テンプレは自分じゃない〜すごく心に刺さる絵師のnote4
noteやっててよかったなーと最近思うのがこの「すごく心に刺さる絵師のnote」がシリーズにできてしまうくらい「すごく心に刺さる絵師のnote」に出会えることである。
これは望外の喜び。
今まで自分が心から同意できるような内容のブログなどに出会ったことがなかったので、この点においては本当にnoteを始めてよかったと思う。
というわけで今回ご紹介するすごく心に刺さるnoteはこちら。
絵本作家とイラストレーターをされてる方です。
↑のnoteも勿論とてもいいんですが、他のnoteも沁みるんです。
自分が本当に心から感じたことを伝えようという誠実さを感じます。
このnoteで特に刺さったところを引用します。
(引用したくなるところいっぱいあって困るんだけど)
(ところで何で引用符で括ると改行なくなるのよ…原文と変わっちゃってるじゃん…)
ええと、私は生まれてこのかたバズったことがないので、この方の気持ちが本当にわかるかというと自信はない。
私の場合、バズる以前に周囲が変に静まり返ったあと、我に返った特定の層から異常にライバル視されて虎視眈々と技法を盗むための搾取元にされるだけだったので。
だけど、
ここの部分は私もこの方と同じく「バズるための『テンプレ』は自分の絵ではない」と感じていた。
バズるためじゃなく、本当に好きな作品なら、ものすごく苦労しながら二次創作もやったんだけどね。
ただそれも、原作絵に丸ごと寄せずに自分の絵柄で、しかし原作のキャラクターらしさが欠片もなくなっては困るので、どの程度、どう寄せるのか、絵柄の統合の塩梅にいつも苦労してた。
自分らしく、かつ、原作らしさを失わないように、って私は器用ではないので、もんのすごい難しい。
その時点で必死すぎてバズるとかもう視野の外。
というか、これは鼻持ちならない考え方なんだろうけど、バズるためにやる、という心境は自分にとって恥でしかない、というのが大きい。
そもそも、バズるために何かに合わせるとか迎合する、ということが「媚び諂い」と感じられたので、実行したくないのだ。
あと何かをなぞる、という描き方が超絶つまんなくてたまらないので、誰かの後追いとか、トレースとかもやらないんですよ。
自分で自分の線を開発する方が楽しいから。
白い紙やディスプレイの上に何が現れるのかわからない状態で描かないとつまらない。
なので、私の絵には下書きはない。
下書きしないんですよ、なぞるのつまんなくて大っ嫌いだから。
このnoteにショボく載せてる古い絵も全部下書きなしの一発描きで一枚辺りの所要時間も短くて10分と言ったところ(今は病後で描いていない)
とは言えなんだかんだ言ってもテンプレ通りに描いたり、バズるために自我を引っ込めるだけの器用さを欠片も持ち合わせていなかっただけの話で、結果論なだけかもしれない。
むかーし昔は器用な人が羨ましいと思ったこともあったから。
器用な人は簡単にバズれて楽そうだなあ、と思ったので。
何かに合わせる、誰かに合わせる、が致命的にできないマンなので。
でも、下書きなぞるのが嫌いすぎで「ああ、人真似も後追いもトレースもそもそもできない人間なんだわ自分」と途中から割り切ることができた。
向いてない描き方続ける方がよほどしんどかったから。
そう考えると、たとえ2Dしか理解できないとしても大半の絵師はむしろ私より器用だとも言える。
下書きなぞるのも後追いもトレースも切り貼りも苦にならずバズるためなら自我も曲げられるとか、うん、みなさん器用だな。とつくづく思う。
そうやって「バズる」目的のために自ら選んだ後追いトレース切り貼りや自分を曲げること、を選択したのに何を今更私の不器用な自分を曲げられない描き方を羨ましがる?
自分の選択の結果やろ?
と私は私の絵を無断で切り貼りする連中に言いたくなる。
でもやっぱり、このイラストレーターさんのnoteを読むと、たとえ器用でバズれる人であっても、自分を偽り続けることはできないんだな、と思った。
そしてこの方は自分を偽ることをやめて、自分自身の絵を模索してるし、自分を偽らない言葉を手探りで慎重に選んで紡いでいる。
私はその、自分を偽らないことを選択し、実際にそれをnoteでも創作でも実行し続けているこの方の誠実さを信頼できるし、その姿勢を美しいと感じるのだ。
この方の今後のご活躍を祈りたい。
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