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葉月某日日記、付記。
某日。
暑さ厳しい日の昼。
子どもたちと訪れていたファミレスで祖母の訃報を受ける。
自覚できるほどの速さでゆっくりと思考が停止していく中、ぼんやりと向かいの壁を眺める。
カラフルな壁と天井のあわいに、手のひらくらい大きく、脚の長い蜘蛛が行き場なく彷徨っているの見る。
某日。
早朝。
地元へ向かう。バス、飛行機、船という陸海空の乗り物を制覇し葬儀場へ。
途中、船乗り場の建物の中にフナムシがいるのに気づく。
磯などで見るときは大群でいることが多く、ざわざわと蠢く、灰色の気持ち悪い生き物というイメージだったが、1匹で見ると黒目がつぶら。成虫ではないのか、光の当たり方によっては身体がクリーム色の半透明に見える。
かわいいと思うと、張り詰めていた心が緩んだ。
コロナ禍でずっと会えていなくて、亡くなったという報せを受け取っても実感がないままだった。
唐突に、堰止めらていた感情や思い出がどっと動き出す。
一緒に作ったまんじゅうや、私たちが祖母の家から帰る時は道路まで出て、私たちの車が見えなくなるまでずっと見送っていてくれたこと。
夕方。
葬儀を終えて、祖母の家に骨が戻るのを待つ。
田舎らしい大きな和室に、田舎らしく数の多い親戚が集まり、喪服の背中がひしめく。
開け放した窓からきつい夏の西日が差し込み、むしっとした密度の濃い風が吹いている。
映画のワンシーンみたいだなと、心の底の隅で不謹慎ながら思う。
コロナ禍ということもあり、精進落としは行わない。みんなで故人の思い出を分け合えないはがゆさ。
三々五々解散する親戚たちを見送りながら、夕闇に佇む父の背中を撫でる。
祖母の家でまたもや大きな蜘蛛を見る。
某日。
疲れていないと思っていたが、案外こんこんと寝る。
夢は見なかった。
夕方。
実家の自分の部屋の本棚を眺める。
置いていた鴨居玲の画集を見つけ、次の帰省で持って帰ろうと思っていたのだったと手に取った。
真っ白いキャンバスを、暗い顔をした鴨居と、彼の絵のモチーフになってきた老人たちが取り囲むような自画像が表紙だ。
展覧会で初めて見た時に、重苦しく暗い絵だけれどそれゆえに生きることへの執着や希望が描かれているように感じたことを思い出す。
喪服の入ったトランクへ入れる。
某日。
出発の前に、母と最近触れた映画や本でおすすめのものの情報や、テレビの話などする。
こうした時間すら数年ぶりで、ちょっとした感動すら覚える。
互いの好きなものも遠慮なく私は嫌いと言える気の置けなさ。
お互いに、心身健康に気楽に楽しくやろうねぇと言って別れた。
空港へ向かうバスから地元の景色をやっと落ち着いて眺める。
濃い、しかし透明感のある青色の海と空。
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