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登る途中なのか?下る途中なのか?

たまに自分の現在位置がわからなくなる時がある。

そんな時は立ち止まって、自分の現在位置を確かめる。登っているのか?それとも、下っているのか?はたまた、迷いさまよっているのか?

それなりに年齢を重ねてくると自分の現在位置が明らかに下っている途中なのだと思うことがある。それは仕事でも、私生活でも、健康面でも、体力でもあらゆる分野で自覚せざるを得ない。

仕事の場合は、まだ良い方だと思う。多少の能力、瞬発力、などが落ちても経験というものである程度カバーは出来る。

でも

体力面、健康面では、どんなに経験を積んでもあまり役に立つことは少ない。落ちた体力、健康には結局することは限られてくる。

休むのが一番。それと適度な運動。

人生を登山を例に考えると、登り詰めた後は下るだけ。だが、この無難に何もなく安心に下山をしたいのだが、登りよりも下りの方がいろんな事が起こる。無事に人生という山を何事もなく下山できればそれは大往生といえるのだろう。

私の歳になってくると、もう登るところはほとんどなく、ゆっくりと下るだけだ。この下りが登り以上に非常に長く感じる。登っている時は、何においても【希望】がある。若い時はその希望も半端ないと思う。自分の力を過信したり、間違えたりすることも多いけれど、登っている途中には希望があるのだ。

下りにはそれがない。

若ければと思う事もあるが、それは言い訳になるし、そして時間を戻すことは出来ない。

だからと言って、私は人生を諦めたり、投げている訳ではない。

私は、人生という山の頂上を見た気もするし、見なかった気もするが、いろんな意味で登りは訪れない。ならば、ゆっくりと人生という山を下山するという事に何らかの楽しみを見出したい。

若い人に言いたい。

今が苦しくて大変かもしれないけれど、ある程度の歳になった時に、振り返ってみれると、登っている時のほうが圧倒的にマシであったということを。

希望は人に生きる糧を与える

これから希望がまるっきりないとは思わないけれど、前向きな希望は少なくなるだろう。

これからの下山する人生の中で、楽しみを見つけるのは大変だと思うけど、ゆっくりと下ることが出来たとしたらば、それはそれで最後に感謝するのだろうな。

自分位置はどこなのだろうか?

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