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勝手に企画に乗っかるシリーズ「恋の思い出」その3

アラフィフの分際で、すっかり数十年前の青春時代(昭和時代)の恋愛脳💖の土日を過ごしているミエハルです( ^o^)ノ

さて今日はみおいちさんのリクエストにお応えしまして、先週アップしました #恋の思い出企画 の続きを書きたいと思います。

( ↑ この続きのリクエストを受けました(*ノωノ))

中学3年生の夏に、出席番号で告白し合って初めての彼女が出来た私ですが、昨日の記事の通り、直に「好き💗」と言われることなく、その内オクテな私の変な対応に愛想を尽かされフラれてしまうのですが、お互い中学3年生だった時から36年経過した今は、よき親友として付き合っております。

私が富山、元カノさんは岐阜に住んでいるということで、広い括りで言うと同じ中部地方民(笑)

私が大学の同窓会で名古屋に行った時は、同窓会の2次会を抜け出して元カノさんと6時間飲み続けたこともあります。

今回は、フラれたにも関わらず、どうして異性の親友的関係になったかを、超大昔にmixiに日記として書いた記事を引っ張り出し加筆修正再構成の上、お届けしたいと思います。ではどうぞ!

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「本当にこれまで紆余曲折ありすぎだった元カノさんとのお話」

1,

昭和60年7月18日(木)に、Oさんと両思いになれたのですが、その日は興奮して寝れませんでした(*゚∀゚)=3
次の日、吹奏楽部の朝練に出ると、Oさんと顔を会わせるわけですが・・・

私 「お、おはよう」
O 「ミエハルくん、おはよっ」
私 「あっ、昨日さ、全然寝れなくて」
O 「アタシもよ」

今でも、7月19日(金)楽器格納庫で交わしたたったこれだけの会話が、鮮明に思い出されます。
当然(?)目を会わせることが出来ませんでしたけど・・・ウブだったんです(^-^;)
Oさんとは同じクラス、同じ班でもあったので、吹奏楽部の朝練が終わって教室に戻っても、当然視界にTさんがいるのですが、昨日までと違ってどうしても、意識して意識して・・・。
授業も上の空、その割に顔を見ることが出来ないというオクテぶりを早くも発揮していました。

さて夏休みに入った後の7月23日(火)、夏休みといえども吹奏楽部はコンクールに備えて、毎日練習の日々です。
Oさんと両思いになって日が経つというのに、何もしてない私は焦って、やっとその日に“部活の帰りに一緒に帰ろうよ?”という提案をしてみようと決意しました。
なのに、どうやってそれをOさんに伝えようか迷って迷って・・・。
遂には後輩Aを使って、ある場所で待ってるから呼んできて、と頼んでしまいました(^▽^;)オクテヤナー

私 「き、今日、一緒に帰らない?」
O 「うん、いいよ、帰ろう♫」

こんな些細な会話をするだけでド緊張する自分も何だかな、ですが、嬉しくて嬉しくて、彼女が出来たっていう喜びは物凄いものでした😃
かといって毎日一緒に帰ってたら、すぐに吹奏楽部の同級生、後輩にバレるのは当然ですね。
周りから冷やかされてしまい、一緒に帰るのは5回で中止になっちゃいました💦

付き合い始めたばかり頃の必殺手段、《一緒に帰る》を封印されてしまった私、早くもOさんとどう付き合ったらいいのか、分からなくなってしまいました。
しばらくは朝の「おはよう」と、帰りの「バイバイ」だけという、それじゃ普通のクラスメイトだろ!みたいな感じになっちゃいました。

見るに見かねた後輩達が助け舟を出してくれたのは、吹奏楽のコンクールの日です。
私の中学校は広島の西の端、大竹市という所にあったのですが、その年の吹奏楽コンクールは広島の北の端、庄原市という所で開催されることになっていました。
大型バスでの移動となりまして、後輩はそのバスでの座席位置に気を使ってくれ、私とTさんが並んで座れるようにしてくれたんです

し か し !

狭いバスの中、2人で何か喋ろうとしても、周囲の視線が矢のように刺さってくるのが分かるんですよね~(・_・;A
結局、殆ど会話らしき会話もないまま、往復のバスの時間を過ごしてしまいました。
コンクールが終わって学校に帰った後、後輩達からは無茶苦茶に叱られてしまいました(@@;)

こんな優柔不断じゃいかんと思い、夏休みの内に何とか初デートでもと思って、私はOさんの家に電話 をかけることにしました。
携帯なんかなくて、電話は家に1台の時代です。
私は電話をかける決意をするのに30分、親が寝るor風呂に入るのを待つこと30分、いざダイヤルを回してはちょっと待った、お母さんが出たらどう言う?お父様だったら?とか思って受話器を置くこと数十回と、なかなか電話をすることが出来ません(〃゜▽゜;A
丁度その頃ヒットしてた、薬師丸ひろ子の「あなたを・もっと・知りたくて」が、ピッタリとハマるな~なんて思ってました。
Oさんの家の電話番号を最後まで回し切ったのは、最初に決意してから1時間15分後でした(黒電話でしたから、「押す」じゃなくて「回す」なんですね~)。
結局その時は最初、Oさんのお母さんが出られまして、Oさんに取り次いでもらい、初めて電話で話したんですが・・・

舞い上がってしまって、会話は覚えてないんです(;ノ・・)(苦笑)

初デートは、Oさんの塾の関係で駄目ということで、ガッカリ○| ̄|_したのは覚えてるんですが・・・。

結局初デートこぎつけに失敗した私、そのまま2学期に入ったのですが、どうOさんと付き合っていいか分からないという壁に突き当たり、四苦八苦していました(・へ・;;)
深く考えずにまた一緒に帰ろうよとか、日曜日にどっか行こうよって誘えばいいのに、

『一緒に帰るのは夏休みに断られたからもう駄目だ・・・』
『夏休み中でさえ一緒に遊びに行けなかったのに、2学期が始まったのにデートに誘える訳ないじゃん・・・』


と、全てにネガティブに考えるようになってしまってました(-_-;)
色々と勝手に一人で悩んでいた私のことを、Oさんはイライラして見ていたんでしょうね。
ある日机に手紙 が入っていました。

《ミエハルくん、元気ないよ。元気出して!悩みがあったら教えてね。》

嬉しかった反面、貴女とどう付き合えばいいか分からないのが原因だよ!・・・とは返事に書ける訳もなく、曖昧な返事を書いてOさんの机に入れておきました。
すると次の日、Oさんからまた返事が・・・そして私も返事をOさんの机に、といった具合に、交換日記みたいなことが始まりました。

『あっ、これなら無理せず付き合える!』(^○^)

と私は喜んだのですが、1ヶ月ほどしたらその交換手紙もOさんから、受験勉強に支障があるからやめようと通告され、又も私は行き詰ってしまいましたp(;_; )q

それまで恋愛経験もない中3の男子が、心底どうやって女の子と付き合ったらいいか全く分からなくなってしまい、益々モヤモヤする日々を送ることとなってしまいました(o_o;)

そして吹奏楽部引退後も放課後すぐ家に帰る気にならず、音楽室によく遊びに行ってた私は、11月22日(金)の放課後、偶々音楽室にやって来たOさんと、1vs1で話をすることとなりました。
『もう駄目だろうな・・・、フラれるんだろうな』(ρ_;)
と思ってOさんと話をしていたら、Oさんから持ち出された話は、朝の登校時に一緒に学校に行こう、というものでした\(*^-^)/

今思えば、これがラストチャンスだよ、というOさんからのメッセージ だったかもしれません。
やはり女性は男性にリードされてナンボという部分があると思うんですよね。
なのに付き合いだして何ヶ月経っても煮え切らない態度の自分みたいな男は、恐らくOさんの頭の中では、こんなはずじゃなかった・・・というのが巡っていたことと思います。

そして翌週の月曜から、毎朝7:30、とある場所で待ち合わせして一緒に登校し、まだ誰もいない教室で2人で話をする・・・という日々が始まりました\(^∇^*)/
一番カップルらしかったのは、この昭和60年末の約1ヶ月だったかもしれません。
クラスのクリスマス会が開催された時(12月14日(土))に、担任の先生から2ショットで写真 を撮ってもらったのが、Oさんとのお付き合いのピーク・・・でしたね。
周囲から腕組め~と言われ、お互いに顔を見合わせた後、Oさんが恥ずかしそうに右腕を私の左腕に絡めてくれました。
恥ずかしい話ですが、35年以上経った今も、その時の腕の感触を覚えています😆

2,

さて年が明け、3学期が始まったのですが、3学期になったら朝の一緒の登校はもう無理と言われていましたし、クラスの班も班替えによって別々でしたし、高校受験も目前になっていたので、なんとなくOさんとの間には再び距離が出来ていました(・・;)
嫌な雰囲気を感じていたのですが、丁度Oさんの誕生日が1月24日だったのです。
ここはチャンス!起死回生、プレゼントを贈って、何とかTさんの気を引きとめようと思った私、オルゴールを少ない小遣いから費用を捻出して買いまして、ラッピングもしてもらい、誕生日当日に勇気を振り絞って手渡ししました🎁

ありがとうとは言ってくれたのですが、そのOさんの言い方に何となく不安を隠せない私・・・(・_・;A
私は今も昔もこういうネガティブな想像って、よく当たるんです。
程なく1週間後の1月30日(木)、私は友人を介してOさんから三行半を突きつけれました💔・゚・(ノД`)・゚・
原因は私がプレゼントに添えた手紙にあるのは、間違いありません。

(今まで色んなプレゼントを上げたから、今回は迷ったけど、誕生日だから上げるね)💌 
 ↑
こんな手紙をもらって怒らないよと言う女性はまずいませんよね。フラれたのは自業自得です。
でも私はやっぱりショックで、間近に高校受験が迫っていたというのに、失恋ショックで勉強に手がつかない状態になってしまいました┏(×_×|||)┓

更に追い討ちをかけたのが、フラれた2週間後のバレンタインデーです。
バレンタイン当日(2月14日)は、私立高校の入試で休校日となっていたため、前日の2月13日が、3年生にとってビッグイベントの日でした。
とはいえ私は誰からももらえるアテもなく、次の日の入試に備えて寂しくその日も下校したのですが、筆箱を忘れたことに気付き、慌てて教室に取りに帰ったんですよ。
そしたらOさんが、同じクラスの別の男子Mにチョコを渡している現場に遭遇してしまったんです(*゚Д゚))

この衝撃は凄かったです😱

Mというのは、ちょっと不良っぽい生徒だったんですよ。とはいえみんな仲の良いクラスだったので、イジメとかは全然なかったのですが、それでも私には、2週間で次の男子に気が移るのか?っていう部分と、その相手がMだったこと、そして2人はカップルになってしまったことに、二重、三重、四重の衝撃を受けました・・・。°°(≧□≦)°°。

私は余りのショックから、同じクラスながら今までとは180度違い、Oさんのことはガン無視するようになったのですが、いよいよ本命の公立高校の受験が迫っていました。
本命の高校はOさんと付き合ってた時に一緒の高校に行こう、などと言って決めたので、正直言って嫌だったのですが、今更変更も出来ず、そのまま受験することになりました。親友Yが一緒だったことが、唯一の救いでした。

何とか無事に合格し、4月から高校生となったのですが、全8クラスもあるというのに、なんと私はOさんと同じクラスに😲
しかも互いの苗字が「あ」行で近いものですから、クラスでの座席も、アイウエオ順に男女交互の列になったため、私の左斜め後ろにOさんがいるという、実に辛い高校生活のスタートとなったのです(@@;;;)
更に更にお互いに吹奏楽部に入ったものですから、部活でもOさんと一緒になるという、神よ私を助けたまえ~状態です(T▽T;)

当然Oさんのことはガン無視続行なのですが、私が進学した高校は、JRで2駅乗らないといけないので、どうしても部活帰りとかで、一緒の列車になっちゃうんですよね・・・(^-^;)
無視してても視界に入るという、苦行を味わっていました(T∀T;)

そんな状態で数ヶ月経過した夏の日、ある時ふと気付いたら、Oさんが同じ吹奏楽部の男子・Kと一緒に帰っているのを目撃しました。

『おいおい、Mはどうなった?っていうか、何でよりによってKとそんな仲になるんや 💢』

Kというのは、高校で知り合った同じクラスの私の友人でした。
中学では陸上部だったのですが、足を痛めてしまって高校では陸上が出来ないということで、私が口説き落として、吹奏楽部に誘ったんですよ。

そ・れ・な・の・に

なんでOさんと、そのKが付き合うハメになるんだ~っ!p(T◇T*)q
この世に神も仏もいないのかっ!
なんで自分にばっかり、そんな嫌な思いをさせるんだっ!

(後に親友Yから聞いた話では、Mとは別の高校だったことから、夏休み前に別れたんだそうです)

この時点で私は徹底的な女性不信に陥り、Oさんとは一生絶対に口を聞くまいと決めていました。
Kとは已む無く喋ることはありましたが、前と違って、よそよそしくなってしまったのも事実です。
私は何とかOさんを見返してやろうと思って、同じ中学から進学したある女の子のことを好きになり、親友Yの後押しもあって告白寸前までいったのですが、何の拍子にか突然その女の子から私は嫌われてしまって、告白どころか
「私に話しかけないで下さい 🙎」
とまで言われてしまう羽目に陥ります。
私の女性不信は極限に陥ります。

さて女性運が散々だった高校1年生から2年生に上がりまして、吹奏楽部では役員改選を行うこととなりました。
色々な話し合いの結果、私が部長になったのですが、同時にKとOさんカップルがなんと、副部長になっちゃいました(゚〇゚;)
色々と昔のことを覚えてる私でも、何故にこの2人が副部長になったのか、イマイチしっかり覚えてないんですよね。
覚えてるのは、部長になったというのに、
『部の運営がやりにくいなぁ・・・』
って思ったことです( ̄_ ̄;)

会計担当として役員になってもらった親友Yに、色々と助けてもらいながら、何とか部活の運営方法も軌道に乗ったのですが、そんな頃には私も女性不信も薄れ、再び彼女が欲しい病にかかりました。
K&Oさんカップルばっかりいい思いしやがって!という思いもちょっとありましたが(^▽^;)

その時私が好きになったのは、身近にいた吹奏楽部の後輩の女の子です。
とても明るくて、互いの髪の毛の分け目に、分け目チョップ!とかして遊んだりしていました。
今度こそは上手くいくはず・・・と色々とシミュレーションして、高2の秋に告白したのですが、
「ミエハル先輩はお兄さんみたいな存在であって、彼氏とはみれません」
と言われ、あえなく玉砕😭

この玉砕以降私は、誰を好きになっても
『どうせ自分なんか・・・...ρ(。 。、 )』
っていう気持ちが先に立つようになってしまい、本物の女性不信になり、自分から告白するような勇気を持てなくなってしまいました。重症です(;^_^A

更に更に更にショックだったのは、密かに親友Yが、私が告白して玉砕した後輩の女の子と付き合ってたってことですo(T◇T o)

なんでやねん!
Yよ、俺の気持ちを知ってるはずだろ?
  
丁度その頃、中森明菜の『難破船』がヒットしてたので、その暗さと自分を重ね合わせ、一人で惨めさを味わっていました。 
この親友Yと後輩の女の子の付き合いは、そんなに長く続かなかったのですが(Yがフラれてしまった)、失恋したYを私が慰めるというような、なんやそれみたいな意味不明な役回りを担ったこともありました。

でもこの時期(高2後半~)、私は明らかに女性不信を通り越して、人間不信になっていました。
稀に後輩から、
「ミエハル先輩のことを素敵って言ってる女子がいますよ 」
とか聞かされても、
「そんな子、いるわけないって」
としか答えず、完全にひねくれてました(;´▽`A``

そんな感じで高校3年生に進級し、色々と公私共に頑張ってはいたつもりですが、相変わらず全く恋愛運、女性運には縁がない日々が続いていました。が・・・

3,

高校生活最後の夏休み、ふとした転機が訪れました。
中学校時代の社会の先生の家へ遊びに行こうという企画が、中学の時の友人から持ち上がったんです。
有志を募った所、男は私と親友Yの2人、女子は因縁のOさんを含む4人という、計6人のグループが編成されまして(^-^;)ゞ
8月のある日、1泊2日で、先生の家へ遊びに行きました。 
その遊びに行った夜、他のみんなが慣れぬアルコールにダウンして㊙、次々と寝ていく中、最後に残ったのがなんと私とOさん(*゚∇゚*)

中学3年の2月以来の、私のOさんガン無視作戦は、高2の時にOさんとKが副部長になった時に若干緩和され、多少部活運営上の最低限な事務的会話をするようにはなっていましたが、それでも事務的会話以上の会話はなく、談笑するなんてことはありませんでした。

それが高3の夏の夜に、中学の恩師の家で、Oさんと向き合うハメになったのです。私は勇気を出して・・・

私 「コンクール、出れば良かったのに」
O 「出たかったんだけど、練習と受験勉強は両立出来なくてね」

2年数ヶ月ぶりに事務的な会話以外に交わした会話が、コレです
たったこれだけの会話をするのに、一体どれだけの歳月を必要としたのやら・・・(;´∀`)
夏休みの終わり頃に、吹奏楽コンクールがあるのですが、3年生の参加は任意で、半分ぐらいの同期生は3年になると同時に受験勉強に専念するといって、引退していました。

Oさんも早期引退組でしたが、私はコンクールまで参加組だったのです。

この日の夜にOさんと会話を交わし、次の日に帰る際にも多少の他愛も無い会話を交わしたことから、私の心の中の氷塊が溶けていくのが分かりました。

どうしてあんなにOさんを避けてたんだろう?

一旦関係が改善すると、自然と喋れるようになるまで、時間はかかりませんでした。
相変わらず私の恋愛運、女性運はサッッッパリだったのですが、その怒りをOさんに向けることはもうなくなりまして、普通の友人関係になれました(^-^)/

大学2年生の春休みには、なんと結婚まで行くと思っていたOさんとKのカップルが、Kの浮気により破談し、なんとその頃一人暮らししていた私のアパートに、Oさんが悩み相談にやって来るという、数年前だったらあり得ない事態が起きました。
私が一人暮らししていたことから、お昼ご飯作ってあげるよ!と言って、寒い時期だったのですき焼きを作ってくれたんです。
そのすき焼きを食べながら、Oさんの失恋を慰めるという、人間関係の不思議さが凝縮された時期がありました。

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(↑これが、私の大学時代の喜怒哀楽が詰まっている一人暮らししていたアパートです。私は2階の一番手前に住んでいました)

そして大学を卒業し、私は富山、Oさんは名古屋で就職が決まり、高校の吹奏楽部の定期演奏会にもOBとしてお互い参加し、翌日に広島を離れる際、Oさんから、
「新幹線に一人で乗るのが寂しいから、途中まで一緒に乗らない?」
という提案がありました。
勿論私は断る理由などありませんので、確実に座れる広島始発のひかり号を選び、何時何分に広島駅の新幹線改札口で待ち合わせよう、ということにしました。
実はその時点でOさんには大学時代に知り合った彼氏がいたんですが、私にそんな提案をしてくると言うことは、もう隙間風が吹いてるな?と直感したのですが、案の定でした( ̄▽ ̄;)

Oさんとは広島から新大阪まで、ひかり号の自由席で色んな話をしましたが、私が富山へ向かうために新大阪で下車する際、お互いに頑張ろうねと握手した手を離したがらなかったOさん、後から手紙で、新大阪を出た後、泣いちゃったと告白してくれました。

お互い社会人となり、時に電話で話したり、時に手紙のやり取りをしたりしながら友達関係を続けていましたが、なんとお互いに結婚相手を見付け、挙式するのがほぼ同時期という偶然があり、私と妻は元カノOさんの結婚式&披露宴へ、元カノさんとご主人は私と妻の結婚式&披露宴へ、お互いに出席し合うという出来事も起きました。

普通ならあり得ませんよね~(^0^;)

それがあり得てしまうほど、私とOさんは、男女を超越した親友だと思っています。

この先、年を取っても仲良しでいたいと思いますし、万一先にOさんにまさかの事態があったら、駆けつけるつもりです。

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超長文になってしまい、失礼いたしましたm(._.)m
これでもかなりの箇所を端折ったつもりです(;^_^A

私が親戚以外誰も知り合いがいない富山という地で就職し、なんとか頑張れたのは、Oさんの存在が大きいと思っています。

親友Yとの付き合いも長いですが、付き合いの濃さでは、Oさんの方が上回ってるんじゃ無いかな?

今では飲みながら、付き合ってた時、俺はこんなことを思ってたんだよ~と言い、アタシはこう思ってたんだよ~なんてことを笑いながら言い合えます。

本当に大切な存在、それがOさんです。私が男女間にも友情が成り立つと思うのは、この経験から、です。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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