驚いた。

それまでの重い腰が嘘みたいに軽くなって、私は必要な道具を一式、レジへと運んだ。

そこまでいけば、もう後はすぐだった。
私は新しい道具というものがなんでも大好きなので、それだけで少し楽しくなる。今すぐにでも使いたくなる。

オイルやクリームを店内で見た指示通りに靴に塗って、布で拭く。
順番はわかるけど、見本はないからどのくらいクリームをつけて、どうなったら終わりなのかはわからない。

わからないないけど、どうにか仕上げまでこぎつけてグローブ式の布で磨けば、クリームでくすみがかった表面がきらりと光った。ここまできてやっと、自分がやったことが間違ってなかったことに安心した。

でも、なにかおかしい。後で見返そうと思ってとっておいた写真と見比べても正直なところあまり変化がないような気がする。

しばらく眺めた後、ようやく、私が今まで自分が靴磨きをしてこなかった理由を本当の意味で理解した。

靴を磨こうが、磨かまいが、あんまり私にはわからないからである。

わざわざ改行していうようなことではない。
でも、そうでもない。

多分、靴を磨かない人からすると、靴は磨かれていたとしても気づかない。
対して、ちゃんと靴を磨く人は、磨いていないことにすぐに気がつく。

だから、自分の靴が磨かれてないことに不安を感じると思うし、他者の靴が磨かれていないことにもよく気がついて不安になる。

結局何が言いたいのかというと、大事にしている常識やマナーっていうのは、そういう文化があるっていうことを知識として持っていないと、目に入らないよね、ということだと思う。

ちょっと自分でも自信がないですけども。

こういう話は靴磨きに限らず、深掘りしようと思ったらできるけど、そんなに偉そうに言えるほど私は色々な常識を持っているわけでも詳しくもないので、やめておく。

とりあえず私は自分で革靴を磨いてもよくわからなかった人間だということだけがわかったということ。それでいい。

とはいえ、最後までやり切ったぞという達成感と、磨く前よりかは綺麗になっている事実には気分がいい。

だから、次の晴れた日にはこの革靴で散歩に出よう。
外の光に照らされたら、やっぱり磨いた方がいいと思えるかもしれないし。



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