長月某日日記。
某日。
子どものお迎えバスを待ちながら、同じバス停のママさんと話していると、彼女が「あっ」と声を上げて上を見上げた。
え、何?とつられて見上げると、霧のような雨が降り始めていた。
ただ、その一方で太陽は見え、所々に雲があるだけ。お天気雨だった。
薄い雲にうっすらと遮られた日の光を反射しながら、さらさらと細かな雨が降り注ぐ。
見慣れた道路が、薄く発光する銀色の霞に包まれている。
ママさんと、すごいね、きれいだね、でも傘持ってきてないから大変だね、ときゃあきゃあ言いながら微笑み合う。
まもなくして、雨の向こうから園のバスがやってきた。
降りてきた子どもたちも、銀の雨にきゃあきゃあと微笑み合っていた。
某日。
出かけた先で、滑って転んで足をねんざする。
ねんざなんて子どもの頃以来ではないかという謎の感動を覚え、そして次に、子どもたちに「ケガしないように」と言っている立場なのに、自分がケガをしたことに落ち込む。
実家にいた頃、母も、病気になったりケガをするとしょぼんとしていたけれど、こういう理由だったのかもしれない。
そんなことを思いつつ足を引きずって歩いていると、子どもたちが両側からやってきて手をつないでくれる。
「つかまってね」「僕が手すりの代わりになるよ」と声をかけられ、そのやわらかい言葉がありがたいやら情けないやら、いろんな方向から沁みる。
某日。
「やっぱりこれでないとなぁ」というものがあることは、人を強くすると思う。
いろんなものとの出会いや失敗、迷いを重ねて、「ようやく自分に最適なものに出会えた」という思いの強いもの。
私にとって、そのひとつが眼鏡だ。
深い茶色のべっこう柄のフレームに、ゴールドの華奢なテンプル。
形が顔に馴染む。存在感はあるけれど出しゃばりすぎず、すっぴんや薄化粧でかけても、「寝起きです時間なかったんです」感がない。(朝バタバタしがちなので割とここ重要)
ただ、買って1年半にも関わらず、使い勝手の良さに多用しすぎてボロボロになってしまった。
別の眼鏡に買い換えようとも思ったが、これだけ好きな眼鏡に出会える自信が、正直ない。
そこで、オンラインで同じ眼鏡の在庫を探し取り置きしてもらうことにした。
店舗で受け取りの際、試着しますかと言いながら私の顔を見た店員さんが「あ、今のと同じですね」とひと言。少し恥ずかしい。
無事購入して、帰り際、ショッピングモールの店先のガラスに映る自分の顔を見る。
言うまでもなく、ガラスに映る新しい眼鏡をかけた私の顔は、古い眼鏡をかけた私のものと変わらない。
ただ、これだけ好きと言える眼鏡に出会えた喜びと、無事2代目を手に入れられた安心感に満ち足りて見えた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?