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20230824(嘘みたいな思い出について)

 あの時どうしていたら良かったのだろう。あるいはこれで良かったのか。
 後悔のない人生を目指す私にも時おり思い出してしまう事がある。

 私は昔、セラピストをしていた。具体的にはボディケアや足つぼを行う整体やマッサージに近い業種である。
 実際に仕事をしていたのは約一年ほどだったが、その間にも月にのべ70名ほどのお客様を担当していた。内訳も様々で、老若男女はもちろんのこと国籍や人数問わず本当に多種多様なお客様との接客、施術は最後まで楽しいものだった。
 色々な理由があって辞めてしまったが、辞める少し前から私のことをずっと指名してくださったお客様がいた。少し年上の男性の方だった。

きっかけ

 初めて来店されたのは11月の終わりだった。もう少しで閉店するというタイミングで20分のコースの予約が入った。その日は来店数が極めて少なく、ほとんど立って待っているだけだった私にとってはたとえ短い時間でも大変嬉しいご来店であった。
 見た目は優しそうな雰囲気で痩せ型の高身長、見るからにいい人オーラが溢れていた。そしてその予感に狂いはなく、受付や説明をしている段階でこちらも癒やされていた。
 足つぼコースだったため対面での施術となり、短い時間の間に様々な話をした。その方(Aさんとでもしようか)は某洋菓子店のパティシエ兼店長をされており、年末年始はさすがに忙しいとのことだった。また、周りの従業員がほぼ全員女性ということで私と境遇が似ていることもあって、大変話が弾み、コースを延長してさらに楽しい時間は続いた。
 すっかり手応えを感じた私は名刺を渡し、指名制度について説明をすると即答で「また来ます、次回指名でお願いします。」と言っていただけた。セラピスト冥利に尽きる瞬間であった。

年の瀬

 その数日後、またまた暇な日の閉店間際に急遽私の指名予約が入った。新人で指名本数の少ない私はとても喜び、周りの先輩も一緒に喜んでくれた。
 そしてお客様はもちろんAさんであった。

 その日も時間の都合上短いコースだったが、手のツボを押すコースだったため、実質おはなしコースとなった。ここのところ連勤が続いたことで頭の中は今日も癒やされに行きたいという気持ちで埋め尽くされていたらしい。もちろんいち従業員としても嬉しかったが、技術も少ない私をそこまで頼ってくださる方がいるという事実に胸を打たれた。お見送りをする私の顔はおそらくその日最も良い笑顔だったに違いない。

 その後も週一ペースで年末ギリギリまで毎週Aさんは来てくださった。いろいろなコースを試されたが、結局足つぼが一番お話しやすいということで後半は足つぼばかりしていた。正確にはお話ばかりしていた。
 その頃、個人的に恋愛をこじらせていたことや先輩への不満も溜まっていたため、プロとしてあるまじき行為かもしれないが私の話ばかりしてしまっていた。Aさんは嫌な顔ひとつせずすべて笑って聴いてくれた。それが間違いなく私にとっての癒しになっていた。
 その様子を見ていた先輩セラピストからの助言でついに個人スマホのLINEまで交換する流れになった。正直私は仕事に対してはドライで、プライベートとは完全に切り離していたのだが、特に断るほどの理由もないし大学を卒業してから友人を作るきっかけもなかったため、何かの縁だと思って受け入れた。

変化

 クリスマスイブの日、私は3年以上付き合っていた彼女に別れを告げた。理由は多々あったが、今考えてもやむを得なかったと思う。とはいえずっと一緒にいた大事な人に別れを告げるのはあまりに負担が大きく、その日の夜はお互いさんざん泣きまくった。
 次の日も出勤だった。私は少しでもバレないように朝から気合を入れて臨んだが、常連のお客様やその日も来てくださったAさんにすぐに異変に気付かれてまんまと打ち明けてしまった。Aさんは変わらず私を受け止めてくれた。

 年が明けた頃、私の精神状態は最悪の状況であった。職場の人間関係に絶望し、これ以上この仕事は続けられないと思ったある出勤日の朝、私は無心で退職代行会社を探し、料金振込みボタンを押した。それ以来、あの店を訪れてはいないし、当時のセラピストの先輩の誰とも連絡をしていない。

 しかし一人だけ連絡を入れた人がいた。

 Aさんは心配してすぐにその日の晩にドライブに誘ってくださった。もはや施術をしてあげることもできない私はただただAさんの優しさに甘えることしかできなかった。あてもなくドライブを続け、降りるときにはお店で余ったスイーツまで頂いてしまった。人の温かみに触れて、私はまたもやその日の晩に枕を濡らした。

 無職になった私は転職活動や次の仕事に向けた勉強をしながら親や大学時代の友人と連絡をするようになった。その間も何度かAさんがドライブに誘ってくださった。元気になるきっかけをくれたAさんを断る理由はなかった。

唐突な最後

 2月頃、私は次の転職先を決めた。完全に異なる業種での未経験転職だった。心機一転チャレンジするということで広島から上京する決意もした。そのことをAさんに伝えると自分ごとのように喜ぶと同時にまたもやドライブのお誘いをくれた。すぐに承諾し、その日の夜に会うことになった。

 いつもと変わらず楽しい車内。だがいつものルートとは異なり、ずいぶんと遠くまでその日は走らせていた。距離が長くなるに連れてAさんは自分の過去の恋愛について語りだした。そういえばそれまでAさんのそういった話にはあえて触れてこなかったことをそこで思い出した。

 Aさんには男性経験があった。というか男性経験しかなかったようだ。言われてみればフェミニンな雰囲気ではあったが、女性にもモテそうだと思っていたので意外だった。とはいえ別にそれを否定する気はさらさらなかったし、変わらず接するつもりだった。その後、AさんはAさん宅に一度寄って私への内定兼誕生日祝いのプレゼントをくれた。Aさんを待つ間、先ほどまでの会話を頭の中で整理しながら何事かとちょっとだけ不安視していた私が馬鹿だった。と同時に純粋に嬉しかった。

 そのまま私の家まで送ってくださる流れだったが、私の家とは反対方向に車は走り出した。もう少しドライブしたい気分なのかと思ったが、Aさんは広い公園の駐車場に車を停めて私にこう言った。

「さっきの話、驚きました?」
「もし〇〇さん(私のこと)と同じことしたいって言ったらどう思います?」

 私は驚いて何と言っていいのか分からなかった。とりあえず「どうですかね〜、わからないですね〜」と返すのがやっとだった。
 「そうですよね」と言ってAさんは再び車は出した。帰るまでの間、Aさんは私に会えなくなるのは寂しい、さっき言ったことで嫌いにならないでほしいと謝ってきた。別に嫌な気持ちになったわけではなくただただ驚いてしまっただけなのだが、私は言葉に詰まってしまった。

 その日を最後にAさんからのお誘いはなくなった。あの時、気の利いた返事でAさんを受け入れていたらどうなっていたのだろうか。Aさんからもらった多くの優しさに私は何も返してあげることができなかった。えも言われぬ感情があの頃を思い出す度に胸中を埋め尽くす。

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