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20231105(しんどい時の安らぎについて)

大変大変久しぶりに筆を執る。正確には筆ではなくキーボードであるが。

こうして筆を執るきっかけになるのは大概なにかに影響をされた瞬間であるが、今回は村上春樹さんの著書を読んで書かなくてはならないようになってしまった。

その前に一つ、今日は悲しいというかえも言われぬ感情に包まれた瞬間があった。
私は趣味でギターを弾く。
ここ最近かなりサボってしまったが、それでもギターが好きだ。
そんなギターの弦がかなり錆びついていたので、久しぶりに弦交換をした。
弦を取り外し、ポリッシュやレモンオイルで丁寧に汚れを取った後でいよいよ新しい弦に付け替える。
私が使っているのはエリクサーのフォスファーブロンズという種類の弦で、あまり詳しくは知らないが同様の物の中でもかなり持ちがいいらしい。
交換後のキラキラとした音色に期待を寄せながら、いざ1弦から巻き始めたのだが、しばらく交換を怠っていたバチがあたったのだろうか。巻いている最中にバチンと切れてしまった。巻き始めるポイントを完全に見誤っていたのである。
身体が熱くなってなんとかならないものかと取り乱すだけ取り乱して数分後には1弦だけをメルカリで探していた。
結局同じ種類のものは見当たらなかったので、ダダリオの弦を安値で購入し、本日中の弦交換の完了とはならなかった。
ミックスされた音色を楽しみにまた5日間の労働に勤しむとしよう。

そんなこともありながら、本日は村上春樹さんの長編小説「ねじまき鳥クロニクル」に手を伸ばした。長編はやはり時間と体力がある時でないとなかなかチャレンジする気が起きないが、幸いこちらは有り余っていたためようやく読み始めるに至った。
読み進めるうちに私はなぜ村上春樹を読むのかを考えるようになった(もっと中身に集中すべきなのだろうが)。
そもそも私が村上春樹を読み始めたのは今年に入ってからである。社会に出だしてから早々に何度もつまづき続けた私を度々支えてくれた実の母がかねてよりの村上春樹ファン(あえてハルキストという表現は避けておく)だったため、初めて読むに至った。刊行順に「風の歌を聴け」から読み始めたが始めはよく分からなかった。ただそういうものだと思っていたし、昨今のよく分かる読み物の簡素さに飽きが来ていたこともあり、次々読み進めるうちに徐々に惹き込まれるようになっていった。
とはいえ、今日の読書に至るまでしばらく読むことを休んでいたのだが、その間にも色々なことがあった。私は昔から何かと人間関係のこじれやそこに対する興味によって思考を乱され、ややもすればこの場にはもういられないようなことをしでかしていたかもしれない程に影響されやすい人間である。
そんな私を引き止め、冷静かつ客観的な視点を与えてくれるのが村上春樹作品である。情動的な自分を「やれやれ」と言いながら見定める時間を与えてくれるのだ。

備忘録としてもここに記しておきたい。
心がざわついたり、落ち込んだり、どこかへ行ってしまいそうになるときには村上春樹を開け。
彼はいつでもわかってくれる。

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