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アラフィフがアオハルを感じたその昔の話PART2

先日、やっぱり「青春」っていいものだ!という記事を、企画に乗っかって書いたのですが…📝

👆 初めから既に「PART1」等とタイトルに入れていますので、「PART2」を書く気満々だったことが分かります(笑)

さてその乗っかった企画は、コチラ👇

たぬきの親子さん主催の企画です。
皆さんが経験された青春話、私もいい年したオッサンの分際で興味津々👀
もっと記事が集まりますように…と祈りつつ、私の過去話PART2を書いてみたいと思います。

今回の記事もnote初期に書いた記事を加筆修正したものなので、当初より私の記事をご覧いただいている方には既視感があるかもしれませんが、ご容赦下さい。また今回も、友達との話というよりは、吹奏楽部の後輩との話がメインです。それではどうぞ❗

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私は大学入学当初、あまり真面目では無かった為、サークルに入るのも躊躇している内に入り損ね、帰宅部ならぬ帰宅サークル?の部員になってしまいました。

その分逆転の発想で、まだ土曜日まで授業があった平成初期ですから、私はよく土曜日の午後、母校の吹奏楽部へ指導と称して遊びに行ってました(笑)

さて平成2年の春先、ふと新入生(4期下)の練習を俯瞰して見ていますと、私が吹いていた、重くて目立たないバリトンサックスを、一生懸命練習していた後輩女子を見付けました。

私は昭和63年の8月を最後に、高校ではバリトンサックスの人ではなくなり、完全に打楽器の人になっていたので、サックスの練習に首を突っ込むのは憚られたんですが、それでも声を掛けずにはいられませんでした。

「バリサク重いでしょ?中学の時に、吹いてたの?」

と、真面目に聞きに行ったら、中学時代は別の部活で、高校に入ってから吹奏楽部に入ったんです、との答えでした。

それ以来、その女の子が気になるようになり、土曜日に吹奏楽部の練習を見に行く時は、頼まれてもないのにサックスのパート練習に顔を出し、特にバリトンサックスを一生懸命に練習している女の子を教えるようになりました。

その子の名前はSちゃんとしておきます。

物凄い真面目で、将来は看護婦になりたいんです、と教えてくれました。

私は真面目に練習する女の子に対しては、真剣に向き合います!
恋愛感情等については、持たず、作らず、持ち込ませず、の非恋愛三原則を貫き、Sちゃんの指導と、時にはサックスパート全体の指導も行うようになりました。

そして約1年が過ぎ、平成3年3月末には母校の第5回定期演奏会を開催することになりました。

私は定期演奏会にOBとして参加する時は、打楽器の人として参加していたので、定期演奏会に向けての練習が本格化してきた頃からは、サックスの指導は中止し、自分に与えられた曲のティンパニやドラムの練習に励むことになりました。

そんなある日。

練習後、いつもは私が一人暮らししている五日市という町方面に向かう現役生、OBが結構いたので、結構大人数でワイワイ言いながら帰っていたんですが、たまたま私1人だけっていう時があったんです。
トコトコと帰り道を歩いていたら、後ろから

「ミエハルせんぱーい!」

と呼ぶ声が聞こえました。

ん?と振り向くと、バリトンサックスのSちゃんでした。
小走りに私の方へやって来るのを待ってから、話し始めました。

「あれ?Sちゃん、お疲れさま。家はこっちの方なの?」

「はい、私の家は五日市なんです。だから実は、ミエハル先輩と同じ方向なんです」

「そうなんだ?もっと早く言ってくれたら良かったのに」

「でもいつもだと先輩は、沢山の人と楽しそうに帰っておられたので、声をお掛けできなかったんです」

Sちゃんは、ちょっと照れながらそう言いました。その表情を見た時、私はふと、Sちゃんが可愛く見えました。
いや、いかんいかん、非恋愛三原則だ!どうせ自分なんか、女性運がないんだから、いい気になるな!でも・・・

「ミエハル先輩、英語ってお得意ですか?」

「英語?」

平成3年というと、丁度その頃、富山に帰省したら母の知り合いの娘さんの家庭教師をやってくれと頼まれていたので、高校受験の英語の勉強を改めて問題集を買って勉強し直していました。
なので、多少は大丈夫かなと思ったんですが、高校受験用の英語と、現役高校生の英語では、大いに異なります。

「まあまあかなぁ・・・」

と答えたんですが、多分Sちゃんは私がどう答えようと、以下の通り言う予定だったのだと思います。

「先輩、私に英語を教えてください。先輩が暇な時、たまにでいいんです」

「えーっ、俺なんかがSちゃんの英語、教えられるかな」

「私、本当に英語がダメなので、誰かに教えてもらいたかったんですけど、なかなか頼める人がいなくて…。でもミエハル先輩なら、優しいし、一人暮らしておられるんですよね?私が先輩のアパートに、迷惑かもしれないんですけどお邪魔して、英語を教えてもらえたらな、と思ったんです」

何ですと、野郎の1人暮らしのアパートに行ってもいいですと!?

「それとミエハル先輩、優しいだけじゃなくて、ドラムを叩かれる姿、格好良かったです」

もう、キュンキュンする言葉をど真ん中ストライクで、Sちゃんは私に投げ付けてきます。

いかんいかん、好きになっちゃダメだ・・・

と思いつつも、話し合いの結果、平成3年の5月から、月に1回、私のアパートにSちゃんが来て、私は英語を教えることになりました。
私は大学3年、Sちゃんは高校2年の時の話になります。

最初はSちゃんの日程に合わせ、1学期の中間テストが終わったタイミングで、日曜日に私のアパートに来てもらうことになりました。

いざ、当日!

中間テストの英語の解説ということから始めようと、アパートにてSちゃんを出迎えました。

「先輩、こんにちは!」

初めて見る私服のSちゃんは・・・やっぱり可愛いなぁ💕
いやいや、真面目に英語を習いたいって、俺のことを信じてアパートに来てくれたんだから、絶対に英語以外の事はしちゃダメだ!

と、強く自分に言い聞かせ、アパートに招き入れました。

初めて高校や通学路以外の場所で会うので、お互いに緊張しましたが、初対面というわけでもないので、世間話を少しだけしてから、すぐにスムーズに勉強出来ました。

そんなこと言って、本当は一人暮らしのアパートに現役女子高生が来たんだから、何かしたんでしょ?( ̄m ̄*)

とお思いの方、天地神明に誓って私は英語の勉強と多少の雑談以外、何もしておりません!指一本触れておりません!

このSちゃんという女の子は、本当に真面目で、本気で自分の進路のために勉強に来ている訳ですし、私のことを信頼してアパートに来てくれているんですから、信頼を裏切るようなことをしては、大変なことになります。

かくして毎月1回、生徒(Sちゃん)が先生(私)の家へやって来るというスタイルの家庭教師が始まりました。

なんとSちゃんのお母様からも「娘がご迷惑を・・・」と直々にお電話を頂いてしまったので、余計にちゃんとやらなきゃダメな環境になりました💦

でも月一で1vs1で会ってる(しかも私のアパートで)訳ですから、好きになっちゃいけないと自分を律しつつも、どうしてもSちゃんのことを好きになってしまうのが、彼女という存在を欲してやまない男の本能ってもんです(/ω\)

Sちゃんもたまにお礼に・・・と、お菓子とかサラダとか持ってきてくれたり。

(嫌いだったら、月一で一人暮らしの男のアパートには来ないですよね?)

お互いに言葉にはしませんでしたが、この時期私とSちゃんは両想いだった…と思います。

でも真面目にやらなきゃ、と手かせ足かせを自分に嵌めていたのと、高校時代の連続失恋経験による恋愛恐怖症から、どんな時も自分から告白はしない!と決めていたので、いつもSちゃんとのトークは、当たり障りのないものばかりになっていました。

そしてSちゃんを教えるようになってから約1年が過ぎ、季節は巡って再び母校の「第6回定期演奏会」がありました。
私は就職活動が忙しくなっていたので、あまり練習に行けないから、という理由で、この年の定期演奏会へのOB演奏参加は見送りました。

その1週間後、現役生の打ち上げがあり、ミエハル先輩も来てくださいと、ありがたい連絡をもらったので、私の他に数名のOBと一緒に、現役生の打ち上げに出掛けました。
そこにはSちゃんもいまして、なんとなくお互いに顔を見合っては照れていました。

問題は、2次会のカラオケ後です🎤
なんとなく解散が惜しくて、カラオケ店の入り口でガヤガヤと喋っていると、酔っ払った私の同期、Kが、次々と女子を口説き始めました。
心配しながら見ていたら、Sちゃんにもその毒牙が及びまして、Kの彼氏はいるの?という質問に、一瞬私の顔を見た後、いません、と答えたんです。

するとK、じゃあ俺が彼氏になる!と宣言してしまいました。

(なんだと、コイツ!)

私がそう激怒したのには、前例があるからです。

そう、Kというのは私の中3の時の元カノさんを奪い、4年付き合った後に別に好きな女が出来たからと、あっさり私の元カノさんをフッて、その新しく好きになった女性に告白してフラレたら、また元カノさんにやり直そう等と平気で復縁を持ち掛ける男、連載中の小説では大村と名付けている奴なんです💢

なんと結局SちゃんもKの告白を受け入れざるを得なくなってしまい、周りはヒューヒュー言ってましたが、個人的には祝福したくないカップルが出来てしまいました。

平成4年、4月の悲劇です。

この後は、Sちゃんからの連絡も途絶えてしまい、月1回の英語の勉強が自然消滅となってしまいました。

真面目なSちゃんですから、Kという彼氏が出来た以上、私のアパートに行くわけにはいかない、と思ったのでしょう。

告白はしない、出来ないとは思っていたものの、失恋記録更新です💔

私もその告白現場にいたので、事情は分かりますので、もう英語の勉強は辞める?等とSちゃんを深追いしないようにしました。

さてそんな波乱を経て私も大学4年生となり、卒論のテーマを本格的に決めて資料の準備をしなきゃいけなかったり、就職活動が忙しくなり、大阪に行ったり、東京にも行ったり、また富山には何度も帰省したりして、自分自身のことで手一杯な日々が春から続いていたのですが、6月もそろそろ終わりそうな頃…。

なんと3か月ぶりに、Sちゃんから電話が掛かってきました(゚0゚;)

ビックリして出てみると、Kとどう付き合えばいいか分からない、という相談電話でした。

「先輩、突然ごめんなさい。連絡も出来なくなって。K先輩は1回デートに連れてってくれたんですけど、それきり、放置されてるんです。私、彼女だとは思えなくて、そんなんなら別れたいんですけど、音信不通でスッキリ別れられないんです。どうすればいいですか?」

泣きそうな声で、私に電話してきたSちゃん。きっと私に電話するまで、様々な葛藤があったと思います。
とりあえず1回、外で会うことにして、そこで詳しく聞いてみることにしました。

果たしてファミレスで再会したSちゃんは、K先輩は自分勝手で、いつも一方的な連絡しかしてこない、こっちから連絡すると忙しいと言って切られる、全然会おうとしてくれない・・・。
と、溜まっていた悩みというか愚痴を、私にぶつけてきました。

ったく、Kの野郎💢

私はあまりの不誠実さに、もうKとは連絡取らないでいいから、自然消滅にしちゃえとアドバイスしました。

でも真面目なSちゃんは、ちゃんとケジメを付けたいと言うんです。
では手紙で別れたいと伝えたらどう?と言ったら、住所が分からないとのこと(住所教えてないんかい💢)。
電話だと、本題に入る前に忙しいと言って切られる。

酔っぱらった勢いで大切なSちゃんを奪って、受験勉強もあるのにこんな気持ちにさせて、Kの野郎、ふざけんな!

と思いましたが、その現状では身動きが取れないから、とりあえずはSちゃんから連絡はしないほうが良い、とその日は結論を出しました。

そしてじゃあね、とその日はお別れしようとしたら、Sちゃんからお願いがあると言われました。

「ミエハル先輩にせっかく英語を教えてもらってたのに、春にゴタゴタしちゃって、途中で終わっちゃったので、また教えてほしいんです。ダメですか?」

ちょっと気持ちは複雑でしたが、断る理由などありませんから、やり直そうか!と、申し出を受け入れまして、7月の期末テストの後から、月イチの英語レッスンを再開させました。

そして月イチの英語レッスンを再開させた後、Sちゃんは看護専門学校の推薦入試をいよいよ10月に受けることになりました。

真面目に頑張ってるSちゃんだから、きっと大丈夫!と励ましてみたのですが、果たして結果は無事合格♬\(^o^)/

これで俺の役目も終わったな…と思ったんですが、なんとSちゃんからは

「先輩、英語の勉強、続けてもいいですか?」

と言われました。

「え?合格したし、英語の勉強はもうしなくてもいいんじゃない?」

と聞き返したら真面目なSちゃんは

「専門学校へ行くことが決まったからと言って、勉強を疎かにしてたら、自分がダメになっちゃうと思うんです。だから、まだ英語を教えて下さい」

なんと真面目な女の子でしょう😥

Kという男の出現で仕方なく封印していたSちゃんへの恋心が、再び顔を覗かせてきます。
吹奏楽部の後輩達も、Sに告白したらどうですか?と勧めてくれるほどです。

ただその時点(平成4年10月)で私は、翌年から富山で就職することが決まっていました。
Sちゃんも進学先は、広島の看護専門学校、しかも全員強制入寮生活という、なかなか厳しい環境へ進むことが決まっていました。

仮に告白して成功したとて、4月以降は間違いなく遠距離恋愛、しかも富山と広島という長距離、更にSちゃんは自由な時間が制限されてしまう環境になってしまうことが、もう既に分かっているわけです。
しかもSちゃんは、Kというお荷物彼氏と正式に別れていないと、まだ悩んでいました。

これじゃ告白なんて出来ないよ~!

なので、もう英語を勉強する必要もないのにわざわざ私のアパートに勉強しに来てくれていた平成4年の11月頃から平成5年の2月頃までは、間違いなく再び両思いだったと信じてるんですが(苦笑)
告白できないジレンマをお互い(なのかな?)抱えていました。

そして季節は過ぎ去り、私はいよいよ富山へ住民票を移さねばならない日が来ました。

Sちゃんとは3月の頭にアパートで最後に勉強した日に、お互いの新住所と電話番号を交換しました。

「先輩、電話しますね」

「うん、Sちゃんにも電話するからね」

「悩みができたら、相談に乗ってくださいね。手紙も書きます」

「ありがとう。必ず自分も書くから」

私の広島最後の冬は、Sちゃんという真面目で可愛い女の子の思い出がセットになっています。

今でも、チャゲ&飛鳥の「no no darin'」という曲を聴くと、広島最後の冬にSちゃんに恋しながらも告白できなかった思い出が蘇ります。

Sちゃんと最後に顔を合わせたのは、平成5年春の、母校の第7回定期演奏会でした。

その日はあまりに忙しくてSちゃんと話が出来なかったのが、実は今でも悔いとして残っています(;´∀`)

ちなみに、お互い新生活に踏み出した後、Sちゃんから手紙が届きました。
無事にKとケジメを付けて正式に別れることができました!と書いてありました。

よかったね、Sちゃん(^_-)-☆

次は真面目な彼氏を見付けるんだよ…。

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という、思い出話でした。

その後Sちゃんとは、辛うじて年賀状のやり取りを続けていて、細い繋がりは保っていたのですが、昨年ひょんなことからLINEで繋がることが出来たんです♪

素敵な旦那さんと結婚され、今は四国に在住で、先輩がこちら(四国)へ来られる時は、ウドンを食べに行きましょうね、と連絡をくれました。

567さえなければ青春18切符ですぐにでも会いに行きたいんですが…(笑)

サポートして頂けるなんて、心からお礼申し上げます。ご支援頂けた分は、世の中のために使わせて頂きます。