どこに行き、どんな風景を見てきたのか
すでに亡くなった人で、少し風変りで味のある行動を取っていた人が身近にいます。書き出せばキリがないので、ほんの少しだけその片鱗を…。
彼は「危ないからやるな」と言われると、それに興味が出てやっちゃうという人でした。
不慣れなうちは、ひとりで入ってウロウロするなと地元の人に言われて、そう言われたならと張り切って青木ヶ原をウロついて… 怒られる。
出て来られなくなる危険があるので、決して行かないでくださいとガイドさんに言われて、今は無い世界有数の香港のスラム街・九龍城砦に入ってウロついて… 怒られる。
そんな彼がひとつ、ダメだと言われてそれに従ったことがあります。富士山の山頂を通って、例えば山梨側から登ってきた場合に静岡側に降りることなのですが、山頂を通った場合は、これをしてはいけないと言われていたそうなんです。『富士山をまたぐことならぬ』ということのようです。
そこでそれならと、またぐのはやめて八合目あたりから、ぐるっと回りこんだらしいのですが…麓の浅間神社からずっと徒歩ですからね、それはもう大変です。回りこむと、道なき危険な場所があって死ぬかと思ったと言ってましたね。滑り落ちる寸前だったとか…
そして丁度反対側に辿り着いた時、何を思ったのか更に進んで…元の場所まで戻って来た…と。
結局どこに行きたかったのだろう。
本当に知りたいと思います。
長い年月の人生劇場の中で、どんな風景を父は見続けてきたのか…どんな風景を見たいと思ってきたのか… 今は知る由もない知りたいことのひとつです。
自由人だったから、周囲の評価はやたら分かれる父だったけれど、わたしの目から見ると父は充分に『生きた』人だったと思っています。
東京では7月のこの時期がお盆。父は忘れているかも知れないとふと思いました。好きなところに出かけて、好きなことをやっているに違いない… と。そして終わったころにニンマリしながら現れるような気がしてならないのです。「またひとつ面白い場所を見てきたぞ」そう言いながら…
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