子供が元気に暮らせる世界にしたいと改めて誓った日

ケニア生活にも慣れ、特に変わり映えのない勤務日を過ごしていたある日。

外来の方から大きな泣き声がした。

病棟組はみんな気になって
「なんかあった?人員いるかもだから行くか」
と見に行くことに。

そこには泣き崩れた女の人が。

何があったか理解できなかった私は周りに聞いて処置室に行くことに。

そこには沢山のスタッフがいて患者の姿は見えなかったけどどうやら子供らしい。

あの泣いていた方はお母さんだったのかな。

怪我でもしたのかな?

でもそれだったら痛くて泣くよね。

脳震盪でも起こしたのかな。

でもそこにいるスタッフの表情から明らかに違うことを悟った。

医師は首横に振ってた。

冷たいって言ってた。

そしてその子供をみて全て理解した。

亡くなってる。

こんな小さいのに?

まだ3.4歳くらい

全てスワヒリ語だったので状況理解ができず
落ち着いた段階で聞くと

病院まで車で1時間くらいのところに住んでいる方で、子供が病気で連れてきたらしい。

もちろん他に病院あったけど
お金なくて受け入れてもらえなかったり
薬代払えないから行くのやめたりして
とうとう状態悪くなってここまでなんとか来たと。

でもその道中でどんどん衰弱していって
着いた時には亡くなっていた。

日本では考えられない状況。

日本なら具合悪ければ病院にアクセスできるし
本当に緊急なら救急車をタダで呼ぶこともできる。
国民皆保険で医療費の補助出たり人によっては医療保険も入ってたりするだろう。

ケニアにも国民皆保険のような制度はあるけど、日本同様保険料を毎月500Ksh(500円くらい)納めないとだから、貧困層は入ってないこともある。貧困層は毎日の生活でいっぱいいっぱいで支払いができない。

医療システムとしては特にパブリックホスピタルなら、無料で受けれるけど薬は自分で買いに行かないとだったり、とにかく待ち時間が長いというデメリットもある。

プライベートホスピタルはお金かかるから貧困層は行きたがらない人もいる。

この状況でどうすれば助けられたの?

金銭面の支援じゃなくて、技術や現地の人だけでできるように教育をする支援が持続的に考えると大切って言うけど

この状況を見てそれを言える?

私は結局はお金の問題に行きつかないか

と思ってしまった。

お金があれば薬も医療者受けれる

毎日満足いくご飯も食べることできる

でもそのお金はどう生み出すの?

私が一方的に与えるだけでは続かない。

他の人が金銭サポートしてもそのサポートが止まればまた貧困層に戻ってしまう。

だからこそ現地の人と一緒に考え、実行し、形にしていくことで持続的な支援ができるんだと思う。

でもこれはすぐに形にするのは難しい。

すごく難しいと思った。

まだまだ答えは出ない。

この一件は私にとって考えさせられる経験だった。

とにかく今は安らかに眠ることを祈るのみ。

まだまだ答えは出ないけど、それでも同じようなことが起きないように,子供が元気に暮らせる世界にしたいと改めて誓った日になった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?