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『スウェットロッジ』で生まれ変わった話

『スウェットロッジ(汗をかく小屋)』というものをご存じだろうか?
1000年以上も前から続いてきた、ネイティブアメリカンの伝統的なセレモニーだ。

個人が魂レベルで成長を遂げるために、一般的なものよりもはるかに熱いサウナ小屋の中に3〜5時間こもり、内省を深め、自身の課題や願いを抽出し、身心のデトックスをしていく。まさに、「究極の変容体験」である。

これに参加しないか?とお誘いをいただいたとき、一瞬たじろいだが、無視できないボリュームで心が「行きたい!!」と叫んだのを感知した。こういう、「ピンとくる系」は体験した方がいいという判断基準を持っている。だから、参加表明までの時間は割と短かったと思う。

スウェットロッジなる存在を知った当時のわたしは、とにかく「生きている感じ」がしていなかった。見かけは全く問題ない。それなりに健康体だし、家族も元気!ありがたいことに日々さまざまな方から仕事もいただき、スケジュールの埋まり具合は「リア充」だった。

でも、全然「生」がリアルじゃない。頭と身体が別々の個体のような、なんとも言えないちぐはぐ感。頭が主で身体が従。頭がいつもキリキリ圧迫されるほどいろんなことを思考し、判断しているのだが、それに身体(本体)が追いついていないような感覚を覚えていた。

もっと言えば、本体の奥にある「心」や「魂」と呼べるようなコアの部分は、全くもってぼんやりした存在感だった。

「頭打ち」とはよくできた日本語で、文字通り「思考の限界(思考だけで人生を捉える限界)」を迎えていたのである。

そんな中でのスウェットロッジへの誘いだったもんだから、この流れに乗らない手はなかった。


「スウェットロッジ・セレモニー」は、アメリカインディアン(ラコタ族)に伝わる7つの儀式の一つで、ラコタの言葉で「イニィピー」と呼ばれ、それは子宮回帰を意味します。

母なる大地の子宮をシンボライズした半円球のドームの中に、私たちは四つん這いになって入っていき、囲炉裏を囲むように座ります。真っ赤に焼けた石をドームの中に運び込み、水を注ぎ、蒸気が舞い上がる中、扉が閉まるとそこは大いなる存在と自分の世界。
泣き、歌い、声をおくり、スピリットに祈り、自分のオモイを眺めて、エネルギーやプロセスを感じて、あるがままの自分のオモイを音にして、自分と語り合い、大いなる存在に祈りをおくります。
感謝すること・願うこと・尋ねたいこと・コミットメント・・・
受けとめあい、つながり合い、全てのものとの関係に「変化と成長」をもたらす「死と再生」のセレモニーです。

出典:https://life-practice.h-potential.org/course/sweatlodge


案内ページを読んだときの所感は「やっと死んで生まれ変われる」だった。

以前書いた記事でも述べたが、わたしの中には真面目からアホまでさまざまなキャラが同居している。それを薄々自覚はしていたが、デフォルトキャラによる独裁政治が進みつつあった。

こういうキャラなら人間関係や仕事をはじめ、社会生活が円滑に進むだろう。
でも、こっちのキャラはちょっとね。。。

そんなふうに、自分の一部だけを切り取って採用して、「はい、これがわたしです。このわたしが歩むのが今の人生です!」と示していたように思う。今振り返って言語化するならば。

その「切り取ったわたしの一部」というのが、まさに思考的(これまでの経験をもとにアタマでつくった)自己である。とある東大医師が執筆した本には、全身の細胞約60兆個のうち、大脳細胞は200億個と書かれていた。わずか0.03%が作り出した自分を「ぜんぶの自分」とすることに対し、当然身体、心、そして魂は黙っちゃいない。

「窮屈だから、早く出せ」

わたしはスウェットロッジに、「頭で作った一部の自分に死んでもらう」ために入った。


熱い、とにかく熱い。
汗なのか、涙なのか、鼻水なのか、身体中から水分が滴っていく。そのうち自分の輪郭が溶けるような感覚になり、境目が分からなくなった。

スウェットロッジの中にいた時の記憶は断片的だ。だからこれは頭の記憶というか、身体感覚的な記憶。

確かにわたしは、歓喜していた。涙を流しながら笑っていた。

逃げ場がない、圧倒的にどうにもならない状況の中で、いのちが自分の中でパワフルに蠢く様子をただ感じていた。それが無性に嬉しかった。

これはあくまでも、わたしの場合のスウェットロッジの受け止め方である。人によって感じ方は全く違うと思う。だからこれ以上の言語化はできない。一回体験してみてほしいとしか言えない。

だけど確実に、身体と心と魂、つまり自分のいのちの土台に刻まれる何かはある。


このリトリートをファシリテートしてくださった松木正さんからは、1泊2日の短い時間の中で一生分の愛を受け取った気がする。本当に、出会ってくださりありがとうございます。

そして、かけがえのない時間を共に過ごした、偶然(必然?)集まった仲間たち。本当に、ありがとうございます。

松木さんが紡いだ言葉の中で、特に印象に残っているものがある。「プロセスを信じる」という言葉だ。

うまく行くこともいかないことも、想定外の出来事も。全ては「その人のいのちが、そのものになろうとしているプロセス」だと言う。

スウェットロッジの体験をしたからこそ、ストンと入る。

今まで何かと「頭で作った一部の自分」が必死で考えて、問題だ、課題だと目の前の出来事を定義づけていた。うまく行くか、いかないかの判断は、全て「頭で作った一部の自分」の基準によるもの。

目の前の出来事は、ただ、目の前の出来事なのだ。わたしのいのちのプロセス。

こんなふうに、「OSが書き変わった感覚」がずっとある。なんとも形容し難いが、あぁーーーー、今を生きてるな、という感じ。


スウェットロッジは万人受けはしない。とにかくハードですもの。

でも、これまでのやり方に壁を感じ始めた人、生きるって何なんだ!?と問い続けたい人、身体の内側の「変わりたい」の声を無視できなくなってきた人には是非ともお勧めしたい。

あぁ、こう言うことだったのか、という感覚は一生ものである。その人固有の体験を味わって、大切にしてほしい。

必ず、気づきがあるから。


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