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一度だけ「好き」と言われた話

セミファイナル・小6の時

noteを始めてもうすぐで1か月になるのですが、この間、大半の記事は私の失恋体験談ばかりです💦

そんな私も、一度だけ女性の方から「好き💖」と言われたことがあります。
中学1年生の夏休みの時の体験になります。

いかにも意味深に書いてますが、背景を説明しますと、告白してくれた相手の女の子は、私の母方の従姉の娘ちゃん。家系図的に言うと結婚は可能ながら、親戚です(^^;)
私とは3学年違うので、当時小学4年生です。
仮にRちゃんとよびますが、伏線はその前年、私が小学6年生の夏休みに富山へ帰省していた時に、Rちゃん一家と、偶然私の母の姉(伯母)宅で出会ったことから始まります。

我が一家は毎年夏に富山へ帰省し、拠点を母の実家に置き、富山滞在中に父方、母方の親戚の各世帯に挨拶に回るのを恒例としておりました。

小学6年生の時も同様だったんですが、ある母方の姉(伯母)宅に泊まることになりました。
その際、まだ私は小6だったことから、大人ばかりで面白くないだろうと私の従兄が気を利かせてくれ、ちょっと離れた所に住んでいた従姉一家を連れて来てくれたんですね。
そこで、それまでその存在や名前だけは知っていた、従姉の子2人と初めて会ったんです。
上が女の子のRちゃん、下は幼稚園年長S君という組み合わせです。

お互い最初は初対面とあって、慎重にどんな感じか探っていたんですが、そこは子供同士、あっという間に打ち解けまして、今でも覚えてるほど、遊びに遊びました🎶

横浜に帰った後もたまに手紙をくれるようになり、一人っ子の自分には、妹と弟が出来たような感じでした。

ダブルメインイベント・中1の時(告白編)

そして中学に上がり、私は広島へ引っ越したんですが、夏の富山への帰省は変わらずに続きました。
その時も母方の伯母のお宅にお邪魔する予定にしていましたが、一年前と違っていたのが、今年は何月何日に来るかと、伯母から事前に聞かれたことです。

ということは⁉️

そう、その日に合わせて、Rちゃん一家も伯母の家へ遊びに来るからとのことでした。

しかも一年前は夜の僅かな時間だけでしたが、この時は一緒に泊まりたいと言っているそうで(*´ω`*)

かくして、中1になった私は、伯母宅に挨拶しに行くというよりは、Rちゃん一家に会うために伯母宅に赴きました。

我が家が到着すると、既にRちゃん一家は先に来ていて、
「きゃー、○○(←私の本名)ちゃん❗」
と、RちゃんにS君は大歓迎💖(;´∀`)
早速アレやコレや、彼らのコレクションを見せられ、漫画を見せられ、アチコチ引き摺り回されました(笑)

その日の夜、丁度伯母宅の近くで納涼祭があり、みんなで夕飯後に出掛けました。
小学4年生になったRちゃんは、去年に増して積極的です。
納涼祭に出掛ける時も、
「○○ちゃん、手を繋ごうよ〜」
と、私が却って照れてしまうほど(^_^;)

納涼祭では色んな屋台を見て、ちょっとヤバそうな連中がいたらRちゃんを守らなきゃ、という男としての役割も中学生になると芽生えてきますので、その辺りを意識しつつ、楽しませてもらいました。

そして納涼祭から伯母宅に帰る時も、手を繋いで帰ったんですが、不意にRちゃんからドキッとすることを聞かれました。

「ねえ、○○ちゃん、○○ちゃんには好きな女の子っている?」

ビックリしましたよ〜w(◎o◎;)w

その頃は私にミエハルというあだ名を付けてくれた、女子バレー部のTさんのことが好きだったんですが、とりあえず
「えー、そんな女の子、いないよ」
と答えました。

するとRちゃんは
「アタシね、○○ちゃんが好き。将来は○○ちゃんのお嫁さんになりたいの。結婚してね❤」
と、驚愕の告白が(;☆o◎)

そういうと、繋いでるだけだった手を、意識的に絡ませるようにしてきました。

女の子、恐るべし!

どこでこういう情報を仕入れてくるのやら?

少なくとも、小学館の「小学四年生」ではなさそうです(苦笑)

とりあえず私は、
「ありがとう。嬉しいよ♪」
とだけ、答えました。

もしもう少しませてたら、
「ちゃんとアタシの目を見て、好きって言って!」
とか言われそうですが(笑)、その日はこの言葉で満足してくれました。

多分、後ろを歩いていた私の親とかRちゃんの親(私の従姉)は、苦笑いでもしてたんじゃないですかね(^▽^;)

とりあえずその日は伯母の家に帰宅後、疲れたのか風呂にも入らず、みんなあっという間にグッスリでした。

ダブルメインイベント・中1の時(混浴編)

そして翌朝!

我が家が帰る前に、Rちゃんは名残惜しそうに、
「ねえ○○ちゃん、帰っちゃう前に一緒にお風呂に入ろうよ」

w(〇∀〇;)w

いや、いくら小学四年生でも、女子とお風呂を共にするってのはイカンだろうと、私は着替えがないとか、電車の時間がとか、かなり抵抗したんです(私の裸を見られるのも恥ずかしいし)が、既に外堀は埋められてました。

私の母が、一泊するのだからと、私の着替えの下着を持って来ていたのです(*ノωノ)

それを知ったRちゃん、
「○○ちゃん、オバちゃんが○○ちゃんのパンツ持って来てるから、着替えはあるって!だから一緒にお風呂入ろうよ!」

私は観念して、Rちゃんが先に入っている風呂場に入ることになりました。

伯母宅の風呂場は大変狭く、後から建て増したものだそうです。
そのため脱衣室とかはなく、風呂場に直結した部屋で着替えたりせねばなりません。
私が観念して服を脱いでいると、先に脱いだRちゃんの服や下着が無造作に置いてあります。
情けない話ですが、小4の女の子のものとはいえ、脱いだばかりのおパンツがそこにあると、つい目が行ってしまうのは、悲しい男の本能、男の性としてお見逃しくださいm(_ _;)m

意を決して、タオルで前を隠して風呂場に入ります。
もちろんそこには、裸のRちゃんが湯船にいます。
まだまだ男子と一緒にお風呂に入ることに抵抗はないのかな?
弟、S君の存在も大きいのかもしれません。
私は男の一人っ子、こういう点も成長過程では影響があるのかもしれませんね。

「○○ちゃん、待ってたよー。アタシ先に体洗ったから、○○ちゃん、体洗ってね」

私は言われるがままです(苦笑)
体を洗って、頭も洗って、いよいよ湯船でRちゃんと混浴です。もちろん、前はタオルで隠していたのですが・・・

「○○ちゃん、タオルをお風呂に入れちゃダメなんだよ。お母さんが言ってた。タオルは取って!」

えーっ、私も裸を晒さねばならないのですかっ(/ω\)
でもRちゃんは恥ずかしがりもせず、裸を見せてくれていますから、私も覚悟を決めてタオルを取り、Rちゃんに裸を晒すことにしました。

「わー、○○ちゃんのオ●ン●ン、お父さんのみたい!大きいね!」

と、無邪気に感想を述べてくれました。チョー恥ずかしくて、早く逃げたいんですけど~~~\(*><)/

実際は無邪気なRちゃんのお陰で、いろいろな話をしたりして、混浴タイムも楽しかったんですが、やはりRちゃんの裸を見るのには抵抗があり、顔を見るくらいしか出来ませんでした。

風呂から上がる際も時間差にしてもらい、先にRちゃんに出てもらい、その5分後くらいに私が出るようにしました。
コソコソと着替えてる私に対して、Rちゃんは先に服を着て、ドライヤーで髪を乾かしています。
ふとした瞬間、女の子の不思議とでも言えますでしょうか、小4にはとても見えない、高校生くらいに見えた瞬間がありました。

まー、高校生になったら、私と一緒にお風呂に入ろうなんて言わないでしょうけど(笑)

アフターメイン・お別れ

風呂に入ったりしたため、我が家の帰りは朝ではなく昼過ぎになりましたが、いよいよ従兄の車で、最寄り駅まで送ってもらう時間になりました。

「○○ちゃんともっと遊びたい~」

と、RちゃんもS君も寂しそうに言ってくれたのが、私も名残惜しかったですが、その日の夜にはまた別の親戚のお宅へお邪魔してご挨拶する予定になっていたので、拠点である母の実家へ戻らねばなりません。

「じゃあ、また来年ね。また遊ぼうね!」
と私が言うと、
「絶対だよ、○○ちゃん!約束してね」
と、Rちゃんは指切りげんまんをしてくれました。

従兄は、電車の時間があるから出るよ~と、車を発進させてくれました。

「○○ちゃん、バイバーイ!絶対また遊ぼうね!○○ちゃん、大好き!」

Rちゃんは最後に思いの丈を叫んでくれました。
不覚にも従兄の車の中で、私は涙が溢れてきました。

(来年の夏も遊ぼうね・・・)

しかし翌年の夏は、母方の伯母の夫、義理の伯父とでも言えばよいのでしょうか、この方がいつもいつも夏に我が家で大騒ぎされるのは許せんとばかりに、伯母宅にお邪魔してもRちゃん一家には会えず・・・。

翌々年は私が中3で部活も受験勉強も忙しくて、富山への夏の帰省も超短縮バージョン、2泊しかしなかったので、伯母宅自体にも行けず・・・。

結局次にRちゃんに会えたのは、なんと平成元年末、私が大学1年生の冬。
3学年差ですから、Rちゃんは高校1年生。
しかも思春期でちょっと反抗気味で、私に対しても
「あ、○○ちゃん、こんにちは」
だけでした(;・_・)

私のことを大好き、結婚したいと言ってくれた昭和58年の夏よ、何処へ?

年月の残酷さを思い知らされましたm(_ _)m

・・・結局失恋話になるのでしょうか、これは(-_-;)

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