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とある和歌


 平安時代に勅撰和歌集として編纂された古今和歌集の中から、現代において最も広く知られている短歌について書いてみようと思います。

我が君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで

 わたし達が知る歌は冒頭が「君ヶ代は」ですが、時代を経て変わっていったようで、江戸時代に入ってこちらが主になったようです。

 実はこの和歌は、朗詠のための和漢朗詠集にも収められているのです。場合によっては少し節回しをつけて歌われていた場合もありそうです。
 朗詠集の古い写本は「我が君」ですが、鎌倉時代の写本には「君ヶ代」と書かれているようです。浄瑠璃、謡曲、長唄、盆踊り唄など多岐にわたり使用されてきたとの事。要はクレジット不要のパブリックドメインの歌詞だったと言えます。

 古今和歌集によれば、祝賀の歌とされ、酒宴などお祝いの席で披露されてきたようです。
 「君」とは「相手」を指す言葉です。ただ範囲を狭めるならば「愛しい方」「憧れの方」「高貴な方」「主君」「帝」「遊女」などが知られています。
 この短歌の場合は祝賀とある以上「祝われている人」を指します。何となく限定的に「帝」と思われがちですが、帝が僧に向けて歌った事もあると記録されているようです。
 祝われているその方の末長い安寧を歌いあげているのでしょう。
 言祝ぐと言う内容なので「おめでとうございます。益々のご健勝をお祈りいたします」といったところでしょうか。
 少し後付け感が否めませんが、時代が下るにつれて「君ヶ代」は治世、つまり「太平の世」を意味するようになっていったとも言われています。

 ただこの歌は詠人知らずです。高位の人であれば名が残るでしょう。
 つまり実際どのような状況で生まれたのかは、わからないのです。
 長い年月の間には恋の歌として扱われた事もあったとされていますが、なんとなくそれはそれでフィットするなと、わたしは感じます。

 実は古今和歌集と言うのは、主に「万葉集に載らなかった古い時代の和歌を集めた歌集」ですので作者同様、この短歌がどの時代に詠まれたのかについてもわからないというのが実態です。
 そして今回この記事を書くにあたって気づいたのは、それを裏付けるように非常に古い時代の型をとっているという事です。

 上の句下の句ではなく以前記紀歌謡の記事(※1)に書いたように五七/五七プラス七の型になっていませんか?(一箇所字余りになっていますが、許容範囲内のため無視してください)
 そして「提示があり、修飾した後に結び」の構文で、叙述的(叙述ー順序通りに説明する事)に感じますがどうでしょうか。

 これを踏まえると、もしかしたら飛鳥前半のようなかなり古い時代に詠まれた和歌かも知れず(※2)詠まれた状況や動機については益々想像が及びません。

 さてこのように広く世間に知られていた和歌にあらためて曲をつけたものが国歌になったのですが、短歌ですから何しろ短い。二番も無いため、古さだけでは無く、国歌の中で世界一短い歌詞だとの事です。
 本来で言えば短歌は縦に一行で書くのが正式とされています。

「国歌の歌詞、一行ですってよ、奥さん!」

 いかがでしょう、和歌という詩歌の視点から見る日本の国歌。シンプルで過不足の無い一行のこの潔さにわたしは惹かれ、同時に誇らしさを感じるのです。それがあって今回記事にしてみました。

 作詞者不明。これはこの国に似合っているとつくづく思います。


(※1)コチラです

(※2)ただ、わたし達にもスッキリと理解できる言葉で成り立っています。
もしかしたら言葉が少しいじられているかも知れませんし、また奈良や平安初期に、流行遅れの古い時代の型にあえて当てはめて作る事はなんら難しい作業では無いという点まで考慮すれば、諸々注意が必要です。
もっと言うなら、わたくしめの言う事なので……🙄



#コラム #和歌 #詩歌

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