他人の目を気にしすぎて自分らしさを消していた

小学生の頃から本を読むことが大好きだった。

昼休みはほぼ毎日図書室に行って本を借りたり、本が並んでいるのを見たりしていた。友達と話したり、遊具で遊ぶよりも図書室にいることが何より落ち着いた。一人でいることが好きでもあり、周りからどんな風に見られるか不安な気持ちもあった。

小学生の時に鮮明に覚えているのが、学年だよりに今年一番本を借りた人(本を読んだ人)で私の名前が載ったことがあった。帰りの会でみんなに配られた学年だよりを見て、私は絶望した。先生が私のことを紹介して褒める。クラスメイトからのまばらな拍手を受けて顔が熱くなった。

当時から私は目立つことが大嫌いだった。単純に恥ずかしいしみんなの注目を浴びるのが怖かった。周りからの視線に敏感だった私は、その視線が全て私に向けられる瞬間がとてつもなく居心地が悪かった。

そんな私は学年だよりに名前が載った次の日から、本を借りることを制限するようになった。いつものペースで本を借りて、また学年で一番本を読んでる人として紹介されるのが嫌だった。本をたくさん読んでることが周りに知られるのが恥ずかしかった。運動ができたり可愛かったり明るかったりする人の方が自分よりも上だと思い込んでいたので、毎日図書室に行っている私を晒された感じがしてすごく嫌な気持ちになった。

本を読むことが大好きなのに、その気持ちを目立つのが嫌だからという理由で押さえつけたことは今思うととてももったいないことだと思う。けど私はそれだけじゃなくて、目立ちたくないという理由で好きなことや気持ちを押さえつけることをたくさんしてきた。

小学生の頃から身長が高くて太っていたので容姿のことで色々なことを言われた。私は食べることが大好きだったけれど、12歳くらいで体重を10キロ程落とすダイエットをしたり、身長がこれ以上伸びないために大好きな牛乳もやめた。
授業で少しでもみんなより早く進めることができたり、出来のいいものが完成したりすると先生がクラスメイトに紹介する恐れがあるため、手を抜くこともした。
高校生の時に宿題で書いた読書感想文が県代表に選ばれて表彰される時も、嫌すぎて学校を休んだ。

思い出してみると本当にたくさんの好きや才能を自分の手で手放していることがわかる。それは全て、目立ちたくない、人から注目を浴びたくないという他人の視線を意識してのことだった。(授業中の発表も自主的には一度もしたことがない)

できるのにできないふりをしたり、分かるのに分からないふりをしたり、好きなのに好きじゃないふりをしたり、幼い頃から自分の感情や行動を制限していると、本当にできなくなったり分からなくなる。これは本当によくない。

大人になって学生の時よりはのびのびと暮らせているけど、あの時の癖は簡単には消えなくて、そうなるとただただ自己肯定ができずに能力がない人に写ってしまう。もったいないしいいことが一つもない。少しずつでも他人の目を気にせず自分らしく生きていけるように、色々試しながら実験しながら生活している。


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