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昭和59年度ベストテン〜アラフィフは昭和に舞い戻った!

4連休中に高校を卒業した後、中学時代を再び思い出してスピンオフ小説等を書いていたのですが、次に何を書こう?と思ったら、頭がやっぱり昭和脳に染まってしまいましてですね💦

結局懐かしい時代、青春を過ごした昭和が定位置の私です(*´ω`*)


さてさて、昭和59年度は、私にとっては人生が激変した年です。
中1から中2に上がった年ですが、吹奏楽部に途中入部した年です🎷

今や私に吹奏楽は欠かせませんが、もし顧問の先生からの勧誘を断り続けて帰宅部のままだったら、一体どんな人生になっていたでしょうか。

恐らく人脈も乏しい、寂しい人生だったと思います(^o^;)

そんな人生の一大転機となった年、私はどんな曲が好きだったか、春から順番に10曲アップしたいと思います。

ちなみにタイトル画像を拝借したHPは、コチラ!

私とはちょっと時代が違うな~と思いましたが、今も共通する「あるある!」なネタが結構あったので、こちらもご覧下さいね(^▽^)/

では、レッツラゴーε=ε=┏(;・∀・)┛


①「哀しくてジェラシー/チェッカーズ」

丁度中2に上がる頃に「涙のリクエスト」がヒットし、一躍トップアイドル兼バンドになったのが、チェッカーズでした。
吹奏楽部の顧問の先生まで、私を吹奏楽部に勧誘するために、チェッカーズのサックスを吹いて欲しいんだ!と熱弁を振るうほどでした(^_^;)

同時に「涙のリクエスト」を含む3曲がランクインするほど、一大ブームが起きたんですが、私はその中でも「哀しくてジェラシー」が一番好きでした♪
チェッカーズの何が凄いかというと、絶対にテレビ番組で歌う時も、カラオケバンドにしたりせず、生演奏、生歌だったことです。
たった一曲でも全力投球!
そこが、チェッカーズの素晴らしさだと思ってます👍

ちなみに私の秘蔵の持ちネタですが、「ギザギザハートの子守歌」「水戸黄門」や、「どんぐりコロコロ」の歌詞とぴったり相互にハマります(* ̄m ̄)
一度お試しください(笑)

②「サザンウィンド/中森明菜」

この曲を聴くと、学校の都合で何故か中学2年生の5月に行われた、修学旅行を思い出します🏫
私達の中学は広島にあるということで、中学の修学旅行の定番、平和教育を行うために、長崎を目指す修学旅行のコースが実現しました。

広島の原爆資料館をご覧になった方も沢山おいでだと思いますが、私の感想は、広島の原爆資料館より、長崎の原爆資料館の方がエグかった!怖かった!

そんな思い出もありますが、何とか修学旅行中に彼女を作りたいなと思っていた私、同じクラスのある女子、S.Iさんに何とかして声を掛けようとしたのですが、ダメでした〜(TдT)
オマケにS.Iさんはクラスの番長的な男子が好きだから、ほかの男子は引っ込め!と言われて、スゴスゴと片思いを無かったことにしました。
チキンだなぁ(苦笑)

③「渚のハイカラ人魚/小泉今日子」

この曲は、同じく修学旅行中の思い出の曲なんですが、移動のバスの車中で、担任の先生の風貌を風刺した替歌を作って、披露したという思い出があります(笑)
心の広い先生で、初披露の時は爆笑してくれ、バスの中も盛り上がったんです。次の日も歌えと言われて歌ったんですけど、2回目になるとみんなシーンとしてしまって、盛り上がらなかったという苦い過去があります💦

④「前略、道の上より/一世風靡セピア」

「欽ちゃんの良い子悪い子普通の子オマケの子」という番組がフジ系の月曜9時に入ってまして、あだ名にミエハルと名が付く私は、本家・見栄晴が出る水曜のテレ朝系欽ドコ以外の欽ちゃん番組も、全て見ていました。
その良い子悪い子普通の子に出ていたのが、一世風靡セピアのメンバーで、一人は武野功男、もう一人はなんと柳葉敏郎でしたΣ(´∀`;)

その2人が、一世風靡セピアから歌を出すというので、最初は夜のヒットスタジオでこの曲を見たのですが、度肝を抜かれました(@_@;)
凄いダンスパフォーマンスに圧倒され、欽ちゃんの番組で見る姿と全然違うことにビックリ!
男として、憧れましたね〜✨

⑤「バージンブルー/SALLY」

中2の夏休み頃に、キリンレモンのCMソングとして入っていた曲です。
チェッカーズがバンドとしてサックスをフル活用しているのを真似してるんだろ〜とか、今思えば酷いことを言ってましたが、裏話で、この曲は本当にチェッカーズが歌う為に作られた曲だというのを知りました。
ただチェッカーズサイドは乗り気じゃなく、SALLYというバンドにお鉢が回り、歌ってもらうことになったそうです。

でもフミヤがこの曲を歌う姿も、観てみたいです〜♫

⑥「十戒(1984)/中森明菜」

吹奏楽コンクールで、ゴールド金賞をもらったことで、私はいよいよ吹奏楽にのめり込み始めました🎷
そんな2学期初め、初秋の頃のヒット曲が、これです。

中2の2学期最初の思い出は、体育祭で初めて開会式をテントの中で迎えたこと(笑)
吹奏楽部の特権で、開会式と閉会式はマーチや校歌やその他色々な曲を演奏しますので、テントの下にいられるんです♪
なんて楽なんだと、嬉しくなりました(笑)

ただラジオ体操だけはテントから出てきて、グランドの端っこで体操しなきゃいけなかったんですが、男子は後ろ、女子が前という並び方を指示された結果、とてもここでは書けないような光景を見てしまい、戸惑ったと言いますか、嬉しいと言いますか、女子には秘密にするぞ❗が、男子部員の合言葉になりました(*ノェノ)キャー ←女性のみなさん、バカでスイマセンm(_ _)m

その他体育祭では、放送委員を務めまして、リレーを実況中継のように喋ったら先生からも生徒からも大ウケした思い出もあります(過去記事参照)

⑦「恋、はじめまして/岡田有希子」

昭和61年の4月に悲運の死を遂げてしまう、岡田有希子さんの曲です。
代表曲としては、最後の作品となった「くちびるNETWORK」がよく上げられますが、私は昭和59年秋の「恋、はじめまして」の方が好きです♪

このYouTubeの画像を見てください、なんて可愛いんでしょう💖
歌も上手かったですし、間違いなくトップアイドルになれる保証付きだったのに…。

不幸にも早逝してしまったことが、本当に残念でなりません( ノ_<)

⑧「ハートのイヤリング/松田聖子」

昭和59年秋からもう一つ、この曲を上げたいと思います。
この曲を聴くと何を思い出すか?というと、中2の文化祭です。
その年の文化祭から、クラス曲というのを各クラスで作り、合唱コンクールで発表することになったんですが、そのクラス曲作成委員に指名されてしまったんです(;>_<;)

歌は好きだし、吹奏楽部に入ってましたが、作曲なんて無理無理!
担任の先生はなんという無茶ぶりをするのだ…と思いつつ、メンバーに指名された中から、自宅にピアノがある女子の家へ集合し、あーでもない、こーでもないと曲作りを始めました。

その集まりの時は当然私服なんですが、なんと何回目かの集まりの時、ピアノを弾いていた女子が椅子から降りようとした時、ワンピースのスカートが椅子に引っ掛かって、チラッと白いおパンツが見えてしまったんです(/ω\)

ほんの一瞬、1秒にも足らないほどの時間だというのに、36年経った今でも覚えてるって、本当に男はバカでアホでしょうがない生き物ですね(苦笑)

⑨「熱視線/安全地帯」

スローな曲が売りのバンドだと思っていた安全地帯が、結構激しい曲も歌うんだ!という衝撃を受け、覚えている曲です。
中学時代の親友とカラオケに行った時、ハモりを試してみたら、結構うまくハモれたので、また歌おうぜと言いつつ、実現していません(笑)

曲の時期的には昭和60年に入ってしまうかな?と思いますが、中2の3学期は吹奏楽部で部長になってしまったものの、どう運営したらよいのか暗中模索で苦しんでいた時期なので、クラスの出来事よりも吹奏楽部で苦しんだ思い出の方が強いですね(^_^;)

⑩「シンデレラは眠れない/アルフィー」

春に出すアルフィーの曲に外れなし!という私の勝手な伝説は、この前年の「星空のディスタンス」から始まっていますが、続くこの年の「シンデレラは眠れない」も、これまた名曲だと思います。
長い冬を終え、いよいよ暖かい季節を迎えるという時期にピッタリの曲調が実に私好みで、気持ちを新たに3年生になろう!と思っていたことを、思い出します。


再び昭和の歌シリーズに回帰してしまった私、明日は別路線の記事が書けるかな、それとも…💦

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