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文通歴6年

暗黒期

横浜に住んでいた0歳2か月から12歳11か月までの間は、まだ年号は昭和で、今の時代のようにメール、LINE等で文章、ましてや写真が即座にやり取りできるなんて予想すらできない頃です。

さて横浜で過ごした幼少期は、広島で過ごした青年期とは大違い(←自分で言うな)で、ただでさえ体育嫌いの色白でブサメンなのに、父に髪型はスポーツ刈りを強要され(これだけは父を恨みました 笑)、異性を気にしだす小学校高学年では何もしてないのに女子に嫌われ、卒業アルバムでは女子が選ぶゲスな人第2位になってしまったほどです(ノ_≦)

そんな経緯もあって、父が広島に転勤することになって…と申し訳なさそうに私に切り出した時も、私は嬉しかったくらいです♪

広島では中学デビュー(昭和58年頃、そんな言葉はありませんでしたが)してやる!と、意気込んだものですo(*⌒O⌒)b

結果的に広島へ引っ越してから髪の毛を伸ばし始め、転校早々「ミエハル」というあだ名を付けられ、無事に中学デビュー出来たわけですが、そんな暗い過去を切り捨てた私でも、小学生時代の数少ない親友とは交流を続けました。
また、クラスの大半の女子に嫌われていた私ですが、その中でも何人かは私と仲良くしてくれる女子もいましたので、その何人かには、広島に引っ越した後、仲良くしてくれてありがとうと、手紙を書きました。

文通スタート

その中で返事をくれたのが、Tさんです。

1982-小6001

( ↑ この中に、私もTさんも写っています ↑ )

このTさんとは、今でいうと小島瑠璃子に似たような感じの女の子で、誰とも分け隔てなく明るく付き合うことのできる女の子でした。

小学校卒業する際に、サイン帳を一部の仲良くしてくれた女子にも回したんですが、Tさんはその中でも一番熱い(?)メッセージをくれ、広島に行ってもアタシのこと忘れないでねーと書いてくれました。

メッチャ感激して、私はTさんが切手集めが趣味と書いてあったので、その当時は珍しかった1円切手、2円切手を同封して、更に返事を書いたんです。

すると4日後くらいには再びTさんから手紙が届き、私も嬉しいもんですからすぐ返事を書いて…と、文通が始まりました(^▽^*)

最初の内は凄い頻度でしたよ!

週2回は手紙を書いてましたし、もらってました。
その時代にメールとかLINEがあったら、間違いなくTさんとのやり取りばかりで埋め尽くされたと思います(;^_^A

お互いに中学校生活が本格化したら、ペースは少し落ちましたが、小学校卒業以降のお互いの近況を知らせ合うのは楽しかったです♪

このTさんとも、あまり男と女というのは意識せず、友達感覚で文通していました。
だからかTさんも結構開けっ広げで、生理ってのが始まったのーとか書いてあったこともありまして、流石にそれに対してはどう返事していいやら迷った覚えがあります(^_^;)

その内、交わす手紙の内容も進路はどう?とか、好きな人は出来た?とか、そんな感じになっていきました。
Tさんは私より早く、中2で彼氏を作ってたな~( ¨)

私が中3の夏に彼女が出来たよ~と書いたら、返事にはおめでとう!と凄いカラフルな手紙が来ました(〃▽〃)

フラれたと報告した時には、近くにいたら慰めに行ってあげるんだけどね~頑張れ!と書いてくれました。

唯一のデート

高校に上がっても、ペースは落ちつつも、文通は続きました。
修学旅行でのスナップを送ってくれ、この中にアタシと彼氏が写ってるんだよ、分かる?と書いてくれたこともありましたが、Tさんのことは分かっても彼氏は分かんないよ~と返してました。
反対に、私も高校に入ったら新しい彼女は出来た?と心配してくれましたが、私はフラれてばかりで全く女性運が無かったので、全然モテないよとしか書けませんでした(苦笑)

その内いよいよ大学受験を迎えます。
私の大学受験は1勝4敗だったんですが、その4敗の内の1つは、関東地方の某国立大学でした。
その大学を受けるんだと手紙に書いたら、受験の次の日に会おうよ!と返事をくれまして、なんと高校卒業間際にして、初めて女の子とデートらしき1日を過ごすことになりました(*ノωノ)

国立大学の受験翌日、幼少期を過ごした横浜の某駅で午前11時に待ち合わせたところ、時間ぴったりにTさん登場!

「変わってないじゃーん」

がお互いの第一声でした(笑)
その後、Tさんお勧めの店でお昼ご飯にしたのですが、お互い手紙をやり取りしてても、実際に会うとまた違うもので、話が止まりません!
2時間ほどそのお店に滞在した後、次は電車に乗って山下公園へと向かいました。

山下公園へ向かう時、電車が結構混んでて、お互いに体が密着しそうになったので、私はなるべく体がくっ付かないようにしていたのですが、Tさんはお構いなしで、Tさんの胸とかお尻とかがカーブする度に私の体に密着し、事実上女の子と初デートの私は照れまくり(._.〃)‥

もしその時、彼氏と付き合っていたら、その時のTさんの彼氏さん、すいませんでしたm(__)m

山下公園では、横浜在住時代にも上がったことのなかったマリンタワーへ一緒に上がって景色を眺めたり、氷川丸の中に入ったり、カップルみたいなひと時を過ごすことが出来ました💖

女の子とデートするって、こんなに楽しいことなんだな…。

Tさんにそんなことを教えてもらったような1日になりました。

私は東京駅夕方5時のひかり号で、広島へ戻ることにしていましたので、お互い進路が決まったら報告し合おうね、と約束して4時頃に横浜駅でバイバイしたんですが、運命のいたずらか、Tさんは全寮制の大学に入った、と連絡があり、私は地元のすべり止めに進学することになったと返事した後、音信不通になってしまいました。

私も大学1年の9月に広島県の大竹市の社宅から、広島市佐伯区五日市という所でアパートを借りて引っ越し、更に就職は富山だったので、Tさんから私を、あるいはその逆を探すのも大変になってしまいました。
たまにFacebookで、Tさんの名前を検索してみるんですが、該当者なし。

間違いなく私の人生に欠かせない存在のTさんと、死ぬまでに一度再会したいな、そう思う私です。

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