エリートたちの苦悩。
雨がふる、蒸し暑い日だった。
2年ほど前の6月。法律事務所に勤めていたある日、先生の付き人として外出をしていた。
「先生、お疲れ様でした。」
「お疲れ様でした。遠いところ、ありがとう。」
田口先生(仮名)は、腰が低い。付き人の私にわざわざ感謝の意を伝えてくださるくらい。
そのうえ、誰にでも礼儀正しくて、親切な方。普段の振る舞いが、顧客からの信頼の厚さを表しているかのよう。
任務を終え、肩の荷を下ろして帰路に着く。
「⚪︎⚪︎先生、昨日お弁当箱をレンジに入れたまま、帰ったんですよ。今朝レンジを開けたら、お弁当があって…」
「冷蔵庫と間違えてる?」
「そうかもしれません。笑
レンジで温めて、そのタイミングで電話がきて、お弁当は置き去りにしたみたいで。」
「⚪︎⚪︎先生ぽい。笑
仕事はできるけど、私生活がポンコツなところとか。」
「言いますね、先生。笑」
不可解な事件をネタに、世間話をする。
ちょうどいい毒の入った返しが、心地よい。
他の先生からの評価は高く、事務員さんたちを味方につけ、離さない。こんな些細な会話からも、先生の魅力がひしひしと伝わってくる。
「最近、お仕事立て込んでますね。」
「立て込んでます。帰りも結構遅いかな。」
「奥さん心配しますね。」
「まあ、奥さんも遅いから。」
結婚して2年になる、秀才妻がおられる。
しかもとびっきりの美人。
とかいう先生自身も、誰もが認める秀才のイケメン。ふたり並んで歩いていたら美しい絵になるだろうなと思わずにはいられない、パワーカップル。
奥様との出会いが某国立大学の名門ロースクールだったのだから、そんなことは言うまでもない。
仕事ができても、謙遜をする。
決してそれを鼻にかけたりしない。
先輩や上司をしっかりと立てる。
後輩の面倒見もいい。
親切で礼儀正しいのに、
心を掴むユーモアがある。
輝かしい学歴に、誰もが羨む容姿。
才色兼備の奥様まで。
本当に火の打ちどころのないお方。
(無自覚で潤んだ子犬のような目で女性を見つめる罪深い行為を除いて。)
と思っていた。
「僕は、一生父親を超えられない。」
この言葉を聞くまでは。
将来やキャリアプランの話をしていた際に、ぽろっと先生がこぼした言葉。
「超えるとは?」
「年収かな。」
あ、お金の話。弁護士の資格を得て、がむしゃらに働いても、労力とプレッシャーには到底見合わないお給料だとは耳にしていた。けれど、父親と比べてどうとか、そういう話が出てくるとは思ってもいなかった。
のちに聞いた話、先生のお父様は資格職で、地位も名誉もあるお方だった。父親の稼ぐ額を初めて知った日、先生は愕然したのだと言う。
「勝てない」と。
“教育熱心で過保護すぎる親に悩まされてきた。”
“敷かれたレールの上を歩いてきたばっかりに、どうしていいかわからない。”
と言うのはよく聞く話。
だが、どちらかと言うと先生の親は放任主義だった。幼い頃から勉強に熱心であったことは間違いないが、大学時代は通学圏内であるにもかかわらず、「一人暮らしをしなさい。」と家から追い出されたのだとか。
その経験を嬉しそうに語る先生は、きっとお父様を尊敬しているのだろうと思った。
同時に、”超えられない”が、焦りにも負担にもなっているように感じた。
いつか超えられたら、満足するのだろうか。
それとも、また別の壁をつくるのだろうか。
いつも誰かと比較をして、何かと戦っている。
自分で隔てた見えない壁であるというのに。
「超えたいんですか?」
「どうだろうね。」
曖昧な返しが、なんとも先生らしくて。
思わず笑った。
「僕は、一生父親を超えられない。」
あれから2年が経った、雨の日。
私は先生の言葉をふと思い返して、
どうか心だけでも晴れていたら、と願った。