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【企画参加】足を向けて眠れない恩師

今回、川ノ森千都子さんの企画に参加させて頂きました❗

感謝したい方は…

山ほどいます😅

1人1人に感謝の言葉を述べていたら、いつ終わるやら…なので、やはり私の人生をガラッと変えてくれた恩師に、感謝の言葉を捧げたいと思います🎷


【中学時代の恩師、Y先生に捧ぐ】

よく書いていますが、私は父の転勤の関係で小学校時代を横浜で過ごした後、私の小学校卒業と同時に、広島県大竹市へと父が転勤を命じられました。

今から38年も前のことです😅

ということで、誰も知り合いがいない地で中学生になった私ですが、そんな私を最初に受け持って下さったのが、恩師・Y先生でした。

最初に自己紹介した時も、特に横浜から来たという事には触れられず、
「よろしく!頑張ろうな!」
という一言だけを掛けて頂きまして、それがむしろ私には嬉しかったことを覚えています。

そしてY先生は、音楽の先生でした。
と言うことは、勿論部活は吹奏楽部の顧問を務めていらっしゃるわけです。

今も昔もそうですが、吹奏楽部は男手が少ない!!(笑)

と言うことで、私も最初に部活動を選ぶとき、Y先生から
「吹奏楽部はどうだい?」
と声を掛けてもらったんですけど、その頃の私は楽器なんてムリムリ!
と思っていたので、お断りしてしまいました( ̄▽ ̄;)

体育がダメなもんですから、体育系ではない部活を探したら、吹奏楽部、美術部、新聞部の3つしかないんです。

まず吹奏楽部は、楽譜なんて読めるわけない、美術部は、絵心なんかまるでない、と却下していくと、残るのが新聞部だけだったんです。

Y先生は、まあ仕方ないか!みたいな感じだったんですが、私が選択した新聞部が、これまた男子がおらず女子ばかりでして…💧

最初の内はまだ黒一点ということで、いい意味で可愛がってもらえていたんですが…

その内私は女子の先輩から逆セクハラを受けるようになりました。
そんな環境に行きたい訳もなく、幽霊部員になってしまった訳ですが、実は新聞部自体が2学期の途中で潰れてしまったため、私は自然と帰宅部になってしまいましたσ(^◇^;)

そんなタイミングで、吹奏楽部にいた私と同期となる唯一の男子が、これまたお父さんの転勤で転校してしまって、私の代の吹奏楽部男子はゼ~ロ~になってしまったんです💦

当然私の担任であり、吹奏楽部顧問であり、私が帰宅部員になってしまった経緯を熟知しているY先生は、私に再び吹奏楽部に入ったらどうだ?と、勧誘して下さいました。

まったく楽器など吹けるはずが無い、ましてや楽譜なんて読めるはずが無いと思っていた私は、勿論(?)NO!と答えてしまいましたが、Y先生はそれでも根気強く、音楽の楽しさ、楽器を吹くことの楽しさを私に事あるごとに冗談交じりで教えて下さり、その内私の中に、楽器を吹けたら格好良いのかな?なんていう気持ちが芽生え始めました💡

折しもその頃、世間を席巻していたのはチェッカーズというアイドルバンドでした。

私と同世代の方ならお分かりかと思いますが、チェッカーズというのは最近のジャニーズ系のアイドルどころじゃない一大ムーブメントを巻き起こしたグループで、中でもそれまでのバンドでは殆ど使っていないか、ムード歌謡や演歌でしか扱われていなかったサックスが前面に出た、初めてのバンドでした。

Y先生は私に対して、
「チェッカーズで吹いてるサックスってあるやろ?お前が吹奏楽部に入ってくれたら、アレを吹いてもらいたいと思ってるんだ」
と仰います。

私の心がグラリと揺れました(笑)

そして中学二年生に上がるタイミングで、遂に私はY先生に陥落させられ(笑)、吹奏楽部に途中入部したんです🎷

…しかし与えられたのはチェッカーズで見掛けたテナーサックスではなく、更に大きくて重たい割には目立たないバリトンサックスでしたが( ̄△ ̄)(苦笑)

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最初はやっぱり楽譜が読めないし、思うようにバリトンサックスから音は出ないし、楽譜が読めないから楽譜の一つ一つにド、レ、ミ、と書いていたら先輩に怒られるし、途中入部という外様みたいな雰囲気にも耐えかねて、3日目にはもう辞めよう!と思って、Y先生にやっぱり辞めます…と言いに、職員室を訪問したんです。

するとY先生、ニコニコしながら、
「まーさか、辞めるなんて言わんよな?( ̄m ̄*)」
と先制パンチ👊

私は、いや、あのー、そのー…と何も言えなくなってしまいました。
流石先生、生徒が何を考えてるかなんてお見通しですね(^_^;)
先生は、
「せっかく入ったんだから、せめて1ヶ月頑張ってみようや!今は始めたばかりで大変かもしれんし、同期は女子ばかりで話し相手がおらんのもよく分かっとる。でも3年のNとか、1年の連中と色々話して、男子同盟を作っちゃえよ。そうすればきっと楽しくなるぞ!」
と、激励して下さいました。

今でもこの言葉は忘れられないです…と言っても、一言一句この通りに話して下さったかどうかは怪しいですが(;´▽`A``


この時に私は吹奏楽部を、それでも辞めます!!と言わなくて良かった(正式には、そう言う勇気が無かっただけですがあせる)と、心底思っています(*v.v)。

なんとかN先輩や後輩とも男子同盟を結ぶことも出来まして(笑)、毎日の放課後、憂鬱な気持ちになりながら音楽室に向かっていた重たい足取りが、日が経つにつれて少しずつ軽くなっていきました。

Y先生も、なかなか上達しない私に根気強く向き合って下さり、最初にもらった楽譜の曲を初めて最初から最後まで吹けた時には、ミエハル、いつの間にそんなに上手くなったんや!?などとおだてて下さいました(*^^*ゞ

いつしか私はすっかり吹奏楽部に馴染みまして、時は過ぎ、夏のコンクール。
私の中学校は広島県のB部門(今で言う小編成の部かな?)でゴールド金賞🥉を取り、気付いたら私は完全に吹奏楽のトリコになっていました!!

そして秋の文化祭後に3年生が引退された後、後継の部長指名を受けたんですΣ(=°ω°=;ノ)ノ

最初は途中入部した身で部長だなんてとんでもない!と思ったんですが、Y先生が、
「ミエハルを部長にしたいが、途中から入ったのに…なんて思ってる者がいたら、どうしてミエハルを部長にしたか説明してやるから、後から職員室に来るように!」
と仰って下さり、私には
「お前も経験不足なのはよく分かっとるが、文句言う奴は叱ってやるから部長として頑張ってくれ」
と叱咤激励して下さいました。

これも天命と思って部長にならせてもらいました。
…と言うことはもはや吹奏楽部を辞めたいな~という側ではなく、辞めたいと言う部員をなだめる側に変わったんだな~と思いました(^0^;)

それから引退までの1年間、私なりに部長職に悪戦苦闘し苦しみましたが、吹奏楽の魅力にはすっかり引き込まれていたので、逃げ出すことは考えませんでした。

それより、吹奏楽ってこんなに素晴らしいんだよ、みんなもっと練習しようよ!という思いで、頑張らせてもらいました。

私自身が、引退する最後の文化祭の吹奏楽部のステージで、最後の曲を吹きながら、勝手に目から涙が溢れてしまいまして、いつまでも楽器を吹きたい!吹奏楽やりたい!!と心から思ったのを、今でも覚えています。

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(👆中学時代の最後のステージです。この中から微かに写っている私を見付けて頂いた方は、神と呼ばせて頂きます😅)

私をそんな気持ちにさせてくれたY先生は、やはり足を向けて寝れない、私の人生に欠かすことの出来ない唯一無二の恩師です。


中学の時に吹奏楽部に入っていなかったら、今の私の人生はどうなっていたでしょう!?

想像も出来ませんが、ずっと帰宅部で友達も少なく、暗い人生だったかもしれません。

それが今、我が娘が中学に入る時に吹奏楽部入部を勧め、中高6年間活動した結果、今や私よりも吹奏楽系のネタには強くなりましたし、私も一時期社会人楽団に入って活動する(現在は諸事情で退団)など、私の人生に「吹奏楽」というものは切っても切っても切り離せない存在となりました。

改めて吹奏楽部に根気強く勧誘して頂き、私の人生を一転させてくれたY先生に心から感謝すると共に、長い教員生活お疲れ様でしたと、お伝えしたいと思います。

Y先生、ありがとうございました!

いつか必ず飲みましょう🥂

サポートして頂けるなんて、心からお礼申し上げます。ご支援頂けた分は、世の中のために使わせて頂きます。