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映画「ルックバック」のこと。

ネタバレ全開ですのでご注意ください。

昨日、ルックバックを観てきました。何度も読んだあの伝説の漫画がいつか映画になるとは聞いてたけど「あ、今日からやってたんだ」と偶然SNSで知って、雨降りの夜に映画館へ向かいました。

上映までの間、ちらとSNSを見るとそこには大絶賛の嵐が吹き荒れていて、どこまでいってもその風は途絶えることがありません。
すごくハードル上がったな〜と感じつつ携帯の電源を落とすと、しばらくして映画館が暗くなっていきました。


結論から言うと傑作です。映画に詳しくない僕が烏滸がましく言ってもおそらく許されるくらいには大傑作だと思います。場内が明るくなった時、みっつとなりにいた方のポップコーンがほとんど減っておらず、まだうっすらと山を描いていたことが作品への集中を表していました。

ただいつもの娯楽映画のように「いや〜これは傑作だよ!」や「これを観ないと人生のn%損してるね!」などと冗談混じりに興奮し、唾飛ばすような、そういった傑作ではありません。
静謐で、ゆっくりと胸を締め付ける痛みを持った傑作。だから人に勧めることはしません。これを傑作と言わない人はおかしい、なんてことも思うつもりもありません。ただ僕は傑作と思った、それだけです。

ルックバックの内容自体にも触れましょうか。

とにかく映像の美しさがまず僕の心を包みました。とりわけ美麗なCGを多用しているとかそういう訳ではないのです。でもそこにあったのは写実的な光と色で、藤野と京本が袂を分つ場面の夕焼けや、卒業証書を届ける場面での廊下の暗さなど、至る所で「そうそう、こういう時ってこんな色だよな」とさらっと思いつつ「そういやこれ、アニメなんだよな……」と驚愕する。それの繰り返しでした。

そう、あまりに自然なのです。僕たちが普段見ている光と色。それが着色で再現されている。驚くほかありませんでした。

動画も演出も見事のひとこと。藤野と京本のふたりが出会い、藤野が漫画家になるまでのシーン全てが愛おしくて美しくて。そして原作を知っているからこそ悲しくて。走る藤野に追いつけず、手が離れていく京本の姿がやり切れなかった。

そして死。いかなる形であろうと理不尽に襲いかかる死に対して、映像は淡々と別れを演出していました。現実でも突然人が死んだとしてドラマチックな音楽など流れません。そんな冷たい後悔が静かな映像として表されています。

どこからやり直せばよかったのでしょうか。テレビで襲撃のニュースが流れた時、もし藤野が大人になってからも京本と連絡をこまめに取り合っているのなら履歴から彼女を探すはずですが、そうではなく電話帳から探していました。
もっと普段からまめに連絡を取り合って「最近物騒だから気を付けろよ」と声をかければ良かったのでしょうか。
それとも漫画家への道を断る京本を意地でも連れていくべきだったのでしょうか。
それとも藤野の妄想と同じく、家から連れ出さなければ良かったのでしょうか。

それに正解なんてありません。あったのはただ死んでしまったという事実だけで、残酷なこの世界は過去を悪く思っても何も始まらないのです。

京本の最後のセリフ

「藤野ちゃんはなんで描いてるの?」

その答えは幾多の回想の末に描かれた、振り返った京本の笑顔にありました。
妄想の中で藤野は不審者を退治した後、京本に対して「また最近描いてるんだ」と言っています。
果たしてあの日、卒業式の日に京本と出会わなかったとしてそうなっていたでしょうか。
京本も藤野と出会わずに背景美術の世界を目指すことになったでしょうか。

その可能性も否定できません。でもそれでも、藤野が京本の笑顔に出会い、ふたりがライバルそして親友として共に過ごし、成長した姿からではないとあの妄想すらも生まれなかったと思うのです。

ラストシーン、エンドロールが流れる中映し出されるのはひたすら朝から晩まで描き続ける藤野の姿。重なる主題歌の「Light song」がふたりへの祈りになっているようで、彼女らの背中をいつまでも眺めていたいと思える、最高のエンドロールでした。

ルックバック、すごい映画です。

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