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異邦人一家、弥次喜多旅行 その1 横浜ー鎌倉ー東北

 12月、父も母もいない日本に帰った。私と夫、そしてボーイフレンド抜きの22歳になる娘。ボーイフレンドはクリスマスという事で、彼の母親に忠誠を尽くすため自国のアメリカに帰って行った、ふっふっふ。久しぶりに家族3人で日本を周遊しようという事になり、旅行が苦手な私だが、珍しくツアーガイドの役割を一手に引き受けた。そして、まるで曲を書くように、空間から空間への移動、訪れる場所に起こりうる一節一節の気持ちなどを予想し、丹念に美しい旅程を作り上げた。心の自由を保つため、何も決めない空白な日々までも織り入れた。必要書類は全てプリントアウトし、本を作るように綺麗にまとめた。そしていざ、出発の日、ヒースロー空港のJALラウンジでコーヒーをすすりながら「準備万端とはこの事よなー。」とほくそ笑む自分。「出たな妖怪!」違った人格の自分がそこにいた。そして12月12日、娘と私は、夫より先に日本に着いた。父も母もいない思い出深い東京は、乗り継ぎ以外は思い切りすっ飛ばす事にした。今回は『行ったことのない場所』がテーマだ。歌にすれば「誰も知らないー、街をさまーよいー、涙をかくしー私は行くのーどこーまでもー。」、、、涙?まあ、いい。最初は用ありで横浜。しまった、横浜は行ったことは何度もある、ので、横浜内で行ったことのないところに行く事にした。夜の到着だったのでまず、地下街の居酒屋!!!あー久しぶりの日本。まるでユーチューブの中にいるような私たち。早速ユーチューバーみたくハイボールを頼んだ。娘はレモンサワー。母娘二人でサシ飲み。そして数々の一品もの。その美味しいことったら。あまりの美味しさに私たちはテーブルからずれおちそうになってしまった。英国が長すぎるせいだろうか、日本、初っ端から美味しすぎる。やぱい。横浜たそがれ、ホテルの小部屋。うん。中華街と違った横浜の夜。翌日は、若い頃全然興味がなかった赤レンガ倉庫とかをカバーしつつあちこを歩き回った。「横浜ってコロラドに似ている。」と連発する娘に、赤い靴履いた女の子の歌を口ずさむ。歌の意味の説明を娘にしつつ「もしかしたら赤い靴履いた女の子はアメリカ人の水兵さんに連れてかれちゃったのかもー。」と樹木希林みたいな独り言をこぼしたりして。娘が隣でちょっと不審な顔をする。
 横浜の次は御馴染みの鎌倉。ふむ、いつになったら行ったことのない街を涙を隠しながら彷徨うんだろう、とは思いつつ、鎌倉ははずせない。義理がある。何の義理だ?鎌倉をこよなく愛する自分への義理だ。七里ヶ浜のホテルから見える夜景。藍色にそまる空の下、さーっさーっと海岸沿いを走る車の音。途切れのない太平洋の波。蜜が溶けるような夕陽。そしてまたハイボール。ユーチューバーって、カメラを回しながら瞬間瞬間を楽しむ事ができるのだろうか、などとふっと疑問に思った。まあ、いいか。とりあえず、長谷寺でこれから行ったことのない場所を訪れる旅の成功と自分の残りの人生の充実を願い、娘が行ったことのない北鎌倉を散策。暖冬の鎌倉。いまだ色づく木々の葉っぱがさぞ美しかっただろう秋の気配をまだ残す浄智寺と明月院。そして昼に食べたビーフシチューはぐっと心に染みて、死ぬ前に北鎌倉に一度住んでみたいと思う、愚かな私。
 16日、夫が羽田に着く。次の日は、早朝から待ちに待った銀山温泉に向かうため、東京駅に近い潮見のホテルに一泊。潮見は90年代のボディコンを彷彿させる倉庫街に近い場所。88年にはすでに渡英しているボディコンとは無関係な私には、この界隈は自分の知っている東京とはかけ離れすぎていて「行ったことのない場所」感を十分味わえた。閑散として、ちょっとささくれた気持ち。夜はまた、居酒屋。ぴゅーっと北風が吹く埋立地の居酒屋は横浜ほど盛り上がらなかったが、銀山温泉を思えばなんのその。いよいよ始まる大旅行のスタートというわけで、銀山温泉に向けて家族で酒盛り。しかし、ここは本当に東京?
 次の朝、早々と乗った東北新幹線つばさの中で私はラップトップを開き楽曲の編集をしていた。締め切りは12月末。隣りの席にはビジネスマンがやはりラップトップのキーボードをパタパタと叩いていた。チョイ見すると、エクセルが見えた。彼は山形駅まで飲まず食わずトイレもいかずでひたすら働いていた。隣で弁当を食べるのに気が引けるかと思ったが、全然気が引けなかった、はっはっは。食後は、隣席のビジネスマンの勤勉な雰囲気がある意味助けとなり、私の編集も捗った。するといきなり夫が私をこずく。窓の外を指差している。つられて外を見ると、まさしく『トンネルを抜けると雪国だった』。ああ、川端さん。このいきなり雪国になるドラマチックな展開、やっぱり凄いっすね。最初に言ったもの勝ちってのもあるけれど。素晴らしいフレーズだ。大石田駅から旅館のお迎えのバスに乗り銀山温泉に向かう。ここまで来ると大雪だ。ところが運転手さんの話だと2日前からいきなり降り始めてここまで積もったとの事。地元の人々にはすまないが、こんなに素晴らしい雪景色をいきなり英国から来た私たちが見れたのはとてもラッキーで、旅の幸先よしと感じる。深い雪道を山の奥へ奥へとマイクロバスが走る。こんなに雪に埋れた人里を見るのは生まれて初めてかもしれない。一体どんな生活なのだろう。そしてバスを降りるとそこはまたユーチューブで見たことのある銀世界。とうとう、そこに自分が立っていた。この旅を計画し始めてから、ずっと夢に描いていた地。もうこれで目的は達成した。さあ、家に帰ろう、、、と間違って思ってしまいそうなほど美しい温泉街。雪が溶けゆく川の流れは琴の音色のように響き渡り、私たちはザックザックと旅館で借りた長靴で深い雪道を踏みしめながら温泉街を散歩。銀山だったという洞窟、雪の崖山から落ちる滝。しかし、大変小さな温泉街で、小1時間で見れるものは全て見る事ができた。突然の大雪という事もあるのか、あいている店はちらほら。凄いと思ったのが、どこもカードが使えない。キャッシュマシーンもどこにもない。店員に聞いても「不便よねー。」と返されるのみ。結局、みやげは何も買えなかった。逆に、消費主義が蔓延る日本において、このような不経済な場所があるのはもしかしたらいい事なのかもしれないと思った。地域の経済向上にはならないが、経済が発展すればするほど、美しい田舎街が消えていく。どこもかしこも。世界中。そんな消費世界からかけ離れた大正・昭和の温泉街。しかし、この温泉に大期待しすぎたせいか、旅館の風呂のしょぼさにちょっとびっくり。しかし泉質は、湯の花が浮かぶほど高いもので、泉質よりも温泉施設の建築デザインやサービス中心に競う傾向のある近頃の温泉旅館のいやらしさが全くなく、子供の頃、親と行った事があるかもしれないような、昭和の心がそこにあった。他に何もする事がない、雪に埋れた温泉街の旅館の一室で、曲を書こうじゃないかと娘と話していたら、詫び錆が理解できないブリティッシュの夫が、違う温泉に行きたいと言い出した。昔、塩原温泉でゴージャスな旅館の思い出を拭い切れない夫は、それを銀山温泉に求めていたらしい。「一人で塩原温泉へ行け、バカタレ!」と普段なら鬼のごとく怒る私だが、今回はぐっと堪えた。成長した娘と3人で旅行する機会はこれからなかなかないかもしれない。私は怒りも静かに別の温泉を予約した。瀬見温泉だ。新庄まで移動。そこからタクシー。義経と弁慶が頼朝の追手から逃れる際に辿り着いた最上川で、産気づいた北の方の生湯を探した弁慶が発見した温泉という伝説がある。何気に箱根湯本に似ていたが、箱根湯本の賑やかさは全くなく、川のせせらぎと鳥の鳴き声以外は静寂に包まれていた。ホテルに早く着いたので、運転手役からお店番、受付係をひとりで担うフロントのお兄さんに、「部屋の用意ができるまで、近くにカフェとかありますか?」と尋ねたら「カフェ?フォッフォッフォ!」と笑われた。そして「近くに道の駅ならありますよ。」というので、結局、道の駅で蕎麦を食べたり買わなくていい土産などを買って時間を潰す事1時間。お兄さんがまた迎えに来てくれて、無事部屋に入室。部屋には、何と温泉水が湧き出る素晴らしい露天風呂がついていて、私たちは結局大風呂よりも部屋の露天風呂に朝から晩までつかり、食事も部屋で食べ、ゴージャスなマッサージチェアを互いから強奪しあいながら1日を過ごした。あまりにもゆっくりできたのでもう1日いたかったが、また、夫が「こんなんだったらまた明日違うところ見つけてみようよ。」とか水瓶座らしい無責任な事を言い出した。部屋付きの露天風呂はとても名残惜しかったが、もともと、家族一家冒険旅行であった事を思い出し、水瓶座の我儘に付き合ってみてもいいような気がした。ので、次は蔵王温泉。スキー場の麓にある歴史深い旅館を見つけた。江戸風の古い建物がこれまた深い雪に埋もれる丘の上ににひっそりと建っている。ここの泉質の高さはかなり有名なようで、一人旅行の温泉通の女性が入浴中、この界隈の温泉の質について説明をしてくれた。東北の女性かと思えば、なんと埼玉からだと。そういえば、話は飛ぶが、東北で初めて知ったのがラフランス。物を知らない私は、娘と二人で「ラフランス?????」文法的に結構笑える名前だが、一体何なんだと思った。梨だったのね。人生長く生きていると色々勉強になるわ。夜膳で私たちのテーブルの担当の若いおしゃべりなお姉さんが勧めてくれた出羽桜は素晴らしい酒だった。きっとまたいつか飲みたい。あー飲みたい。山形牛がたっぷりの夕食後、部屋のテレビをつけたらニュースをやっていた。なんと蔵王スキー場が写っていた。こんなに雪があるのにスキー場は雪が足りないのだそうだ。スキー客の足が遠のいて困っていると。大昔、苗場スキー場で大怪我をした私。あれからスキーという言葉を聞くだけで足がむずむずする。スキー客のいない蔵王温泉は平和で良かった。山形の温泉街を3箇所訪れた、ただの観光客の私たちは、翌日、何となく「おしん」の哀惜を背中に引きずりつつ、次の旅路に向かうため、とりあえず東京に戻った。東京在住の英国人の友達夫婦とクリスマスのライトアップでキラキラな六本木ヒルズで待ち合わせだ。山形で雪の中に止まった時間がいきなり速回りし始めたような東京の空間で、わっはっはと賑やかに中華を食べた。六本木ヒルズは私の覚えている六本木のかけらもない。しかし途中、広尾の駅で乗り換えた時、学生の頃と何も変わっていない広尾駅に驚愕した。私の青春がここにあったのよ、と娘と夫に熱情的に伝えたが全く無視された。その晩、止まった品川のホテルの窓から見える東京は、若い頃みた景色とあまり変わらず、かと言って、同じなわけでもなく、どこか中途半端な気がした。翌日は、兄と食事をする予定。父も母もいない日本にたった一人残った私の家族。子供の頃の幻のような思い出を共有できるたった一人の存在。そして翌朝、私たちは三浦に向かった。続き。。。

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